前回、「《スキゾフレニックなステレオ視野》について、それでもやはり『動を3,不動を7』に配分するこちら側から見ているのが私です。つまり、ここには、この此岸と彼岸を分けるギャップがあるはずなのですが、一体それは何ものなのでしょうか」と、今回への方向付けを予告しました。

そこで今回、この設問への回答を試みるわけですが、実は私には、こうして村上春樹の世界を体験していながら、逃げ水現象のようにつかみきれない、常に気になっていることがあります。

それは、彼の作品に幾度も登場する、音楽やその演奏家の具体的名称を挙げての描写です。しかもそれがけっこう頻繁であるだけでなく、単なる比喩や説明的な表現とするだけでは終わらない、何ごとかを漂わせていることです。 詳細記事