今日、世界をながめてみて、いずれを見ても、狭苦しい我利々々根性が蔓延し、不必要ないざこざをあえて招いているような光景ばかりに行き着きます。たしかに、アメリカという最強の覇権国が衰退途上にあって、世界ににらみを利かしてきた重石の戦線離脱という国際政治上の情勢変化はあります。しかし、最後で二度目の世界大戦の惨劇の終結から80年余りが経過し、それに至った経緯と教訓が、もはや忘れ去られてしまったかのような、あまりにも浅はかな、新たながら無益な国際的紛争と駆引きの時代に入ってきています。他の機会にも書いたように、私という戦後初の世代は、むろん直接の戦争体験はないものの、子供時代、その硝煙の臭いの消え去らぬ社会の雰囲気をかぎながら育ち、また、その戦争実体験者の文芸作品等を通じ、その体験をあたかも近親者らの体験――何も語らぬ父親もその生還者だった――であるかのように切迫したものとして受止めながら成人となってきました。そういうこの世代にとって、戦争という政治手段は、それこそ憲法第9条が宣言しているように、国際紛争の解決手段として、決してそれを採用してはならない禁断の手であると、心底からそう受け止めるものがありました。その思いは、無数ともいうべき命であがなった、それがゆえに後世にひきつがれるべき“逆数的社会遺産”です。そうした意味とその認識が、じりじりと浸食、忘却され、なし崩しに削り取られている日々が続いています。この「新学問」が、なんとかそうした進行を食い止める一助になれればと、そうした切なる思いを込めるものがあります。【続きを読む