Day 170+509(1月26日「オーストラリアデー」)
別にいまに始まったことではないのですが、齢を加えるということは、精神的安定がきわめてもろくなる一方だと、いやがおうでも認めざるをえません。そしてやがてやってくる認知症とは、それは病的症状であると同時に、本人にとってはおおらかな安住感でもあるようです。そこで、いったんその不安定つまり認知症の発端にとらわれると、自らが陥った病状のその片やのいたたまれなさから、逃げ込むようにその他方の症状に浸ってゆきたくなる、そんな心境的陶酔郷への誘いがあるような気がします。それゆえ、私の健康志向は、ともあれそれを「悪循環」の始まりと受け止め、そうしたのめり込みに魅了されぬよう、不安定さの進行をなんとかスローダウンさせようと自“訓”している、そんな姿かなと思っています。 詳細記事