今回は、前回以後につかめてきたことを伝えたいのだが、テーマとしては、前回の「宇宙版セックス」と題したレポートの続きとなる。しかも、前回がそうとうに理詰めであった恨みを取り払い、今回の話はむしろ具現的でもあるかと思う。

そこでまず、このレポートの送り先の相手を、昔の地球時代にならい「MATSU」と呼ばしてもらおう。

そして最近、そのMATSUの作成するサイト、「両生歩き」の 2015年10月22日(No.192) 号で、美的なんだが、どこかこの世離れした、下の写真を拝見させてもらった。 詳細記事

ひと月ぶりの本訳読の再開ですが、今回は、これまでにも増して、なかなか手ごわい部分です。おそらく、本書のテーマであるエソテリックな観点において、もっとも広範な眼識を必要としている分野であるのではないかと推測されます。また、少々注文をつければ、記述がけっこう簡略すぎる感があり、つっこみが足りない恨みがあります。その分、今回の本コメントには、私の自己展開の部分も含まれています。

ことに、「生命の樹」と題された節は、その抽象度や深遠さが顕著で、訳読に最も苦労させられた部分です。しかし、奮闘の末、その意味するところがしだいにつかめてくると、思わず震撼させられるような閃きが脳裏をめぐり、近年の自分自身の体験の意味が突如として理解される体験をもたらしてくれています(その内容の発展を別掲載の記事に書きましたのでご参照を)。 詳細記事

 

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創成の神話(その2)

 

生命の樹

世界中の宗教の神秘的伝統においては、儀式のなかで聖句が読み上げられ、自然界における人間の意識と現実の体験との間の比喩的(象徴的)意味が結び付けられる。創成の神話のすべての長くて豊かなつづれ織りの中に見られる「生命の樹(Tree of Life)」ほど、永遠でも遍在でもある存在はない。同様に、その樹は、世界のいたる所に見られる普遍的な描写であり、あるいは示唆的象徴でもある。「生命の樹」ないし「世界樹(World Tree)」は、身体や魂の不滅よりむしろ、永遠の生命力や満足への切望状態を表している。だが、生命力の永遠性にとって、肉体的な死はあくまでも神的現実の直接体験と解釈され、可能なことだけでなく、現在のことでもある。ちなみに、人間の身体には22の標準的アミノ酸が発見されており、これは「生命の樹」の22の一般的な経路に類似している。 詳細記事