私はこのオーストラリアに住んで、もう30年以上にもなります。そうした経緯から、不可避的に、この大陸の先住民、アボロジニのことを知り、しだいに関心を深めることとなりました。

この国に到着後まだ間もないころは、彼らとの隔たりはあまりにも大きすぎ――当時は何より、白人のオージーとコミニケートするだけでも大変で――、正直言って、違和感の方が大きく、理解などとはほど遠いものでした。

そうした私の態度を大きく変えるきっかけを与えてくれたのが、日本人若手研究家、保苅実の著書『ラディカル・オーラル・ヒストリー:オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』でした。その詳細コメントは別掲記事に任せるとして、その著書より、アボリジニの人たちの拠って立つところが、実に、今日の私たちの輪郭を遙かに超えるものであることに目覚めさせられたのでした。 詳細記事

 MATSUは、眠っている間、自分は何をしているのだと思う? おそらくその返答は、「夢を見ているか、夢も見ないで熟睡しているか、そのどっちかだ」などというのが一般的なところだろう。

そこでその夢なんだがね、俺も地球時代を思い出して言うのだが、たとえば、夜中にふと目を覚した時のこと。横で寝ている連れ合いや子供だのが、何やら誰かと話しているらしき寝言をはたで聞いて、確かにやつらの身体はそこにあるのだが、その心というか意識というか、そういったものはそこにあらずなんだな。そして、どこか全く別の所に去って行ってしまっていると、妙な現実味を伴って感じさせられたものだった。 詳細記事

 

== 本書の《もくじ》へ  「もくじ」の中の《本章》へ ==

【新版(Second Edition)に基づく】

 

 

古代の知恵

「私は貧しく裸ですが、私はこの国の元首です。私たちは富を望んでいませんが、私たちは子供たちを正しく育てたいと思っています。富は私たちを良くしません。私たちは子供たちを連れて別の世界にゆくことができませんでした。私たちは富を望んでいません。私たちは平和と愛を求めています。」 ――元首レッド・クラウド(スー族)

ホモ・サピエンス〔現生人〕は、すべての動物と同様に、環境の限界に適応する絶え間ない過程を条件に生きてきた。伝統的な進化モデルでは、人間はおよそ5万年前にその行動上の現代化を果たした。人間が環境を操作し動物王国の首領になることができる生き物に上昇したとき、新しい特性が出現した。民族学者はしばしば、自分の種の一員を組織的に殺す行為が、事実として他の動物種の中では見られないことを観察してきた。自分の種を殺す人類の特殊な性向は、限られた範囲でネズミやチンパンジーとも共有されているが、ほぼどんな環境にも適応する能力がそれを作ってきたと考えられる。人類間の戦争は、自然環境の中での領土本能として始った。組織化された戦争という特徴は、人間だけがもつ特徴である。 詳細記事