MATSUよ、今度のクモ膜下出血からの生還体験は、確かにそのように、ひとつの成功例となった。それはそれで結構なことで、ことに地球上では、めでたし、めでたしの話なのだろう。だが、両界を知る俺としては、それは序盤戦どころかほんの取っ付きで、これからが本番であることを話したいんだ。つまり、前回レポートの「人間エンタングルメント」が実際の現象であるとするならば、その実用や汎用を、量子コンピュータなぞにとどまらず、もっと俺たちだれもの生活や人生の身近な“デバイス”として、活用すべきだし、それができるということなんだ。だから、スマホなどどいう微々たる代用品に目先を奪われる必要はない。言うなれば、“デバイス”を体外装置とする考えを変え、そうした能力を自分自身に取り込んでしまう、《エンタングルメントな生き方》をエンジョイしようってことなんだ。 詳細記事

私たちの歴史のその起源について、たしかに、それはいかにも遠い昔のことではありますが、それを伝えるストーリーに関し、なんともあいまいで、ぼやけ過ぎていて、なにやら怪しい話だと感じないではいられません。歴史をさかのぼって行くと、とどのつまりは「神話」にゆきついて、話はいかにも現実味を欠く、文字通り「神がかった」奇想天外な展開となります。しかもそれは、世界のどこの国でも大した違いはなさそうです。神話で始まらない国と言えば、アメリカとかオーストラリアとか、近世においての移民という血生臭い起源をもつ過度に現実的な国くらいで、そのいずれでもない国を聞いたことがありません。どうしてなんでしょう。 詳細記事

 

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【新版(Second Edition)に基づく】

 

 

過去のエソテリック(その1)

「悪霊とたたかう者は誰も、その過程で自身が悪霊に取り付かれぬよう注意せねばならない。 汝が十分長く深淵を見つめれば、その深淵は汝を見つめ返すのである。」 ――フリードリヒ・ニーチェ

おそらく、人間は意識を持ち始めて以来、真の自己について問い続けてきた。エソテリックな対象を研究する人は、最終的に、自らの生命について、ある根本的な疑問を問うようになる。すなわち、地球における私たちの目的は何なのか。私たちはどこから来たのか。私たちが人体に宿る理由は何なのか。私たちの進化においてはすべてが完全にたまたまであったのか。宇宙にいるのは私たちだけなのか。どこかに知的生命は存在するのか。どうして彼らは人類に大規模に接触してこないのか。 私たちは、「大きな問題」を知らなくされているのか。もしが熟知者がさらに議論を進めた場合、ETは宇宙のかなたから地球にやってきており、それはおそらく遠い昔からのことであり、そしてそのまま居ついていると考えるのは論理的ではないか。もし彼らが地球に住み着き、地下や人目につかぬよう居住しているなら、ETの地球への介入による長期的、侵略的影響はありうることではないのか。もしそうであるなら、彼らの否定的な影響を取り消すために、あるいは逆にその貢献を引きだすために、効果的な行動がありうるのではないか。地球上の誰がそれを秘密にするのを助けているのか。その動機は何なのか。ETの目的は何なのか。歴史をすべて書き換えるのは必ずしも本書の趣旨ではない。だが、地球における人間の過去のエソテリックな意識について、持続的かつ確固な歴史的対象の簡潔なまとめを示す必要がある。おそらく、あらゆる真の歴史は、空間と時間が解明されたときに明らかになることだろう。 詳細記事