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両生学講座 第18回(両生人類学
 



        
 各論二題



 前回の本講座では、その結末に、以下のように述べて講話を終えました。

 今回は、こうした着想と方向付けに従い、ふたつの点について、話をすすめてみたいと思います。
 そのひとつは、上に、 《はざま》 と指摘している、「東」 「西」 への両眼視です。すなわち、これまで、私は 「両生」 の概念を、まず、日豪という地理的両眼視から出発し、それをさらに、思想的な 「両生」 概念へと発展させてきました。それが前回では、日豪のみではなく、「東」 「西」 を見渡す 「両生」 概念へと成長させることとなりました。いうなれば、東西融合の視点です。
 そのふたつめは、そうした東洋の 「別けない知」 の奥義として、なかば偶然に出会った、「禅問答」の意味の発見にまつわる、禅の手法の私流の借用です。


                            

 昨年12月の両生学講座 第15回(両生歴史学) 動転観測、定点観測に、私は、このオーストラリアで、ラフカディオ・ハーンを読んでいると書きました。
 19世紀末に書かれたその著は、もはや失われてしまったかっての日本が、あたかも亡くしたわが子のように描かれているという意味で、同時に採り上げた渡辺京二の 『逝きし日の面影』 という、そうした視点をさらに体系的にまとめた作品とあわせて、私にとって、深く愛郷心を揺り動かされる体験となりました。
 ただ、そうではあるのですが、私は、そのような時代も隔たった望郷の思いにもかられつつ、それと同時に、もう少し入り組んだ思いも抱かされていました。
 それは言うまでもなく、「両生空間」を生きる私が常に噛み締めている、双次元構造があるからです。つまり、私たちが生きる場とは、単に、生まれ育った国だからと愛着し、あるいは逆に、それが気にそわないからといって他国に帰化する、そうした、どちらかであらねばならい問題としてそうあるのか、という疑問があるからです。私はむしろ、自身の経験から言って、その真相はそう単純ではなく、もっと込み入った何かに直面していると感じさせられているものがあるからです。ある意味では、その両方でもあろうとする視座です。
 そこでさらに紹介したい見解が、小泉八雲となったラフカディオ・ハーンではなく、それでもなおラフカディオ・ハーンである、そうした次元に切り込んでいる、ベンチョン ・ ユー著の 『神々の猿――ラフカディオ・ハーンの芸術と思想』 (恒文社、1991年、以下「同書」) という著書です。
 まず、著者のベンチョン ・ ユーですが、彼は1925年に(今の)韓国で生まれ、少年期を過ごしたのち、東京の旧制第一高等学校(東大教養学部の前進)に学び、1949年にソウル国立大学を卒業しています。51年には米国にわたり、58年に同書のもととなった論文によって、ブラウン大学より博士号を受けています。1925年生といえば、日本による植民地化の下で皇国教育を受け、むごく日本人化されながら、日本の敗戦により、その価値観の総体が微塵と化す体験を強要された世代です。
 まず私が、この本によって大いに認識を新たにしたのは、ラフカディオ・ハーンの人物像です。それまで、ハーンについて私は、威厳に満ちた官僚風の古式蒼然たる欧米人をイメージし、そこに個性のかけらも見出していませんでした。要するに、無知であっただけですが、本書によって、イギリス国籍(アイルランド人の父とギリシャ人の母をもつ)でありながら、ヨーロッパを遍歴して青年期を過ごし、22歳でアメリカにわたり、新聞記者をするかたわら、作家、翻訳者でもあったという、その多彩なプロフィールを知りました。古くさい官僚どころか、感性豊かな物書きであったわけです。
 ベンチョン ・ ユーの著書を通じ、そうした生きたハーン像に接するとともに、ユー自身も恐らくそうであろう、その多彩性がゆえに全体像に迫りにくいハーンに、これは私の勝手な解釈なのですが、ライフワークに等しい仕事として取り組まざるをえなかった、ユーの運命的な創造意欲に注目させられました。すなわち、先に書いた在豪韓国人の友人、「星友良夫」氏(1931年生)の生涯とも重ね合わせてみると、ユーが持っているに違いない日本に対する深いアンビバレントな思いが、そうした仕事の背景となっていただろうことは想像に難くなく、ある種の “魂の難民” 同士として、類似する生き方をハーンに発見していたと推測されます。
 ただ、五百ページを超えるこの大部の書を、ひと口に要約するのは無謀なことで、ここでは、一点のみについて言及したいと思います。つまり、日本では、ラフカディオ・ハーンは、「帰化日本人」小泉八雲としてとらえられがちですが、それは彼の一面に過ぎなかったということです。たとえ彼が、日本人妻をもち、「正覚院殿浄華八雲居士」(同書 p.508)との法名を持っていたとしてもです。
 すなわち、 ユーは、ハーンが友人に宛てた通信文に、彼のいっそう深部な心境がつづられていることに着目します。つまりそこには、帰化までした日本についての、失意の気持ちが表されているからです。ハーンはそうした書簡を 「ある熱狂者の幻滅の記録」 とよび、そうした光と闇の交替を 「振り子の振幅」 と呼んでいました(同書 p.327)。
  ユーによれば、ハーンはその後の日本が行き着く 「大破局」 (同書 p.334) を予想し、恐怖していました。それは、誤った道をゆく西洋を見限った自分が見出したその日本も、やはり、同じ道をとり始めたことへの失意がゆえにです。
 「ハーンは、西洋人なるがゆえに、東洋を必要とした。彼にとって、西洋は半世界にすぎず、西洋人は半人間でしかなかった」 (同書 p493)、とユーは書きます。そして、「ハーンの見解に従えば、東西の相違は、人間の内的世界を拡大し、調和にまで高め完成させる必要性を示唆する象徴 (アレゴリー) なのである」 (同書 p.494) とし、東半球でも西半球でもない、「完全な球体」 (同書 p.421-) を求めるハーンにその全体性を見ます。
 このように、東西の融合をこころざすハーンは、西洋の科学的発想の象徴=進化論をもじって、人間を 「神々の猿」 と呼び、人間の潜在能力の到達点を神的までに完全な姿になぞらえる一方、彼は、「宇宙市民」 になることを生涯の夢としました。この 「宇宙」 の観念こそ、自己(セルフ)が解体し、無の世界に到達する、東洋より学んだ、彼の考える 「進化」 の完遂点でありました。ハーンに言わせれば. 「東洋がとうの昔から知っていたことを、西洋は、科学によって 『数学的に』 知るようになった」(同書 p.426) わけです。
 ユーは、ハーンの人生は芸術として完成したといいます。すべての偉大な芸術は 「悲しみという肥沃な土壌を源とする」 とのハーンの言葉は、以下のゲーテの四行詩をその下地としています(同書 p.492)。

ハーンは、決して、小泉八雲であることに満足して逝ったわけではないことが判ります。


                            

 むかしから、禅問答は、人を煙に巻くかのようなつかみどころのないそのやり取りから、難解の象徴のように言われてきました。
 最近、前回でも触れましたように、禅に関する本を改めて読んでいるのですが、やはり、その問答となると、同様な印象を変えるまでには至っていませんでした。
 それが先日、まるで私の困惑を知ってかのように、松岡正剛は、その自身のサイト 「千夜千冊」 の1175夜 (2月22日)で、その禅問答が何たるかを説明してくれていました。
 余談ですが、彼はこのサイトを 「知の編集」 と称しているのですが、私はそれを、一種の 「知の地図帳」 として活用させてもらっています。
 彼によれば、禅問答とは、自分の見解 (「けんげ」とよむ) を離れること、つまり、商量を促すことが目的といいます。そこでこれは私の解釈なのですが、商量とは、自分がすがっている考えをいったん捨て、新たな知の枠組みに自分を放り出そう、あるいはそれを探そうとすること、と考えています。つまり、禅問答とは、いわば 「清水の舞台から飛び降りる」 きっかけをあたえるショック療法みたいなもののようです。ですから、そうしたジャンプ自体が目的なのですから、その踏ん切りをあたえるべく、その問答はそれほどに、不可解であらねばならないのです。また、問答の内容そのものは、あまり重要ではなさそうです。
 そこで、かねてからのなぞであった禅問答がそういうものであったのかと納得 (私なりのものにすぎませんが) すると、あることに思いあたります。
 それは、私にとって、夢が引き起こす効果です。
 それは、私がこれまでに幾度も体験してきていることなのですが、日常生活で何らかの壁にぶつかっている時、かならずといっていいほど、夜、意味深長な夢に目覚めさせられ、その余韻に捕らえられたまま、未明の暗がりのなかで、しばし苦しい思案にくれることがあります。そして、そうした、なかば夢、なかばうつつの両世界的な陣痛にさらされた後、突然、ハット思いいたる、目からウロコが落ちるような新地平を見出す、生みの体験をすることがあります。
 つまり、禅問答が与える難解さも、夢が与えるなぞも、同じように、商量へとみちびく引き金となって働いているのではないかと思う、ということです。そして、それらいずれも意味の計れぬものの、その意味をとろうとすること自体は無意味で、むしろ、その不可解の出現を既成の自己を解体するエネルギーに転じれるかどうかにかかっている、ということです。
 禅は、禅問答というその現実離れした様相を伴っている反面、宮本武蔵にまつわる逸話に見られるように、禅と武術の結合という、きわめて実用的な世界、ことに究極の実戦性も、持っています。甲斐の名将、武田信玄も優れた禅修行者であったといいます。
 遠き戦国時代なればこそ、禅の実用性は武道の先鋭さをみがく、精神的、思想的よりどころとなったのでしょうが、商量を促し、狭き保身に気付かさせようとする禅の本来の教えは、現代にあっても、それを必要とする境地には、その有用性を少しも減じてはいません。


 私が東洋から西洋へと旅しているように、西洋から東洋に旅し来たり、その地に骨まで埋めながらも 「完全な球体」 を求めたラフカディオ・ハーンに、不遜ながら私は、時代の隔たりなど全く感じず、肥沃な悲しみのうちにも宇宙市民をめざす同志を見出し、また、その宇宙への戸口を開くキータームに、「商量」 を据えたいと思います。私流の 「夢問答」 より 「喝」 をもらいながら。

 (松崎 元、2007年3月14日)
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