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    修行第六風景


 今日7月14日の朝は、我が家のベランダの寒暖計によると、3.5度の冷え込みで、私の経験する限り、シドニーでのもっとも寒い朝でした。
 もう、異常気象と聞くことすら異常ではなくなっている最近の世相ですが、オーストラリアの異常さもただごとではなく、ほんの数ヶ月前までは、旱魃、渇水、水不足と騒いでいたはずなのに、このところは日本の梅雨をおもわせるような雨天続きで、干上がった貯水池や河川の映像に代わって、洪水につかった町並みや農地の映像が繰り返し報道されています。

 さて、そうした変わりやすい空を見上げつつ、自転車による温室効果ガス低排出通勤をつづけておりますが、ここになって、一歩の前進がありました。
 先週、親方からの予告があって、今週よりその実施となっているのですが、修行開始より1年4ヶ月、ようやく、「にぎり」 の修行に入る許しがでました。
 その第一日目の木曜日、親方からにぎり方の手ほどきを受けました。その際ですが、彼が最初に発した言葉は、「よく辛抱しましたね」、でした。
 私は若い頃、この 「辛抱」 ということばが好きではなく、そうした言葉が使われる世界を旧態依然な場とみ見下していましたが、今になって、この人を人とも見ない拝金主義と競争のはびこる時流なかで、なんとも血の通った言葉としてそれを受け止めました。
 「しゃり切り」 についても、以前はほかほかと湯気をあげるしゃりそのものが怖く見えてもて余し、ことに飯台に目いっぱいに切る時など、おもわず腕がこわばったものでした。それがこのところ、しゃりの表情が見えるようで、つやつやと輝くその一粒ひとつぶがあいらしく感じられます。そのせいか、兄弟子からの苦言も、とんと、もらわなくなっていました。
 この初日、親方は、にぎりの練習用にと、彼が修行時代にもそうしたという、古布巾をにぎり寿司の大きさに成形した模型をわざわざ私のために作ってくれて、毎日これでその手順を練習するようにと、宿題をくれました。
 手順とは、手を冷やし殺菌効果もある手酢を手の平に「の」の字につけて両手をもむようにしてよくならし、右手でしゃりを、大きからず小さからずの量だけとり、左手は、人差し指と親指でつまんだタネを指の第二関節上にのせてワサビを付け、その上に右手のしゃりを移します。この時、左親指先をしゃりの中央に穴をあけるようにぐっと押しつけ、つぎに、指先を下げ、しゃりとタネを親指で押すようにころりと指先方向へ半回転させてタネを上にします。そして、握るのではなく、左手で右手の二本の指(人差指と中指)へと押し上げるように、しかも数回、寿司の位置を時計回りに180度回しながら同動作を繰り返して形をととのえ、最終的には、人肌の温かさをもったしゃりと冷たいタネという温度差を残したまま、手にとってはくずれず、舌にのせた時にはぱらりとほぐれて口に広がる固さにすばやくにぎる、、、、
 以上のようなにぎり方を、職人の間では 「こて返し」 とよぶそうですが、私はまだ、そうした一連の手順を、頭の中でもスムーズには反復できません。それを身体に覚えこませてゆく、次の修行のはじまりです。
 来週からは、もし、宿題が十分こなされていたならば、私が練習としてにぎった寿司が、まず、店員のまかない食として、出されるようになるはずです。
 店員のみなさん、ご辛抱、よろしくお願いします。
 
 (松崎 元、2007年7月14日)

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