「両生空間」 もくじへ 
 HPへ戻る

 連載

相互邂逅




 その日のことを、いい天気で日差しの明るい暖かな日であったことから、僕は、なぜか、5月のある週末かと長年にわたって信じ込んでいた。だが、それは思い違いだったようだ。こうして再び手にしたノートを読み進めているうちに、それは、1971年の2月であったことを知らされることとなった。
 東京と武蔵野の境に位置する緑地公園に近い、当時は、前が一画の野菜畑となっている陽だまりのような土地の奥に、二階建てで、各二室づつの小さな木賃アパートがあった。その二階の一室が、結婚したての友人カップルの新居となっていた。

 八丈島からひとりの娘が東京に出てきて、仲間の一人と結ばれてゆくドラマを、僕らはその脇役として上演させてもらってきていた。少々さかのぼったノートにだが、僕はその様子を、こんな風に書き留めていた。

 記憶では、その日は土曜日で、半ドンで終わった仕事の後、僕は、指定された集まりの時刻までの時間を、たしか、乗り換え駅の渋谷の喫茶店で過ごしていた。そこで、久々に集合する仲間たちに会うにあたって、自分の後退した位置につぶされぬよう、気持ちの発揚を準備をしていたはずだ。そして、仕事先の便箋でも使って、あらかじめ何がしらかのノートも書いていたと思う。
 そうして、少々力んでのぞんだその友人の誕生祝いをかねた集まりには、思いがけずに、見知らぬひとりの娘が姿を見せていて、集まりの雰囲気を僕の予想とは違えていた。
 彼女を招いたその新妻の紹介によれば、同じく電話交換手をしている職場の同僚であるという。彼女は、その招き主を助け、もの静かに立ち働いていたが、キラッと光るユーモアを表現できる人だった。
 夜もくれて、その日の飲食と歓談がお開きとなった際、偶然、帰る方向が同じだったことも幸いして、僕は彼女と二人して帰路についた。
 この日の出来事は、後に、アジアを旅する友が 「君の心琴に響いた人」 と表現して返信してきた、僕の若かりし人生を彩る新たな登場者の出現を意味していた。

 その頃をもって、僕のノートが新しく代わっている。たまたまであるようでもあり、そうでもないようなのだが、その前のNo.7の旧式大学ノートは、まだ十数ページを残しながら、このスパイラル線で綴じられた新規なデザインのノートに変えられ、1971年の2月から記入が始まっている。そして、そうした外見以上に違っていることは、それまでのノートが、徹底した一人称の世界であったものに対し、このNo.8のノートでは、二人称の世界への変転が見られることである。
 上のこのメモには、 「2.26」 との日付がある。2月26日とは、一年後のその日、その二人が結婚式をあげることとなる日である。
 
 その出会いの日のノートは、そうして彼女を自宅近くまで送って行った際の会話を記録に残している。
 この二つの問いは、決して、ほどよい程度を尋ねているものでも、気の利いたマナーを聞いているのでもない。まだ、紹介されてから数時間、しかも、二人だけの対話は、帰路途上の電車内や雑踏にあっての、一時間にも満たない短時間のもので、両者がまだほとんど初対面の関係にあってのものだ。だが、それだのに、実に率直で信頼し切った問いかけがそこにある。
 ノートによれば、その問いに、僕は 「Don’t mind. 」 と返答し、続けて 「でも、そんなことは君にとって、そもそも無理だってことが、僕にはわかるように思う」 と言っている。
 そうして、僕と彼女は、互いの少なくない一致を確認し合ったのだが、しかしその一致がゆえに、僕は彼女に、自分の何ものかを過大に投影させようとしていた。 
 取って回った表現をしているが、しかし、ここには、投影どころか、僕の手前勝手な思い込みがある。

 やがて、彼女の側から、自分への誤解を軌道修正してもらおうと、僕への働きかけがはじまる。
 その第一のこころみとして、彼女は僕に、自分の家族の写真を見せたようだ。ノートはその後、こんなやり取りを記録している。

 やっぱり、写真を見てもらったことは、良くなかったんですね。

 いや、そうじゃない。僕が君を知ろうとする以上、それは見なくてはいけなかったものなんだ。

 私、ただ、私を知ってもらいたかっただけなんです。あなたがあまりに私を私以上に見てしまっているようで。私、やはり自分を良くみせようとしているんじゃないかと思って。

 それは僕だって同じだと思うよ。いつもそう言ってしまった後、「あっ、俺は彼女を良く見よう見ようとしている」、そう思うんだ。

 なんだ、同じなんですね。

 君を見ていて「この人はこんな人なのかな」と思った時、そこにはある幅があるんだ。それで、やっぱり口に出す時、その幅の中で、いちばんいいイメージをしゃべってしまう。
 じゃあ今度から、そのいちばん悪い方を言おうか。

 その方が気が楽です。そうしてください。

 いずれにせよ、時間がきっと、本物をみせてくれるよ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 知りたい、知ってほしい・・・・・・・・・
 その根拠はなんだろうか。

 僕はわからないのだけど。

 ・・・・・・・・・私、わかります。

 ・・・・・・・・・何だい、それは。

 ・・・・・・・・・簡単に言いたくはありません。

 僕もわかる、でも、わかってしまいたくはないと思う。


 だが、その頃のノートに、書きさしで完結しないで放置したままの、次のようなメモが読める。

 その一方、こうとも記している。 
 彼女にとっての苦しさはこうである。
 それが僕にはこういうこととなる。

 その出会いとは、ごく自然で、ありきたりなものであったのだが、僕は、出会いの化学反応がもたらす振幅に揺さぶられながら、 「出発」 も 「飛躍」 もできずにそこにじっと居続けたまま、そう出発し飛躍しようとしていた。

 つづく
 「両生空間」 もくじへ 
 HPへ戻る
                  Copyright(C) Hajime Matsuzaki  この文書、画像の無断使用は厳禁いたします