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私共和国 第9回



三位一体


 手品の種明かしでもないのですが、最近、自分で発見した “種明かし” があります。
 それは、私のこのサイトの構成についてなのですが、それが三部構成、つまり、この 「私共和国」 と 「両生空間」 そして当地のニュースを載せている 「リタイアメントオーストラリア情報」、 となっていることです。
 これがなぜ “種明かし” なのかですが、すでに、両生学講座の第二期の始まりのところ ( 「トリからテトラへ」 参照) で書きましたように、これまで自分を置く場所を考えるにあたって、「トリ」 構造、あるいは、「三次元」 構造を構想してきたわけですが、それが、ふと気がつくと、このサイト自体も、このように、三部構成となっていたのでした。
 これはどういうことかと言いますと、いわば、自分と現実界との距離のとり方をそのように三つに分けていることでもありまして、 「リタイアメントオーストラリア情報」 が自分と現実との距離をゼロとしたもの――ビジネススーツを着た自分――であるのに対し、 「両生空間」 は最大の距離をおいたもの、むしろ、自分のみの世界と言ってもよいもの――物書きとしての自分――で、そしてその中間に、この 「私共和国」 が位置し、自分と現実界との動的な関係――そのいずれにも逃げ込まない自分――を探っています。
 若いころは、自分と現実との関係を、そうした含みのある構造にもってゆけず、自己か他者か、とか、自分か現実かとか、ひいては生か死かとかと、オール・オア・ナッシングなとらえ方に陥りがちでした。
 そうした、どれか一色に自分を染めることへの反発から出発し、二者択一にしろ止揚にしろ、二項対立した二元論の世界に身をさらす時期をへて、いま、こうして自分が、三位一体な立体的構造に生息しているのを発見しているわけです。
 ややくだけた言い方をすれば、いつも一種の服をまとっているのではもちろんなく、かといって、普段着とよそいきといった二本仕立てのどっちつかずとウソっぽさの同居でもなく、いずれからもの真実味を融合させたある種の変幻自在さを、この世との接点に据えようとするものです。
 いつもこうした三つの衣装を揃え続けるというのも、一面、面倒なことでもあるのですが、私は、そうした 「三位一体」 たる複合性は、本来、誰もが持ち合わせていた人としての奥行きや温度であったと思います。先に 『職人という「総合業」』 にも書きましたように、文明の発達がもたらす 「分業」 の効果によって、人はとかく、どれかいずれかのひとつとならなくては生きられなくさせられてきました。
 もちろん、そうした文明の流れを逆流させるのは不可能なことです。しかし、自分の周りの細部をながめてみれば、たとえば、年金生活、それがたとえ “半” 年金生活であっても、それだけ、そうした文明の強制力から距離をおける環境は、こうした複合性を回復させる格好な機会であるように思えます。
 そこでなのですが、ここに述べてきた三部構成は、サイト構成における三部性ということですが、それは、私の実生活にも反映されています。それをこうして文字にしてサイト上に書き表せますが実物ではありません。その実物にご関心のある方は、どうぞ実地観測にご来訪ください。
 
 (2008年11月13日)

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