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 連載小説



メタ・ファミリー+クロス交換
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偶然







 ひとの人生は、むろんひとによっての濃淡や時においての揺れはあるが、途切れることなく訪れてくる歳月に向って、一つひとつの決断や取り組みを絶え間なく与えてゆく連続だ。
 ことに、その道筋を、その日々の実行者として地上の目から見れば、紆余曲折を経ながらとはいえ、たゆまない意思や努力の積み重ねとしてのドラマであるはずだ。
 だが、人生、数十年を経てみて、とある節目などからその歩んできた道程を、空飛ぶ鳥の目とでもなった視点から振り返ってみれば、そこには酷いほどに、偶然が作用していたことに気付かざるをえない。
 だから、還暦も過ぎたここにまでに至ってみれば、ちょっとその偶然を遊んでみたくもなるというものだ。
 むろん、若い時代には、そんな遊び心など持てる余裕もなければ、鳥の目になれる経験の厚みもない。ゆえに、それが偶然の出来事なぞとはさらさら思えず、ただただ我武者羅に突進し、文字通り必死で取っ組んでゆくしかない。もちろんその時代は、エネルギーは有り余り、姿形も健康美にあふれ、だからこその悲喜劇を引き起こした。
 良きにつけ、悪しきにつけ、そういう、たまたまなものに君臨されてきた人生だが、その君臨は、さらには、結びつくはずもなかったもの同士を出会わせてしまう偶然まで起してくれて、その遊び心にちょっとダイナミックな意味まで与えてくれる。
 以下の物語は、偶然と遊べる興を持つようになった者と、過酷なほどにその偶然にもて遊ばれている者とが遭遇して創りだす、少々異端な交換劇である。





 モトジが、普通で常識的な結婚を決心したのは、25歳の時、仲を深めていた人から妊娠を告げられたからだった。
 その当時のモトジには、愛情の深まりの実感はあったものの、その連続した変化がどこで結婚という不連続な決断に結びつくのか理解できず、他人が平気で結婚してゆくのが不思議でならなかった。だから、その宣告を受けなかったら、きっとモトジは、その決断も法的手続きもしないままで、いつまでもその連続的な関係を延長していったにちがいない。
 ともあれ、その人生上の線引きは、その宣告のお陰だった。いわば、自分の行った行為の生物学的な因果を知らされ、そうゆうことなら、その決断にも値するだろうと思えたからだった。それがモトジの結婚という決意の中味だった。
 ところが、それからしばらくして、モトジはふたたび宣告を受け取った。今度は、その妊娠は想像妊娠だった、というものだった。むろん、彼女のそれらの宣告は、医師によるその旨の診断をへてのもので、単なる推測上の話ではなかった。つまり、人間の生物学的な事実のうちには、そうした想像上の疑似現象もありうるものらしかった。
 そんな人を図るような事の展開だったが、モトジには、それによる猜疑心などは少しもおこらなかった。男とは、こうした問題に関する限り、女の側に生じるそうした変化を、身体的だろうが精神的だろうが、言われるままに受け取るしかない。どうやら、天の誰かが彼を一杯喰わそうとしていたようだった。モトジはそんな決定に、素直に従っていた。
 そのようにして、ともかくモトジは親となる覚悟をもってその結婚の決心をしていたのだが、そうした生物学的発展は生じず、彼の決心は宙に浮いたまま行方がなくなってしまった。かといって、今さらその決断を引っこめるわけにもゆかず、また、それでその人が嫌いになったわけでもなかった。それで、その後の結婚プロセスはそのまま進行させ、その結果、モトジと彼女は一組のつがいとなり、巣をかまえることとなった。
 その後、モトジは、こんどは妻の病気のために、ふたたび妊娠を宣告されることはなく、従って、生物学的な親となる経験をしないままで今日にいたっている。
 そういうモトジの人生のこれまでの輪郭ではあるのだが、その一度してしまった親となる決断は、無用とはなったものの忘れられることなく、宙ぶらりんのまま、その後ずっと彼の内に留まってきた。そのためか、モトジにはある欠落感がそれ以来ずっと持続してきている。つまり、その決心をしながらそうなれなかった未達成感は、その後、友人や兄弟などが一応なりとも親になってゆくのを目撃するにつけ、自分は人としての義務を果たしていない、かとでもいうような、ある種のコンプレックスのごとき心境へと変じて、その負の思いをずっと引きずってきている。
 人はそれは気楽でいいではないかという。確かにそういう面はあり、それを享受してきてはいるのだが、この欠落感はいかんともぬぐいがたく、人として自分には何か決定的に足りないものがあるのではないかといった妄想にも発展し、彼の心理を落ち着かぬものにしてきた。

 その結婚から四半世紀の歳月が流れ、モトジたち 「つがい」 は、意を決してやってきたオーストラリアで、永住という当初は予定していなかった目標までにも到達することとなった。しかし、そこにはそれが故のやむない副産物が生じ、その過程で二人は、パースとシドニーというその大陸の両端に、数千キロを隔てて別々に暮らすようになった。どうみても、もう、一組の 「つがい」 としては変則的に過ぎた。
 そして二人は互いに別のパートナーをえてそれぞれの生活を持つこととなり、モトジが還暦をもうすぐ迎えようとする頃、その法的な婚姻関係も現状に合わせ離婚手続きをすました。ただ、生物学的な面では、相変わらず、その新たなパートナーとの間にも、親となる機会が生じてくることはないままだった。

 そういうモトジは、還暦を節目に、自分の人生の職業的な関わりに新しい環境を作った。
 それまでは、受けた教育を生かした技術者の仕事や、オーストラリアという新天地での人生的な冒険を楽しんできたのだが、いくつかの面で転機に差し掛かっていた。それで、思い切って従来のコースを転換させ、生まれてはじめて、寿司修行という職人の世界に飛び込んだのだった。文字通り、六十の手習いの始まりだった。
 むろん、オーストラリアという異国の地での寿司修行は本場仕込みではなく、いわば外道である。しかし、外道であるからこそ、彼のような異端な参入者を、抵抗なく受け入れてくれる面があった。ともあれ寿司は、もはや世界でも好まれて食べられる世界食となっていた。
 そうしてモトジが働くこととなったのは、ベテランの寿司職人である日本人がオーナーの日本食レストランで、寿司カウンターを一画に持つ百席ほどの規模の、なかなか繁盛している店だった。
 そうして初めて体験し始めた飲食業の世界は、同僚といえば、ほとんど若者たちばかりだった。店のオーナーや先輩職人たちはそれ相応の年齢だったが、それでも皆、彼よりも年下だった。
 だが、世代違いの異端な存在である彼といえども、若者たちとは仕事経験上では大差のない初心者同士で、まさしく、互いに肩を並べて一緒に仕事をする間柄となった。そして、最初は彼らもやりにくそうだったが、しだいに気心が通じるようになるにつれ、彼らが、もし居たとしたら、自分の息子や娘の世代であることをあらためて意識するようになっていた。
 モトジには、自分の “息子” らと相並んで、先輩に叱られもしながら仕事を覚えるのは、時に面映ゆく、時にじっと我慢すら強いられる体験ではあった。だが、それを恥ずかしいと思う気持ちは全くなかった。むしろ、年齢にかこつけた逃げ口上や、ゆかりもない先輩面はしたくなく、彼らの荒削りながらもほとばしるエネルギーのしぶきをあびつつ、自分の心身が若がえってゆく効果を得ていた。
  それと同時に、モトジはこの新職業に臨むに当たり、自分にフィジカルな課題をかしていた。というのは、そうして長時間、修行の道に自分の時間を費やすとなると、自分の身体上のエクササイズに当てる時間がなくなり、その確保が難しくなっていた。そこでの工夫として、その店への通勤に自転車を使うことにしたのだった。店の選択も、自転車通勤として手ごろな距離内にあるその店をえらんでいた。
 そうして毎日、往復一時間の運動がモトジの日課となり、それが生活のリズムとなった。そしてその効果が、身体的な生き返りとも言える変化として受止められるものとなっていた。そしてそれに並行して、精神的にも、一種の活性化が現れ、思い切りのよい積極性も出てきているのを感じていた。

 つづき
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