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 連載小説



メタ・ファミリー+クロス交換
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偶然






 先のおでんパーティーの数日前、モトジの同居人は、久々の海外旅行に出かけて行ったばっかりだった。彼女は旅行が生きがいで、そのために働き、そのために生きているような人生を送っており、いわば旅行のプロとでも言えた。自分でも、旅行の達人と自称していた。すでに彼女が訪れた国は120カ国にもなるという。彼女の世界地図の国々はそうしてもうほとんど塗りつぶされ、未踏の地として残されているのはほんの数カ国というところまでにきていた。
 今度の旅立ちはしかし、そうした旅行人生を支えてきた旅行ガイドとしての仕事が、オーストラリアを訪れる日本人旅行客の低迷でもうほどんどなくなっており、彼女としても、自分の人生の組み立てをし直さなければならない必要もからんでの出発となっていた。今回の出発に至る前でも、ほとんど枯渇したガイドの仕事に代わり、派遣のウエイトレスなどの仕事をしていたが、それもあくまでもつなぎの仕事にしかなりえないものだった。つまり、その旅先で自分の将来を託すに足る働き口がみつかった場合、オーストラリアへの帰還のない出発となる可能性も秘めて出かけていっていた。たとえ同居が難しくなるとしても。

 モトジもふくめ、にせ娘やにせ息子たちは、そういう留守宅となった気楽さから、その後もモトジの所にきて胃袋や誤認家族意識を満足させて行くようになった。
 次のそうした機会では、モトジは彼らに寿司をにぎってやった。その日は朝から魚市場にでかけていろいろなネタを仕入れ、一日かけて下ごしらえした。そしてテーブルにそれらの新鮮なネタを並べて寿司カウンターにみたて、通常の寿司屋さながらに、お客の注文をうけながら、それを目の前で握ってやった。モトジにしてみれば、低い居間のテーブル上でしかも腰かけておこなうそうした作業はやりにくく、また、自分は食に専念できなくて少々興が欠けたのだったが、話はいくらでもできた。それは、いかにも、家族のだんらんといった光景だった。

 この会食の機会が過ぎてひと時した頃からだった。
 モトジが図書館帰りに彼女の売り場を訪ねても、断りがつづいたり、勤務が臨時に変更となったのか、いつもの時間に立ち寄っても居ないことが度々となるようなこともあった。
 モトジはむろん、約束をとってそうしているのでもないので、都合の悪いのはやむを得ないこととは思っていたものの、そうして何回も不成功が続くと、さすがに、何かが起り始めているなと感じざるを得なくなっていた。むろん、女の気持ちの風向きが変わっただけのことなのかもしれない。ともあれ絵庭の何かが変り始めている、あるいは、そうとでも受け取るしかないような移りかわりだった。
 ただ、それが何なのか、その心当たりについてはさっぱりだった。そうなるようなきっかけがあったのかと思い出そうとしても、あるとするなら、そうしたモトジの存在自体が胡散臭くなったかとでも想像する以外には、ことさらな出来事があった経緯は思い出せない。そして、そんな心当たり探しとでもいえるようなことを続けているうちに、そもそも、年甲斐もなく若い女にうつつを抜かしていたといった愚かな自身像さえ描け、ひたすら惨めな気分にすら捕らわれてくるのだった。

 そうして、ひとりで取る夕食がつづき、その日は休みのこともあって、前の機会に話しの出ていた、すき焼きをつくって、相変わらずろくな食事もしていないであろう、ヒロキを呼んでみることにした。
 彼は英語学校が始まっており、午後3時までは食品店の配送の仕事をし、それから、8時までの授業が日課となっていた。最初の電話では、「すき焼き、喰いてーなー」 といいながらも、授業の出席が80パーセントを割るとビザが支給されなくなるので、行きたいけど休めない、との返答だった。しかし、その翌日にまた電話をしてきて、授業は二部になっており、前半は大事なのだが、後半のものはどうでもいいようなものなので、6時に学校をスキップして行きます、とのことだった。
 彼はよく喰った。1キロの牛肉を用意していたのだが、七割がたは無くなった。さすがに喰い終わると、「もうこれ以上は入らない」と、食後のフルーツも、ほんのつまむ程度だった。そして、モトジも酔っており、車で送ることもできないからと、アパートに泊ってゆくようすすめた。
 その翌朝のことだった。その日の仕事は遅くからでいいというので、朝もいろいろ話を残して行った。
 モトジは、奨学金の件を、急がせるつもりはなかったが、どういう意向なのかを確認するつもりで、それを尋ねた。すると彼は、この奨学金の話もそのひとつで、自分にも、ようやく向い風がおさまって追い風になってきたと言う。彼のこれまでの人生は、ずっと向い風ばかりが吹いていて、苦労ばかりはあるものの、少しも実りはなかったと言う。
 彼は日本で、ある大手のファミリーレストランで、ウエイターをして七年間、働いてきたという。しかし、そこに居ても何も得られないとさとって、オーストラリアに来たという。
 「仲間が何人かいましてね、ともに頑張ってたんです。最初の数年は、皆、夢があって、それをどうやって実現するのか、話し合っていたんですよ。それがね、夢がだんだん幻となって、ひとり、ひとりと辞めて行くんです」、と彼は静かに言う。「もう、彼らがいまどうしているか、それさえも知りません。」
 「一人、えらい夢のでっかいやつがいて、俳優志願なんですよ。そのうち、ハリウッドで映画に出るかのような話までするんです。そして、まだ、ただのフリーターでしかないくせに、スターがよく行く床屋に行ったりして、そしてだんだん、金に困っていったんです。結局、金がすべてだと解ってネズミ講に手を出し、身内や友人からも嫌われ、カードで借金しまわって、とうとう困って、俺のところに来たんです。彼を信用してたんで、それで、自分名義のカードを作って彼に貸したんです。後で思えばバカなことでした。ある日、職場に電話がかかってきました。そのカード会社からでした。返済の期限を越えているというのです。50万円くらいでした。ヤツに連絡をとっても、もう、つかまりもできませんでした。必死で返しましたが、50万円って、でかかったですよ。」
 「その仕事をはじめた最初のころは、どうすればいい仕事ができるかと、仲間で議論し合って、上役に提案なんかしてたんです。でも、何年かやってるうちに、それも無駄だと解ってきたんです。だって、その会社のことを何も知らず、教えてももらえず、仕入先も、加工工程も、また、だれがどう決めているのかも、何んにも知らなかった。だから、その知らなかったことを知ったとたん、自分のこれまでの努力が無駄だったことが解ったんです。そういう仕組みの中で働かされてきたことが解ったんです。」
 その仕事を彼は七年間もつづけた。二十歳代の七年間は長い。
 モトジは四年間の大学教育を受けただけで、その後の職業生活の基礎にすることができた。今、モトジの働くレストランの日本人オーナーは、高校を卒業して寿司屋の修行に入り、小さいながらも自分の店を開いのは、25歳の時だったという。これも七年そこそこだ。ひと時代前なら、そのくらいの期間、我慢して努力を続ければ、曲がりなりにも一生食ってゆける、何らかの職業にはつけたのだ。
 モトジはヒロキの彼女との仲についても聞いてみた。すると、言い合いはあるが、まだなんとか続いているという。そんな彼女の話にからんで、「これからどうしたいのか」 と尋ねると、「もう、あくせくするのははたくさんで、家庭をもって、ゆっくり暮らしたいですね」 と言う。モトジは、それは彼女がそう言うのかとばかりに思って聞いていると、そうではなく、彼の気持ちだと言う。むしろ、日本の彼女は来年、学校を卒業し、学んだファッションデザインの業界で、ばりばりやって自分のブランドを作ってゆきたいらしい。「そんなの無理だとはまさか言えないし、でも俺はもう、人と競争してゆくのに疲れちゃったんです。」
 オーストラリアに来て、ようやく、運がまわってきた気がすると彼はいう。今の日本食品の配送の仕事では、社長によくしてもらっているという。「あの位の規模の会社なら、俺にだって、全体がどうなっているかぐらいは解ります。貿易の知識を学べば、自分でもやれなくはないとも思えてきてるんです。そこに、モトジさんからの、今度の奨学金の話でしょ。ようやく俺にも、風向きが変わってきたなと思えるんです。」
 モトジの提案した奨学金の話は、お金としてそれが動く以前から、少なくともヒロキに、激励の効果は果たし始めているのは確かなようだ。モトジは、その計画はたとえヒロキがその受け取りを辞退したとしても、ひとつの成功を修めていると思った。
 日本は、停滞の十年が二十年にも長引いて、それでも出口も見えないでいる。おまけに、国は借金を重ね抜いて投資し、経済の浮揚をはかったはずだったが、残ったのは、二年分の経済規模にあたる累積債務だった。ということは、その返済には、全国民が二年間、飲まず食わずで働かなければならないということだ。そこであげくには、増税だ。余力のある企業は縮小する国内市場を見限ってみな海外へと出てゆく。雇用もいっしょに海外に輸出されてゆく。
 三十を越えたヒロキが日本にもどれば、たちどころに冷酷な逆風にさらされるのは明白だ。それに比べれば、このオーストラリアは、その豊富な地下資源のお陰で、まだなんとかは成長を維持している 「ラッキーカントリー」 である。
 にせの家族とはいえ、親身になって思えば、何とか彼をこの幸運な国のどこかにとどめさせてやりたいと思うのは 「親心」 だった。それに、自分もその恩恵にあずかり、オーストラリアの伝統的国民感情とでもいえる 「メイトシップ」 と呼ばれる仲間意識を、ヒロキにも味わさせてやりたいとモトジは思うのだった。

 つづき
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