「両生空間」 もくじへ
「共和国」 もくじへ 
HPへ戻る
前回へ戻る

 私共和国《訳読》― 第2回

“ボケ”ずに生きる

どうすれば脳の健康を保ち、認知症を予防できるか


第2章
認知症の主な病態




 アルツハイマー病
 1906年、アロイス・アルツハイマー〔Alois Alzheimer〕博士は、アグスト・D との名の51歳の女性患者について、以下のように描きました。
 彼女の死後解剖の際、彼が顕微鏡でその脳を観察すると、彼は彼女の脳のいたるところの、 「垢」 もしくは、蛋白質の異常な集りに注目しました。アルツハイマーは、同様な臨床上の問題をもつ数人の患者の脳にこの現象を観察した後、それに 「アルツハイマー病」 と命名し、その用語は1910年には医学語彙として採用されました。

 アルツハイマー病の典型的病状
 私たちは今日、アルツハイマー病や、その典型的な経過、そして関連した脳の異変の様相について、もっと多くのことを知るようになりました。
 アルツハイマー自身が観察したように、アルツハイマー病は最初、記憶の障害として発症します。その典型的な症状は、その人が身の回りの重要なもの (例えば、鍵やリモコンスイッチ) を頻繁に忘れ、イライラしたり怒ったりするようになり、やがて、必要な日常活動に支障をみるようになります。方向感覚にもそれは現れ、買い物から家に戻ることが難儀になり始めます。また、本人は、最初は隠したりごまかしたりしているのですが、家族を認識することを間違うようになると、家族が心配を始めます。それでも事態はいっそう悪くなります。その人が言いたい言葉を言えなくなると、通常の会話も難しくなります。昔のことや個人生活に大事な行事についての記憶、世界の出来事への一般的知識、そして、人的関係も崩れてゆき、ついには、その人が無事に生きる能力すら危なくなるに至ります。この段階になると、若い頃は穏やかだった人もきわめて感情的となり、暴力的で攻撃的にもなります。そして、不可解なものを見たり聞いたりし始める場合もあり、こうなると多くの場合、家族が療養施設か在宅介護かを考慮し始めるという、辛い決定のきっかけとなります。アルツハイマー病をもつ人が療養施設に入った場合の余命は、通常のケースでは5年以下です。アルツハイマー病の人は通常、広がった行動障害と弱まった免疫機能により、胸部感染にかかるか、もしくは、身体に不可欠な生理学的機能を脳が満たすことがただ不可能となって、亡くなることとなります。
 私たちは、こうした病状より、記憶障害をアルツハイマー病の、ことにその初期の段階での中核的特徴と見ます。この病気はそうして、計画や問題解決の障害を含む段階へと進み、さらに著しい人格、抑制上の困難がそれに続きます。後期のアルツハイマー病では、精神病的な兆候すら見られるようになります。
 このように、アルツハイマー病は、最初は記憶消失症候群を発症し、次に、全般的認知障害を、そして、毎日の自立した生活の実行が不可能となる重篤な段階へと、 いくつかの様相を明瞭にたどってゆきます。

 アルツハイマー病の診断
 上に述べたような病相の変化のパターンは、どのアルツハイマー病患者にも一貫しています。このため、研究者は、治療や見通しを定めるにあたって、各々の食い違いが生じないよう、この病気の臨床上の診断には共通の基準が使われています。そうした基準の主な項目は以下の通りです。
 上に記した基準内容からも、アルツハイマー病による家族、友人、および患者の介護者への影響が甚大であることは明白です。ヘンリー・ブロダティ〔Henry Brodaty〕教授――オーストラリアの最も著名なアルツハイマー病臨床医ならびに研究者のひとり――は、認知症の家族や介護者への影響を取り扱う〔医学〕分野を国際的に率いてきています。つまり、アルツハイマー病患者の介護者自身も、心身両面の健康問題をかかえる危険を負っています。したがって、開業医やその他の医療専門家は、注意をおこたることなく、アルツハイマー病におかされた本人の周辺の人たちの心身ともの健康への配慮が必要です。こうした問題や、認知症の家族にとって最善の介護法とはどういうものかについての詳しい情報は、第6章末の 「焦点」 を参照にしてください。

 
アルツハイマー病の原因
 明白な結論から先に言えば、私たちはいまだに、アルツハイマー病の原因が何かは解っていません。テレビで人気をよぶ推理番組見ていて、視聴者はよく疑惑ある人たち――犯罪現場付近にいたとか動機があったとかとして――を並べ上げれますが、〔アルツハイマー病の場合〕、私たちは、煙むる銃〔明白な物的証拠の意〕は言わずもがな、凶器らしきものすら見つけていません。要するに、私たちは、状況証拠はつかんでいるものの、完璧な証拠はまだ見逃しています。
 アルツハイマー病発症の伝統的な説明は、アルツハイマー博士が観測したのと同様に、異常な垢に、当初、その原因を求めました。それは、?人が認知症になる、?研究者はその脳を検査する、?通常には存在しない大量の粘性の蛋白質の沈着を発見するという、一見する限り明白な過程です。したがって、そこにその因果関係を見るということとなります。しかし、こうした垢が何から出来ており、どのようにそこに溜まったのかについては、何も解っていません。
 アルツハイマー病の垢はベータ・アミロイドという蛋白質が、集まり、ねじれた形で沈着したものです。まれな早発型アルツハイマー病では、認知症が50歳以前で発症します。早発性アルツハイマー病はアルツハイマー病全体の5パーセント以下を占めるにすぎませんが、特定の遺伝子的変化がそれに関係しているために、科学者の強い関心を引き付けています(第5章の焦点を参照)。例えば、私たちは誰でも、各細胞の核に23対の染色体を持っており、その21番目の染色体での変化が、ベータ・アミロイドを異常に多く生成させることに関係しています。ことに、早発性アルツハイマー病患者のなかには、常軌を逸したレベルのアミロイド前駆体蛋白質 (Amyloid Precusor Protein (APP)) ――脳細胞のほとんど全体の細胞膜をおおう蛋白質 (第6章〔第5章の誤り〕の図‐4参照)――を作る異常な遺伝子をもっている人がいます。アミロイド前駆体蛋白質は、脳細胞の中でベータ・アミロイドを生成する酵素によって分割され、脳細胞間の隙間(細胞外間隙とよばれる) に分泌されます。この初期のベータ・アミロイド――顕微鏡で垢として観測される――となって蓄積されます(図-1参照)。この種の変化はまた、多くのダウン症の人――21番目の染色体の二つに代わって三つを持ち、早発型アルツハイマー病を発症するいっそう高い危険性がある――にも見られます。

    

 アルツハイマー病に関する 「アミロイド仮説」 は、繊維状のベータ・アミロイドが脳細胞に直接の毒性(神経毒)をおよぼすか、もしくは、アルツハイマー病垢の存在が脳の免疫反応を活性化させ、それが垢を除去することを妨げるなかで有害な炎症の原因となる、つまり、間接的な神経毒となるというものです。だがいずれにせよ、アルツハイマー型認知症の患者の圧倒的な多数(95パーセント以上)は私たちが知る限りでは優勢に遺伝性ではない遅発型であることを頭に入れておくことが重要です。つまり、早発型に見られるそうした変化が遅発型でもおこっていることの意味について、私たちはまだよく解っていないのです。
 垢がアルツハイマー病患者の脳の中によく見られながら、その分布が脳のそうした部位と一致していないという仮説内の矛盾点は、個々の症状が示していることです。アルツハイマー病が典型的に記憶障害から始まることを前提とすると、そうした部位は脳の記憶中枢である海馬であるのが自然と思われます。この海馬(ギリシャ語でタツノオトシゴの意)は、脳の深部のほぼ底にある、折り曲がったソーセージのような奇妙な形をした組織です。それは、すべての哺乳動物で、適正な記憶機能に決定的役割を果たしています。私たちは誰でも、右と左の一対の海馬をもち、互いに高度に相互影響しあっています。
 しかし、早発型のアルツハイマー病をもつ高齢者の脳をみると、私たちは、その海馬にベータ・アミロイドの垢を見ることはあまりなく、むしろ、神経線維のもつれ、と呼ばれる、異なった形の病理学〔的現象〕を見ることとなります。このもつれは、脳細胞間隙に生じる垢と異なって、脳細胞内で発生します。そのもつれはまた、異常にねじれた蛋白質――この場合、τ蛋白質――からなります。研究者は、もつれが海馬から始まり、それが脳の皮質に広がり、そして最後には、脳のすべての部位に蓄積するとする、典型的なパターンを論文化しました。こうしたパターンは、アルツハイマー病患者に見られるパターン――最初に記憶障害、次に全般的認知障害、そして最後に脳機能の不全――とほぼ重なり合うものでした。
 こうして、1980年代までに、その論争の段階は、前代未聞で最大の医科学紛糾のひとつ―― 「バプティスト派」(ベータ・アミロイド説支持者) か、、「τ説派」(τ理論支持者) か――の様相を示すこととなりました。冷静な科学的観察家にとって、何十年にもわたってこの分野に君臨してきたこきおろしや狭隘な論争のレベルは、控えめに言っても、驚くべきことでした。それにしても、いずれの派が正しいのでしょうか。だが、関与した誰にとっても不運なことに、その答えは、 「多分、どちらでもない」 となりそうなのです。
 アルツハイマー病の根本原因を追究するにあたってのひとつの問題は、その時間的広がりが極めて長いことにあります。死後解剖されたアルツハイマー病患者は、通常、病気が重篤にいたって死亡したもので、私たちは、その病気の最終的な段階の一瞬をみているだけです。アルツハイマー病の世界での言い伝えがあります。即ち、 「墓石は人が死んだと語っているが、何で死んだとは言っていない」。つまり、アルツハイマー病の過程はおそらく症状の現れる何年も前に始まっており、そして、解剖にいたるまでにも、さらに何年もの年月が経過しているのです。こうして、 「垢」 も 「もつれ」 も、おそらく、何十年も前に始まった神経学的な経緯の 「墓石」 あるいは終着点かも知れないのです。 「垢」 も 「もつれ」 も、おそらく、何のかかわりもない通りがかりの者にすぎず、本当の犯人は、すでに逃げ去ってしまっているのかも知れません。
 さらに心配されることは、 「垢」 と 「もつれ」 のいずれかが、中度から重度なレベルの人たちの30パーセント以上は、生涯で一度も認知症にはなっていなかったのです。
 それでは、もし、病理学上の究明が臨床的なそれと何も明瞭な関係がないとするなら、一体、何がおこっているのでしょうか。要は、脳とは、それほどに複雑だということです。余りな詳細へと踏み込むことを避けたとしても (これを書き始めれば、優に一冊の本となってしまう)、ここでは、少なくとも、二つの重要な要素に言及する必要がありそうです。
 第一に、現在、私たちの脳についての理解によれば、それは、アルツハイマー病で乱される、考えたり、感じたり、理解したりする高度な認識機能をつかさどる、高度に複雑でダイナミックな脳細胞間の連結をもつものだということです。つまり、シナプス(脳細胞間の結合)への損傷と臨床的状態との相関関係を見た時、これまでの研究結果によって、アルツハイマー病の臨床的影響の約50パーセントは細胞間のシナプスの消失によって説明でされるということです。
 こうして最近、アルツハイマー病研究経路は、ベータ・アミロイドやもつれが、いつ、どのようにしてシナプス機能を破壊し、また、それもなかったかもしれないことに、特に焦点を当てるように転換されてきています。私の見方では、これは歓迎すべき転換です。例えば、脳からベータ・アミロイドを除去しても、その脳はシナプスの数に何らの変化も与えず、臨床状態にも変化はありません。従って、ベータ・アミロイドの角度からの追究をさらに続けてゆくことは、治療戦略としては、恐らく、時間と資源の浪費です。
 第二に、脳は、ニュートンの運動の第3法則――あらゆる運動には同等の反作用を伴う――に従うのを好むようです。つまり、脳がいくつかのシナプスを壊す小さな損傷を受けた時、新しいシナプスが再生する傾向 (シナプス発生と呼ばれる過程) があります。これは、ただ特定部におこるばかりでなく、その他の部位でも同様におこります。そこでここに、二人の仮定上の人物を想定しましょう。即ち、その二人の脳は、ベータ・アミロイドやもつれのレベルは同等ながら、片方は他方よりより強い穴埋め的シナプス発生をもち、認知障害もより軽度だとします。興味深いことは、第7−8章で見るように、生涯をとおして精神的に活動的であることは、初期のアルツハイマー病の障害を穴埋めする脳の能力を高めるための不可欠な方法であるらしいことです。
 ご記憶のように、私たちがアルツハイマー病について述べた際、私たちは、二つのことを、二つの違ったレベルで述べていました。すなわち、脳の病理学と臨床上の症状です。病理学とは、ベータ・アミロイドやもつれを含む、一世紀昔、アルツハイマー博士によって最初に注目された脳における変化のことです。一方、人々は広く、アルツハイマー病関連の認知症――記憶障害から始まり、完璧な無能力へと増悪する一連の症候群――の予防法にいっそうの関心がありました。これが臨床上の症状です。
 これらふたつのレベルには、明らかな知識上のギャップがあり、そこで私たちは、シナプスの結合はこの二つの領域を結びつける重要な要素であると考え始めたのです。
 さてここで、私たちは議論を、認知症の別の形である血管性認知症に転じてみたいと思います。そこでは、生物学的変化と臨床的症候が、私たちをおなじように悩ませることとなります。


 血管性認知症

 
血管性認知症とは何か
 血管性認知症は、発展途上国では、認知症のもっともよく見られるタイプですが、先進国では、アルツハイマー病型についで第二に一般的なものです。血管性認知症は、脳卒中の後の一年以内に、その患者の20〜30パーセントに発症します。脳卒中は、医学上の緊急事態で、脳への突然で一時的な血流供給の停止がおこることです。それには二つの原因があり、ひとつは虚血性脳卒中、他は出血性脳卒中です。前者では、脳への動脈血流が、油脂性の付着物の次第な堆積、あるいは上流からの血の固まりか油脂性垢の断片による突然の詰まりによって阻止されて起こり、狭い動脈内をふさいで正しい血流を妨げます。他方、出血性脳卒中は、動脈の突然の破裂がおこり、下流への血流が無くなってしまうことです。
 脳卒中の急性な症状は、その血流の支障が脳内のどこで発生しているかに関係します。その一般的症状は、突然の会話の喪失、身体や顔の片側のみでの弱まり、腕や足の強いしびれ、突然のバランスや協働の障害などです。通常、こうした症状は、年配者か、あるいは、以前に脳卒中をおこしたことのある人に起こりやすく、その場合、早急に救急車で病院に運ばれる必要があります。そしてその緊急性は、治療までに要した時間が脳卒中による身体障害の主要な決定要因であることで証明されています。
 血管性認知症は、しかしながら、脳卒中の急激で短期的な症状としてはちょっと別物です。それは何ヶ月もかかって現れる傾向があり、その身体的障害が完全に解消するか安定化するまでに一年余りを要し、そして、物理療法や作業療法による管理治療を続けてゆくこととなります。認知症のように、最初の障害は認識的なもので、それが全体的精神機能不全や日常生活上の困難へと発展してゆきます。
 シドニーの神経精神医学研究所(Neuropsyckiatric Institute) のパーミンダー・シャクデフ (Perminder Sachdev) 教授が率いた調査では、記憶は必ずしも最初に影響されたわけではなかったことを示しています。むしろ、血管性認知症患者の持つもっとも共通した初期の認知障害は、問題解決、注目、抑制の問題でした(5)。そうした患者は、例えば、禁欲的老人が時に泣き出すというように、正常な人より感情的であると配偶者たちは述べています。血管性認知症患者は、当面の課題に焦点を当てることに問題をもち、週間予算を計画するといった複雑な課題が達成しえなくなります。一般的に言って、そうした患者は、無神経で軽率となるようで、不適切なことを口にしたり、時には、社会的に受け入れがたいことを行動したりします。その人の考えの脈絡は取りとめもなく、会話は無意味に道を外れ、ねじれ、そして転換したりします。総じて、血管性認知症はアルツハイマー病より、うつ病とか無気力といった精神医学的症状がより広く見られます。
 この病気は、また、アルツハイマー病より予想しにくい経緯をたどります。あるものは、最初の一年で顕著な悪化を示し、その後は比較的安定化し、他のものは、ゆっくりとした悪化が持続します。私たちはまだ、脳卒中の後一年に顕著な障害をもった患者がどれほどの割合で悪化を続けていくのかについてはよく解っていません。病状が悪化する人たちで、介護施設への入院は、家庭で安全に暮らす能力をなくすこと――時には実にむさくるしい生活状態へと導く、乱れかつ常軌を逸した行動――が引き金となります。一方、安定を維持する人たちでは、そうした症状は、時には、社会的サービスや、配偶者あるいは家族の貴重な世話が増えることによって調整される場合があります。重症な血管性認知症においても、長期的記憶は比較的よく維持されています。これは、短いながら平静な時期が再生しうることでもあり、病気のベールの背後に隠れていた 「真実の人格」 が一見されることを意味します。介護施設へ移った後の余命の見通しは、しかしながら長いものではなく、長くとも数年であって、おそらく、アルツハイマー病の場合よりも短いでしょう。

 
血管性認知症の原因
 最初の脳卒中が血管性認知症における明瞭な役割を演じるのですが、臨床神経学一般がそうであるように、病気の発端ほどに、ことは単純ではありません。
 というのは、第一に、脳卒中の位置もその規模も、いずれも、それのもたらす認識上の障害の程度とは顕著な関係を示してはいません。つまりこれは、アルツハイマー病で述べたような、臨床-病理学間の微弱な関係を観測していることに相当します。第二に、脳卒中には様々のタイプ、寄与、ならびに重篤度があり、そしてまた、そのすべてが血管性認知症に至るわけでもありません。最後に、過去に脳卒中の経験があるということが血管性認知症の正式基準に含まれていながら (他はほとんどアルツハイマー病の場合に一致)、それでもこれは、多くの高齢者が脳卒中を起こす可能性を持ち、そしてそれを知らず、そして訴えもせずに (すなわち、静かな脳卒中)、結果的に血管性認知症の症候をもっているといった事実をカバーしえていません。
 こうした潜在的な脳血管病の幅広い異類混合に、理論家の中には、 「血管性認知症」 という用語自体が正しくないのではないかと問う人もいます。そうして、血管性認知障害、脳血管性認知症、小血管性認知症、脳白質変異病などなど、いくつかの対案が提唱されてきました。ともあれ、確かなことは、脳血管病のスペクトルが存在していることです。たとえ脳が完全に健康で、50歳以上で何の症状もない人でも、そのほとんど誰もが、何らかのレベルの脳血管病を、とくに脳の中心部にある脳室をめぐって、持つ可能性があるのです。この異様な形の部位は、脳脊髄液で満たされており、この液は大部分、水が成分ですが、脳全体や脊椎を浸しています。
 脳の探索を深めてゆくと、ある人は一つかあるいは幾つかの小さな脳卒中部 (直径1.5cm以下)を持っており、他の人は白質部のさらに拡散した脳血管病を持っています。脳の白質は、大きな束の軸索で、脳細胞を互いに結びつける伝達連結をつかさどっています。こうした軸索は、それをおおう絶縁体である脂肪分により、裸眼には白く見えます。さらに、これら以外の人は、大量の脳細胞の消滅をともなうより重い白質病をもつ可能性があり、また、さらにそれ以外の人は、脳卒中の部位に明らかに死んだ組織の残骸をもっています。こうしたスペクトルは潜在的重篤度の尺度になるとも考えられ、無差別に現れる血管性認知症を、大規模な脳卒中を伴うものから、最小の白質病までにわたらせています。
 そうだとすれば、これは何を意味するのでしょう。
 さらに熟考された仮説によると、すべてではないにしても、大半の脳血管病はともに、脳の深い組織と前頭葉とを連結する白質軸索束部の損傷を持っているのではないかというものです。前頭葉は、その名が示すように、脳の前半分を占める大脳皮質の大きな部分です。この部位の通常の機能は、注目、問題解決そして抑圧――まさに、血管性認知症で特に冒されやすかったそうした認識分野――に関与しています。
 アルツハイマー病型認知症は、病理学的に海馬に関係した記憶障害として発病しましたが、脳血管病はそもそも、前頭葉の正規機能の乱れに関連した前頭葉症候群であるようです。前頭葉において何が悪いのかは、厳密には良くは解っていません。例えば、それはシナプスの障害なのか、それとも、脳細胞間の白質連結の障害なのか、未解明です。それとも、実は単体、純正な脳血管病というものは存在せず、無数の脳卒中-認識野症候群なのかも知れません。でも、なぜ広い分野にまたがる異なった血流問題が、同じように前頭葉機能を乱れさせるのか、これも良く解っていません。
 アルツハイマー病のように、脳は機能を最大化するような自然の要請にそっているのですが、患者には脳卒中を原因とする障害を穴埋めする能力に違いがあります。また、アルツハイマー病でもそうであったように、複雑な精神的活動は、脳卒中後の長期的な認識上の障害を左右する主要因でありそうです。そしてそれは、何らかの脳損傷の後の結果を理解する上での一般的原則として、穴埋め的なシナプス発生に因っていることを示していそうです。この件については、第8と9章でさらに述べるつもりです。
 最後に、そして恐らくもっとも輝かしいことは、こうした新展開が、脳血管病とアルツハイマー病理学とを直結する、科学的解明のかってない主柱となっていることです。この研究は、血管の危険因子の追究を媒介に、血管性認知症とアルツハイマー病の双方の危険因子を軽減させる可能性を開き、過去十年間に登場してきた認知症探求におけるもっとも目を見張る分野の一つとなっていることです。こうした展望について、第3章から第7章において、より詳細を述べてゆきます。



焦点―― 「フィッシュ・アンド・チップス」

 私がGさんに最初に会ったのは、急患部において、朝もまだ未明の時でした。彼は腰の骨を折り、その顔は当惑で満たされ、そして、熱いポテトチップを両耳につっこんで、かつぎこまれてきました。彼はパジャマ姿でガウンをはおり、老人によく見られる格子模様のスリッパを履いていました。最初、Gさんからは、 「おまえはアイティーじゃないな」 と 「ずらかりたいんだな、そうはさせないぞ」 以外には、彼から何のまともな会話も得られませんでした。
 彼はいかにも苦痛そうで、骨折箇所への出血で脱水状態――これらすべて、ひとりの年配者が朦朧となり、混乱し、方向感覚をなくするには妥当な理由――となっていました。緊急の処置をした後、私は、彼が誰で、どうして急患部にこなければならなかったのかを見つけ出す仕事に取り掛かかりました。しばらくの時間とたくさんの穏やかな語りかけの後、Gさんはようやく落ちつきました。彼は自分の名前を告げ、幾つかの違った住所を言い、そして、 「フィッシュ・アンド・チップス」(訳注) が食べたかったと話しました。
 朝も遅くなる頃までには、心配したGさんの家族が息子に率いられてやってきました。この頃には、アルツハイマー病に関連した認知症との診断が濃厚となっていました。Gさんの息子は、 「しばらくの間」、介護付きの施設に入ってみようと父親を説得してきたところと説明してくれました。Gさんは牛乳配達屋をした後、新聞販売店の所有者となり、そして、二次大戦の際は国に奉仕したと家族は説明しました。彼はつねに愛すべきお爺ちゃんでしたが、二年ほど前、会話の困難が始まり、それは悪化してきていました。息子さんによると、こうした困難は、Gさんの奥さんが亡くなった後、いっそう悪くなったといいいます。彼は同じ質問や話をしつこく繰り返し、事前の約束事や家族の行事も頻繁に忘れたそうです。
 約二ヶ月前、家族は警察からの連絡を受け取りました。Gさんが 「道に迷っている」 ところを発見されたということでした。これがきっかけとなり、彼はおそらく認知症にかかっていると気づきました。Gさんはとても頑固な性格だったので、家から出ることを拒否しました。家族は当番制を組んで、有効な食事をとっているか、正しく風呂に入り、服を着ているか、などなどを確かめました。家族によれば、彼の性格のいくらか、ことにその特有の頑固さはまだ残っているものの、本当の 「彼らしさ」 は、ゆっくりと消え去っているようだということでした。彼は、家族の名前や関係はともあれ、少なくとも、その顔の見分けはつくようでした。
 その日、私たちが判明できたことは、Gさんは、その夜中、お腹が減ったので、自分の家から歩き出し、そして何かにつまずいて転倒し、腰の骨を折りました。でも、その夜、彼がどのように熱いチップを手に入れたのかまでは解りませんでした。
 悲しいことに、そういうGさんの夜食の好みは、彼の認知症を証明することとなりました。彼はその後、一週間も経ないで、整形外科手術に関連した併発症で亡くなりました。家族は、誰もがそう思うように、もし、自分たちが父親にもっと断固とした態度で接していたら、こんな結末にはならなかっただろうと、途方にくれていました。私は、別の運命がもっと穏やかな結果をもたらしえたのかどうか、いまだに確信がもてないでいます。

 つづき
「両生空間」 もくじへ
「共和国」 もくじへ 
HPへ戻る