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私共和国《訳読》― 第5回


“ボケ”ずに生きる

どうすれば脳の健康を保ち、認知症を予防できるか

   

第5章
コレステロールについて




 私たちのうちのほとんどの人は、健康な身体を維持するために、コレステロールの制御が重要だと知っています。そればかりでなく、私たちはまた、 「善玉」 コレステロールと 「悪玉」 コレステロールの区別についても心得ています。そうなのですが、医学に明るい人でも、コレステロールと脳の働きそして認知症の関連が、アルツハイマー病解明の手掛かりとして注目され始めていると知らされると、目を見張ります。


 身体はどのようにコレステロール水準を管理するのか
 私たちの体がコレステロールを扱う方法は複雑ですが、それがどのように体に入り、それがどのように内部で新陳代謝し、そして、それをどう排泄しているのかを知る事は大切です。
 コレステロールは、私たちの体に、食物を介して入ってきます。動物性脂肪や卵は、コレステロールの単独の自然源です。それは、私たちの腸で吸収され、血流によって肝臓へと運ばれます。実際、脂っこい食事の後、私たちの血液は吸収したすべての脂肪で白濁し、コレステロールは脂の小滴として浮遊しています。肝臓は、そうした浮遊コレステロール混合物を取り込み、二種の平行した新陳代謝過程を同時に働かせます〔下の図-2参照〕。
 そのひとつでは、外因性経路と呼ばれる、いわば閉じた輪の過程を経ます。そこでコレステロールや胆汁酸は、肝臓から汲み出されて胆嚢に蓄えられ、そして腸に再び戻され、消化を助けたり、再吸収されたり、あるいは、用便の際に排泄されたりします。したがって、この 「胆汁システム」 が、胆石などで塞がれたりすると、いろいろな結果のひとつとして、血漿の増加を引き起こします。
 第二は、内因性経路と呼ばれるもので、それは、肝臓や体がどのように腸外のコレステロールを分解し再合成するのか、とでもいえる過程です。私たちの肝臓は、常時、血液を通して運ばれる大変低密度のコレステロール (VLDL) を組換え、そして、毛細血管の中の酵素によって低密度コレステロール(LDL)に変換しています。肝臓内のLDL受容体は、サーモスタットのように、肝臓がLDLの水準を一定に保つよう働きます。高濃度のLDLはVLDLの産生を抑え、低いLDLはその逆に働きます。LDLは体内のすべての細胞に取り込まれ、細胞膜の主要成分となります。
 細胞の内部では、LDLを取り入れた後、 「負のフィードバック」 制御が生じます。つまり、LDLがさらに取り入れられと、細胞表面の受容体が減少してLDLが取り入れられる量を制限します。LDLが入ると、HМG-CoA還元酵素と呼ばれる主細胞酵素が減り、これにより、細胞中のコレステロールの再形成が抑制されます。最も商業的に成功した薬のひとつであるスタチン 〔HМG-CoA還元酵素阻害薬〕 は、この主酵素の働きを抑制することで、最小の副作用でもって、血漿中コレステロールを減らします 〔つまり高コレステロール血症の治療薬〕。
 コレステロールは、私たちの各細胞から高密度リポ蛋白質(HDLs) 〔混合体〕 の形で出てゆき、肝臓に特化された受容体があるため、それは血液から 〔肝臓内に〕 再吸収され、そして他の形に再変換されて再使用されるか、分解されて外因性経路を通じて排泄されます。こうしたとても複雑なプロセスは、図‐2に略図化されています。


図‐2 コレステロールが体内で処理される簡略図

注目点は、外因性経路はコレステロールが腸を主体に循環し、
内因性経路はコレステロールが肝臓によって変換そして再変換されること。

  

 このように、人体が、コレステロールの水準を一定に保つために、極めて高度なシステムをもっていることには驚かされます。肝臓はその一種の指揮官として機能し、どれほどを出し入れし、どれほどを互いに変換し合うかをつかさどっています。さらに、身体は、過剰なコレステロールを取り入れないように、どの細胞も 「負のフィードバック」 機構を備え、多重な調整能力を働かせているのです。


 
食物コレステロールを取り過ぎた時、何が生じるのか
 通常、身体の精密な調整機能を備えたシステムは、驚くべき働きをしてくれています。しかし、現代社会の根深い問題は、そうした〔私たちの身体の〕進化が、今日の生活スタイルや食物の変化に追いつけないことです。私たちは今日、自分の体の肝臓や細胞が対応しきれないほど多量の、動物性脂肪やコレステロールに富んだ食物を摂取しています。この過剰な食物コレステロールが意味することは、細胞や血液が低密度コレステロール(LDL)で飽和されていることです。そうして、一連の良くない連鎖が始まり、その動脈や静脈の内壁にコレステロールを持った細胞が蓄積し、垢や炎症を起こします。そこで私たちの血管は狭く、また固くなり、血流や柔軟性を悪くし、それは、心臓内の主要な血管を狭心症状態へと導きます。往々にして、こうした垢は不安定で剥げ落ち、あるいは、血管が完全に塞がれ、心臓マヒや心筋梗塞を引き起こします。
 だが幸いなことに、現代の医学はこの複雑な生体現象を解明してきました。私たちはいま、血管の中のこの有害なコレステロールの蓄積を、薬学的あるいは非薬学的な方法によって、比較的安全かつ容易に管理することができます。そうして、先進国ではこの20年間に、動脈硬化、心臓マヒ、危ない狭心症、そして心臓血管病による死亡事例を確実に低下させてきています。その結果、この同じ期間に、私たちの寿命も延びてきました。しかし、この医学的業績の予期していなかった結果は、65歳を超えると、5歳加齢するごとに、私たちが認知症にかかる危険性が2倍以上に増加するようになったことです。また、同じく予期していなかった結果として、こうした寿命の延びと伴に、コレステロール新陳代謝経路で起こってきていることと同じことが、アルツハイマー病においても意味をもつようになっていることです。


 
コレステロールと脳の働きの関係
 脂っぽい脳
 驚かされることに、脳は私たちの体の中で最もコレステロールに富んだ臓器です。人間の脳細胞はコレステロールを扱う上や、その目的の上でも、たいへん特異な発達を遂げてきました。脳は、食物コレステロールや肝臓で変換されたコレステロールに依存するのではなく、星状膠細胞と呼ばれる、過小評価しかされていない脳細胞の働きをつうじて、独自のコレステロールを産生します。星状膠細胞で産生されたコレステロールは、アポリポ蛋白質E(APOE) と呼ばれる特異な運搬分子によって神経へと運ばれます。私たちの神経はAPOE混合物を内部に取り入れ、それが脳細胞内の小細胞器官によって変換されます。こうした脳細胞産生コレステロールは、コレステロール脂質塊――脳細胞外膜内の小片で、そこではコレステロールが凝縮して「埋め込まれ」ている――として細胞膜に取り入れられます。図-3では、こうした経緯を簡略図で示してあります。


図-3 脳内のコレステロール
 図の上半分は脳の、神経、星状膠細胞、毛細血管の 「三者構成」 を示し、コレステロールが星状膠細胞で合成され、そしてコレステロール複合物として神経に移されることを示す。
 下半分は神経細胞外膜の拡大図で、どのようにコレステロール脂質塊が必須な部分であるかを示している。すなわち、α、β、γセクレターゼの働きを助けてアミロイド前駆蛋白質を切断し、ベータアミロイドを細胞の外へ排出する。

 そこで、神経生物学のある専門分野が、何十もの脳細胞膜の受容体や酵素が、こうした脂質塊の適正な密度と構成にいかに決定的に依拠しているかを解明してゆくこととなります。驚かされることに、ベータアミロイド――アルツハイマー病に関する古典的仮説上の病理的因子――の産生もまた、こうしたコレステロール脂質塊の活動に依拠するということになります。
 私たちの知る限りでは、ベータアミロイドが細胞の外で産生されるためには、少なくとも、三つの決定的な出来事が必要です。第一は、アミロイド前駆体蛋白質(APP) (長い蛋白質で、脳細胞の内部と外部の両方にわたる長さがある) が、アルファ・セレクターゼと呼ばれる酵素によって内部で切断される必要があります(こうした説明は専門用語に頼り過ぎですので、図-3はその理解の助けになると思います)。 アルファ・セクレターゼは、コレステロール脂質塊とじかに接しているようではないことです。第二は、ベータ・セクレターゼやガンマ・セクレターゼが、アミロイド前駆体蛋白質を切断し、ベータ・アミロイドを細胞の外へと排出することです。第三は、両方の酵素が、ともにコレステロール脂質塊と直接に接触していることです。
 生物学的研究が示したことは、細胞コレステロールが減少すると、ベータ・セクレターゼを抑制し、したがって、細胞外のベータアミロイドを減らすことです(18)。また、細胞コレステロールを減らすひとつの方法は、心臓病治療用にコレステロールを下げるために広く用いられてる薬と同じスタチン 〔HМG-CoA還元酵素阻害薬〕 によって、細胞を処置することです。ベータアミロイドを多量にもつ遺伝子操作されたネズミを用いた研究では、スタチンによる処置は、ベータアミロイドの産生とアルツハイマー発病を減少させています。また、スタチンを人に用いた場合、腰椎穿刺の後の脳脊髄液の計測では、ベータアミロイドの産生量を減らすことは認められています。

 
臨床試験
 読者も予想するように、良好な結果が実験室や動物実験では見られ、人を対象とした試験がまだ為されていない場合でも、それが臨床試験において、良好な結果として確かめられる場合があります。〔同じように〕臨床家たちも、良好な結果を期待するに足る根拠をもっていました。つまり、疫学的研究により、中年期の高いコレステロール値と後の高齢期のアルツハイマー型認知症発病の増加との関係が明らかとされ、さらに、長期の追跡調査により、すでにスタチン治療を受けた患者は認知症の発病の危険を下げる可能性があることが認められていたからでした。
 ところが、一つの無作為臨床試験であるPROSPER研究の結果は、そうした高い期待をみごとに落胆に変えさせました。すなわち、当初から高コレステロールを表し、心臓血管病の危険因子を持つ約6千人に、無作為抽出でスタチンと偽薬が投与されました。3年後の追跡調査は、両グループの間には、認知症の発症率の違いは見られず、完璧に予想に反する結果でした。薬品会社や幾人かの研究者は、 「正しく」 スタチンが試験されなかったとか、その他の方法的な問題を取り上げて、その研究を批判しました。現在、こうした薬の認知症への効果を見る、さらに9件の無作為有対照試験が進行中です。
 さらに最近の研究は、血液のコレステロール水準と認知症の関係を調べた以前の研究を疑問視し始め、いっそうの混迷をもたらしています(19)。たとえば、幾つかの死後解剖研究によると、アルツハイマー病患者は、健康な者より、その脳細胞膜のコレステロールが少なく、そこへのスタチンの服用によるいっそうの減少は、実際には、いっそうの悪化を招く可能性があるとしています。また別の例では、導入遺伝子によるアルツハイマー病ネズミの試験が、先行する試験で報告されていたベータアミロイド垢の形成の減少ではなく、むしろ、増加を発見しています。また、詳細な実験研究では、末梢コレステロール値(開業医が血液サンプルで計ったもの)と脳コレステロール値の間で、血液中コレステロールが高く、脳コレステロールが低く表れ、両者間に 「連関なし」 と報告されています。さらに、何件かの疫学的追跡研究では、スタチン使用と認知症の新たな発病との間に関連を見つけることできず、そうした関連を示唆した先行するデータに疑問を表しています。
 さらにやっかいな見解は、古典的なベータアミロイド仮説をも誤りであるとするものです。一方の実験的研究がスタチン治療でCFSアミロイドを40パーセントまでも減らすことを示せ、また他方で、大規模な国際的臨床試験が認知症発症率に何の効果も示せないとするならば、どこかが明らかにおかしいということになります。
 本書の別の箇所で述べたように、ベータアミロイドの消失と認知症の予防を自動的に結びつける仮説は、シナプス機能よりベータアミロイドに焦点を当てることでつくられてきた仮説です。しかしながら、シナプス機能と、コレステロール、ベータ・アミロイド、そして認知症の関係は、これまでに考えられてきたものより、いっそう意味深く、ダイナミックなのです。
 例えば、もし、私たちが、ガンマ・セクレターゼを遮断してベータアミロイドの産生を停止させたとすると、少なくとも実験室の中では、神経は死亡します。多くの科学者を悪夢から目覚めさせるかのように、ベータアミロイドの正確な生理学的役割が、ようやくいま、正しく認識されようとしています。いくつものグループが、ベータアミロイドは、細胞の中や周囲に浮遊している不安定金属の毒性を中和することで、抗酸化物の役割を果たしていることを示しました。他のグループは、ベータアミロイドがシナプスの作動の際に負のフィードバック機能を果たしていることに注目しました。つまり、シナプスの作動が活発になりすぎると、細胞は毒性のある副産物の形成の危険にさらされますが、その際、ベータアミロイドは、細胞にブレーキをかけるよう指令を出すのです。
 こうした発見は、ベータアミロイドが悪者で、消し去られる必要があるとする教条的見解に挑むものとなっています。こうした発見はまた、ならばどうしてアルツハイマー病にそれほどたくさんのベータ・アミロイドを見るのかといった質問に火をつけます。事実、私たちは、アルツハイマー病を (他の病理学的変化と伴に) 脳内のベータアミロイドの存在によって定義してきました。こうした定義は、私には、科学者をして、それ〔ベータアミロイド〕が記憶や認知症の機能障害を引き起こす何らかの役割を果たしているにちがいないと仮定するよう、誘っているように見えます。科学者の中では、今日、増大する人々が、アルツハイマー病に見られるベータアミロイドの増加は、脳による適正な適応の結果であり、まだ未確認のもっと 「上流」 の問題の代償の現れではないか、とする見解を持ち始めています。
 同じように、コレステロールを一定程度含有することは、脳細胞の膜に適正なシナプス機能を与えるためには必須です。シナプス――神経が相互に交信するために決定的な結合――部には、相対的に言って、アミロイド前駆蛋白質とコレステロール脂質塊の両方がいっぱいに詰まっています。シナプス膜はことにコレステロールとその多くの副成分に富んでいます。実験室では、神経にコレステロールを加えるだけで、シナプスの数は、特別の副物質の形成――シナプス結合を実行する神経伝達物質(これにより一つの脳細胞から別のものへと情報が伝達される)――とともに、著しく増加するのです。

 遺伝学、コレステロール、認知症
 最近のある研究が発見したところによると、ガンマ・セクレターゼ酵素の働きは、ベータアミロイドが産生されることと、コレステロールが脳細胞内へアポリポ蛋白質E(APOE)運搬分子を通じて入り込むことの、両方に関係していそうです。つまりこれは、古典的ベータアミロイド産生経路とコレステロール新陳代謝の間の分子的関係が、ネズミを用いた研究において、いよいよつきとめられた最初の立証です。その一方、ガンマ・セクレターゼの働きはまた、周囲のコレステロール脂質塊との適正な接触と活動に依拠しているということもあるわけです。つまり、アミロイドとコレステロールは、生物学的過程の高度な複雑性をもって、互いに依拠し合っているようだということです。
 そこで、いったい何が、一学問領域を越えるこうした複雑な生物学の全容を左右しているのかと言えば、〔遺伝学的に〕、それは、認知症に関連しそうな何百万もの遺伝子のうち、関連が確認されているのは、アポリポ蛋白質E(APOE)のみであったという動向です。ということは、もし、ある人の一親等家族に認知症患者があったとすると、その人が認知症を発症する確率も高いということです。では、どの程度その危険が高いのかというと、それは少々複雑で、その親族が認知症を発病した年齢と、その人の今の年齢の双方に関連していそうです。例えば、もしその人の一親等家族がアルツハイマー型認知症を早く(60歳ころ)に発症し、またその人がいま60歳だとすると、その人がこの先10年間に認知症にかかる危険は、80歳代に認知症になった親族をもつ人より、10倍も高いということです。その一方、その人が認知症を発症せずに70歳代末に達しようとしている場合、60歳代に発病した親族を持つ人に関する事例に照らして、来る10年間に認知症になる確率は増加しません。ややこしいですが、ともあれ、私たちが述べうることは、こうした複雑な遺伝的関連は、その人のDNAがどういうタイプのアポリポ蛋白質E(APOE)遺伝子を持っているか次第である、ということです。
 アポリポ蛋白質E(APOE)遺伝子は、第19番染色体内で発見され、三つの異なるタイプ――APOE2、APOE3、APOE4――の内の一つの情報を伝えます。私たちは、両親からそれを受継いでいるために、4タイプのAPOEの 「署名」 ――2/2、3/3、3/4、2/4、4/4――の内の一つを所有しています。こうした遺伝子伝授の結果、私たちの脳細胞によって産生された最終的アポリポ蛋白質Eは、まったく微小です。299のアミノ酸がアポリポ蛋白質Eを作っており、2/2と4/4遺伝子保持者の間の違いは、ほんの4つのアミノ酸の違いによるものです。しかし、この4つのアミノ酸は重要な影響をあたえます。というのは、 「一つの」 アポリポ蛋白質E遺伝子情報のそれぞれの 「4」 は、認知症の平均発症年齢を8年だけ早くします。一つのアポリポ蛋白質E遺伝子をもった人は、生涯中に認知症を発症する確率が3倍、二つのアポリポ蛋白質E遺伝子をもった人は8倍、それぞれに増加します。
 アポリポ蛋白質Eの血縁が、どのように、そして、なぜ、認知症の発症率をあげるのかについてはよく解っていません。そうなのですが、こうした血縁は、より 「アミロイド性血縁」 ――つまり、細胞膜内の正しいコレステロール水準を乱し、ベータアミロイドの産生を増やす――か、あるいは、それ自体が神経毒として働くのではないか、と考えられています。だがあいにく、現在時点では、これらは純粋な推定の域をこえてはいません。

 自分のAPOE4状態を検査すべきか
 ある病気の遺伝子上の危険因子の発見は、当然に、人々を落ち着かなくさせます。アポリポ蛋白質E(APOE)と認知症との関係はだんだん知られるところとなってきていますが、まだ、常識とまでには至っていません。それにはいくつかの理由があります。
 第一に、一般原則として、医師たちは、特別の理由のない限り、遺伝子上の危険因子を検査することを提唱してはいません。現在のところ、認知症の予防に確固に立証された戦略はないため、APOE4状態がどうであろうと、こうした情報を得ることにはおしなべて懐疑的で、積極的な行動指針も持ちえません。
 第二に、たとえ、ある人がその4/4の 「二倍確率」 保持者であったとしても、それで認知症になると断定されたわけではありません。確かに、その人が発病する確率は、他の人より高くはあるのですが、しかし、避けられない結論であるわけではありません。
 第三に、例えば、ある人が中年の時――認知症が差し迫った問題となるのはまだ20−30年先の時――、その検査結果を得たとしても、それまでに、認知症の新たな知見や治療法が開発されるかもしれません。
 したがって、APOE4がもたらす唯一の結果は、今のところは、ただ心配のみです。つまりは、前向きな点はなく、臨床上の効用バランスの点でもすべて否定的です。また実際に、読者がこの試験を受けたいと望む場合、その費用は完全自己負担となるでしょう。
 私自身、こうした遺伝的危険因子に対する的確な予防法が確立されるまで、APOE4試験を受けたいとは思いません。現在のところは、誰もが呉越同舟という訳です。そして、私たちが確立しているのは、いくつかの潜在的ないしは可能的予防戦略であり、それは、今後累積的に、認知症の発病の確率を減らすと期待されているものです。ですからこそ、それがこの本を書く動機となっています。
 

 教訓 その4 HDL(高密度)コレステロールを高く、LDL(低密度)コレステロールを低く維持することは、ほぼ確実に、心臓血管性疾病の危険を減らします。アルツハイマー型認知症については、その危険性を下げるという確かな証明はありません。

 推薦事項 その4 自分のコレステロールを健康なものにしましょう。

  どうすればよいのか


焦点――認知症は常に高齢で発病するとは限らない


 アルツハイマー型認知症は、圧倒的に高齢者の病気ですが、常にそうであるわけではありません。実際、若年性認知症は、その患者自身、その家族、その医療制度、そしてその病気に社会はどう取り組むべきか、といった点で、大きな問題を投げかけています。この特別なセクションでは、アドリアン・ウィズオール(Adrianne Withall) 博士――若年性認知症の研究を専門とする心理学者――がその現状を述べ、現在知られているその起こりや何が対応可能かという点について説明します。

  「若年性認知症」 とは、65歳より若い年齢時において、個人の記憶、判断、あるいは行動に変化が起こることを指しています。人生若年期の認知症は、その家族に想像を越える困難をおよぼします。そうした人々は、まだ若い配偶者、まだ子供の扶養家族、そして、重い経済的負担を背負った職業的にも最盛期にある場合がほどんどです。早すぎる退職や運転免許の喪失は、その患者自身にとってきわめて壊滅的で、その苦悩は家族全体に影を落とします。多くの場合、年老いた両親が、以前の役割を再度担わねばならず、認知症となった息子や娘に加え、その子供たちの面倒をみることとなります。
 若年認知症は、一般に考えられている程めずらしい病気ではなく、30−40歳の年齢層のおよそ二千人に一人、45−64歳ではおよそ千人に一人の割合で発症しています。認知症は、極めてまれな事例ではありますが、子供、十代あるいは青年にも発症しています。65歳以上の認知症の主な原因はアルツハイマー病ですが、若年認知症の場合、それはわずか三分の一ほどを占めるのみです。若年認知症のその他の原因には、前頭側頭型認知症 (多くの場合、攻撃性、人格変化、無感情、言語障害といった変化から始まる)、レビー小体型認知症、および、他の病気(例えば、パーキンソン病、ハンチントン病、多重動脈硬化など)、などがあります。
 もうひとつ注記しておくべきことは、若年認知症の原因には、いくつかの予防可能なものがあることです。それらには、血管性認知症、アルコール関連認知症、頭傷害による認知症、そして、エイズ関連認知症です。いくつかの認知症が予防可能であること――例えば、脳への過剰アルコールの影響についての教育――の社会的理解は、こうした病気をもつ人たちを減らすことに有用です。興味深いことに、オーストラリアでは1991年に義務化された、小麦粉へのチアミン 〔ビタミンB〕 の添加は、アルコール関連の認知症――主にチアミン欠乏症の影響――の発症率の低下を助けています。(20)
 若年認知症をもつ人たちの多くは、その両親から遺伝を引き継いでいます。これは、アルツハイマー型認知症や前頭側頭型認知症の幾つかの場合に該当します。多くの遺伝的に引き継がれた認知症の多くは、65歳以前に発症しているのですが、その危険自体は、比較的低いものです。遺伝性の認知症になるかもしれないとか、自分の病気が子供たちに引き継がれるかも知れないと心配する人は、遺伝検査をうけることができます。しかし、そうした検査を受ける是非は慎重に考えられる必要があり、遺伝〔専門家〕に相談することが重要です。
 若年認知症と分類される病気の多様性がゆえに、患者が当初に訴える症状にはいくつかの困難が伴います。しかし、ほとんどの場合、アルツハイマー型認知症をもつ若い人が経験する症状は、同病の年配の人が経験するものと同じです。主な違いは、65歳以下の患者には、この問題には、うつ、無感情、口論が増える、情緒や性格の変化、買いだめといった脅迫観念行動などの、行動上の問題が主体となることです。
 若年性認知症はその診断がたいへん困難です。かなりの人が、医師のところに来るまでに長い期間を要しており、また、医師に会っても、ストレス、抑うつ、生理不順といった、より一般的な説明をするのが通例です。したがって、そうした人たちは、認知症が診断されるまでには、永年を費やしています。幾つかの事例では、診断の誤りがゆえに、不必要な離婚、経済的困難、そして、家庭崩壊をまねいたりしています。私たちは、年齢に拘わりなく、記憶、考え方、行動についてのどんな心配も、医師に相談することを勧めます。そして、その症状、治療について、半年か一年ごとに、その医師に尋ねてみて下さい。さらに、そうした医師との相談の際には、可能な限り、子供たちも参加させてください。そうした相談は、両親や他の家族と同様、彼らにも有益なことです。
 若年認知症の人たちは、その人生上の、あるいは身体的健康上の違いにより、もっと高齢で身体的に弱体化した人に焦点を合わせた中心的な認知症介護は、うまく合いません。若年認知症の患者は、同じ年齢層の人びとによる介護を望み、ベリーダンスや山歩き、写真撮影といったエネルギッシュで楽しみのある行動に関心があります。治療サービスは、この病気をもった若い世代の異なった必要を認識することから始まりまり、望ましくは、年齢層ごとの対応が始められることです。
 若い人々にも認知症がありうるという理解の広がりは、認知症は年配者のみの病気だという神話を壊す助けとなっています。

 アドリアン・ウィズオール(Adrianne Withall) 博士
 ニュー・サウス・ウェールズ大学医学部精神医学科、
 初期認知症合同研究センター(Primary Dementia Collaborative Research Centre)
 研究員

 詳細情報は
 若年認知症支援グループやサービスについての情報は、全国認知症ホットライン、1800 100 500 へ。
  “Understanding younger onset dementia” (2008)、Alzheimer's Australia Quality Care Series. この良くできた包括的な記事は、ウエブサイト www.alzheimers.org.au の検索欄に、 「understanding younger onset dementia」 と打ちこむと得られます 〔ただし英文〕。
 ウィズオール博士は、若年認知症の患者やその介護者に関する幾つかの研究をしています。その連絡先は、+61 2 9385 2597 です。


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