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熱力業風景
(その5)


不思議なシーン


 英語では、労使関係を 「インダストリアル・リレーションズ」 と言います。
 そのインダストリアル・リレーションズは、なかなか底深い分野、あるいは、独特の毒性を伴う世界です。言い換えれば、それを階級問題領域とはいわずとも、人間世界の隠せぬ真実がこもっている世界です。
 たとえば、今オーストラリアでは、トヨタ・オーストラリアが人員削減を実施しているのですが、一月のその発表のすぐ後、トヨタ・オーストラリアの社長が記者会見を開き、オーストラリアの職場では、 「どうして病気休暇が 〔祝日と週末が連続する〕 ロングウイークエンド前に集中するのか、オーストラリアの労働者の心境の理解に苦しむ」 との苦言を発しました。
 ――日本でも、(現在ではどうかの知識はありませんが)、かってそういう状態が横行していました――
 そこで私が思ったことは、 「ははーん、社長さん、それを隠れ蓑に使っているな」 でした。というのは、こうしたオーストラリアの人員削減の発表と平行して、日本のトヨタ本社では、米国での生産拡大が同時に発表されていたからでした。つまり、豪ドル高と米ドル安の問題が、あたかも病気休暇の取得問題にすりかえられたかのシーンでした。おかげでその人員削減への社会的反発はくすぶったまま、今のところ、発火にいたらずに終わっています。
 別の例もあります。前回、 「
BMA炭鉱スト、深刻化」 とのニュースを掲載しましたが、この紛争のその後の展開は、4月11日、BMAが操業中の7炭鉱のひとつ (Norwick Park 炭鉱) を無期限に閉鎖すると発表し、労働側にあたかも “致死弾” を投げつけたかの対応に出ました。お陰で、その炭鉱に雇用されていた1400名 (常用490名、契約労働者910名) 全員が失職し、他方、廃土量が多く7炭鉱の内でもっとも非経済的な同鉱山でも、石炭価格の低下という最近の市場状況下ですら、利益率の減衰・赤字化を回避することができました。この対処により、BMAは、労働組合側への強烈な打撃と利益水準の維持という、一石二鳥の成果を獲得したわけでした。こうなると、それは労使紛争の深刻化どころか、資本主義遂行上の巧妙なトリックです。
 
 1985年から1988年の間、私が留学生として学んだ当時のその修士コースの名称は、インダストリアル・リレーションズ学科でした。それがその後数年して、 「職場関係・集団行動」 学科とのややこしい名に変えられ、現在では、 「人材資源」 学科の一部となっています。大学といえども、社会の新自由市場主義化への変遷――政府補助金が削減され、大学独自の経営努力を奨励――に順応せざるをえず、その看板をかき替えてきた結果です。
 四半世紀前のその当時、オーストラリアの労働組合組織率は50パーセントに近い高さでした。それが現在では20パーセントを切るまでに下がり、民間企業内では10パーセントを割っているでしょう。その数字の限りでは、もはやオーストラリアの労働組合は、オーストラリア全体の被雇用者を代表しているとはいえません。
 そうした先細りの状況の中で、各労働組合は、生死をかけた熾烈な生存競争に乗り出さざるをえません。しかも、来年末の総選挙では、保守連合の政権返り咲きが確実視されており、労働組合運動への締め付けが強化されることはあっても、その逆は考えられません。
 そうなれば、オーストラリアでは、インダストリアル・リレーションズであろうが職場関係であろうが、すべての労働組合がその主張を完全放棄して無条件降伏しない限り、その関係が極度に不安定化し、混迷をもたらすのは明らかです。従って、その 「毒性」 をどのように緩和そして除去してゆけるのか、まともな社会であるならば、それが問われないはずはありません。
 そこには、人間の人間たる要素――欲とか生活とか――が深く絡み合っています。今日の、もっとも高度かつ公正に合理的なはずの社会で、こうした、もっとも素朴で原則的な課題領域が取り残されているかの状況は、考えてみれば、不思議なシーンでもあります。

 以上を、4月15日までに書いたのですが、その第一実例のトヨタのケースについて、その後 (別掲記事参照)、いよいよ同社がその削減 (全従業員の約一割に当たる350名) を実際に行い始めると、やはり、労働組合側は黙っていませんでした。4月17日のオーストラリアン・ファイナンシャル・レビュー紙の記事によれば、 「トヨタ、 “役立たず” 労働者を刈る」 との見出しで、労働組合側が 「不利益扱い」 で会社の告訴にでるという発展です。
 会社側は、その選別を労働組合側も了解していたはずの基準――行動、技能、知識など――にもとづいて行った合理的なものと言い、組合側は、その基準には、「トヨタ方式」の理解、出勤率、チームワーク、ユニフォームの着用、労働の質などが含まれ、その350人には組合活動家が多く対象とされており、組合活動による 「不利益扱い」 を禁じた現行労使関係法に違反している、との主張です。
 私にしてみれば、やはりこうなったか、です。
 これがオーストラリアなのです。

 (2012年4月20日)

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