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 両生学講座 第4期 第1回


二重 “国” 格


 まずはじめに、今回より、本両生学講座は、第四期に入ります。 
 前回、 「ダブル・フィクションとしての天皇(第67回)」 で 「重層タブーの起源」 を書いて以来、ある “すっきり” した見通しができた気がしまして
、この新段階に入ることにしました。
 どう 「すっきり」 したのかは、以下をお読み下されば、ご了解いただけるかと存じます。

 この 「重層タブーの起源」 は、ちょうどこの訳読の第18章の終了と重なった議論となったのですが、その章のタイトルの 「機関か神か」 がいみじくも語っているように、その当時の日本社会には、そう二分した論議が起らざるをえなかったような、日本の歴史的発展途上の必要性がありました。
 つまり、対外的な顔――立憲君主制=天皇機関論――と、対内的な顔――天皇現人神論=国体明徴論――、という二重性です。
 まるで、個人の思春期の自我の二重性――親離れした部分の自我と親にぶらさがったままの自我――にそっくりで、そこで私はそれを、 「未成年」 と書きました。
 つまり、国際的な国家関係から求められる立憲君主制=天皇機関論と、議会制度に未熟な日本社会をまとめる装置としての天皇制=国体明徴論という、二重の顔の必要性です。方やに、国にとっての自国の国際関係の必要、他方に、若い自我にとっての自分の社会関係の必要、と並べてみると、両者の相似関係は明らかと思います。

 ところで、この 「天皇制」 を 「一党独裁制」 と置き換えれば、今日の中国を筆頭に、世界の成長途上の国々が、似かよったひとつのグループに見えてきます。つまりそれは、一人の個人の成長過程で通過する関門のように、ひとつの国がその成長過程で通過する関門でもあるかのようです。
 また、日本のかつてのその二重の顔というのは、そうした国際関係の軋轢の中で、自国の防御と攻勢の必要に迫られて取らざるをえなかった、国の存続上の不可避な二重性であった、とも言えます。
 すなわち、ひとつの国がその発展途上で通過しなければならない、この個人の二重性格にも似た国の二重性を、 《二重 “国” 格》 と呼ぶことにしましょう。

 ここで先の 「重層タブーの起源」 に戻り、そういう、今日までにも尾を引く日本の隠微な特徴に、この 「二重国格」 という見方を適用しますと、そうした特徴がこの 「二重国格」 の副産物であることが見えてきます。
 思春期を何らかのつまずきによって、健全に通過することのできなかった人物が、成人になっても、ある歪んだ性格を抱え込んでのがれられないように、その発展途上期を不健全に過ごした国が、その 「二重国格」 の支配から脱出できず、さらに、自分のその歪んで隠微な性格を隠すために、そうした重層したタブーを発達させてきた、というメカニズムです。

 しかし、いざそう種明かしされてみると、そのからくりは、その副産物のもたらした空恐ろしいような病相の累積と比べると、あまりにも簡明であることに驚きさえ感じさせられます。どうやら、病理とは、個人だろうが国だろうが、そういうものであるようです。
 つまり、その 「二重国格」 は、病理のそんな簡明性にもかかわらず、いったん形成されてしまうと、その症状= 「重層タブー」 が引き起こすものは、それが歪んで病的であるがゆえに、常態のもつ際限を容易に越えてしまいます。
 すなわち、その有無論争すら含む南京虐殺――その発生以来75年を経た今日でもその論争は今だに終結の気配がない――をはじめとする、アジア諸国での累々たる犠牲の規模、理解に苦しい余りに多くの無益な戦死者を生んだ戦争政策の展開、そして戦争終結決断の混迷は言わずもがな、病相治療の絶好の機会でもあった敗戦にもかかわらず、逆にその戦争責任が一部軍人に転嫁されてその 「二重国格」 症状が戦後へ延命されるなど、その病状と病巣の拡大は私たちが捉えられる認識の範囲すらを超えてしまっているかのようです。
 
 今後、訳読は、昭和戦前記のいっそう暗い時期に入って行きます。
 今の私の推定では、そうした暗さの源泉は、この 「二重国格」 による一連の病的派生物ではないかと考えられるのですが、その推定が的を射たものとなっているのかどうか、そういう意味では、今後の展開が見ものです。
 ともあれ、今の私の心境では、昭和戦前期の大きな謎に、その解明の確かな糸口を見つけられた気持ちがしているのは確かです。

 (2012年5月8日)
 
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