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 老いへの一歩》シリーズ


第5回    案内人なき海域     


 2月22日22時、長年の当地での友、バエさんが亡くなった。82歳でした。
 前回の 「先頭ランナー」 に書いたように、彼との 「年齢差15歳の親友関係」 とは、私が自分の今後を考える上での 「シュミレーション」 効果をなすともいえるもので、私の道先案内人となってくれていました。
 その彼を失い、私の周囲にはもう彼に代る人物はおらず、また、そう易々と新たな 「先頭ランナー」 が出現するだろうとも考えられません。ゆえに、いよいよ自分も、《案内人なき海域》 に乗り出してゆくのかと、相応な覚悟をせねばならない事態に至りました。統計から言うと、私の平均的余命は彼のこの享年あたりまでと見るのが妥当でしょうから、それはあと15年ほどです。
 これまで、この15歳という差を、偶然とはいえ、なんとも意味深な隔たりとは考えてきましたが、まさか、それが、平均上のものとはいえ、私に残された時間を意味するものとなって再認識することになるとは思ってもみませんでした。
 15年間といえば、それを逆に誕生からみれば、ゼロ歳から高校生くらいまでと、ひとりの人間の成長過程の時期です。つまり、人の生涯のほぼ50年間の青・成・壮年のコア期間をはさむ、その入り口と出口の双方に、それぞれにこの15年間があり、ともに、それ以前とそれ以後への境界と接している15年というわけです。
 学問研究の面で言えば、この入口側の15年間については、発達心理学やら成長に関する精神医学、精神分析、そしておびただしい教育関係学領域など、その研究は極めて深められているように見受けられます。しかし、反対の出口の側の15年については、老人医学とか認知症研究など主に病理的取組みはあれ、その他はまだまだ手付かずの分野の多く残された領域のように思われます。
 その出口側の15年に関し、そうした出口入口という対称性として見ると、私と亡きバエさんとの交友関係にあってそれは、入口側では自然である “親子の依存関係” に似た交際関係が、そこにもあったように思い出されてきます。
 そう考えると、先の 「先頭ランナー」 に書いたような視点は、子の側から親を見るような、先達に期待する後続者のものです。それを、その 「先頭ランナー」 を失い、今度は自分がその 「先頭」 にいやでも押し出される心境にあって、あらためてその 「先頭ランナー」 の立場を考えてみると、後続者からは頼もしげに見られた視点とは180度異なる、いかにも脆弱なそれが浮かび上がってきます。つまり、 「子」 の側の視点です。ゆえにそれは、入口側の15年の、親離れできない依存期の心理にも似たものがありそうです。よく見受けられる、おじいちゃんと孫の間のなんともほほえましいペア関係も、そうした対称性や類似性の反映なのかも知れません。

 そういう視点で、亡くなるまでのバエさんを思い浮かべますと、私が彼に 「先頭ランナー」 を期待していた依頼心と同じように、彼は彼で、その自分の弱まりゆく喪失感を、後続者として私がまだ持っていた “頼もしさ” に同じく依頼していた、そうした相互の依存の交換関係があったように思い出されます。そういう関係にあって、私は、彼自身からもその娘さんからも、彼をよく方向づけ、元気を付与してくれたと、一度となく、お礼はいただいてきました。
 そこで、いよいよ、私自身がその 「先頭ランナー」 となる役回りの中で、出口へと向かう15年の 「喪失感」 に彩られるはずの自身の立場に焦点をあててみますと、確かに、実にやるせないかの、彼の “別像” が見えてきます。
 私は、上記のような 「依存の交換」 の中で、彼に依存する方角から臨んでいたのですが、いまこうして立場を入れ替えてみると、その彼がそこはかとなく見せていた、弱々しいと言っては失礼ですが、もう完全には “自己依存” には立ちきれないといったかの、やはりそんな依頼感は漂っていたように思い出されます。そしてそれは、それこそ、向こう側からだんだん近づいてきている気配の濃い、今の自分にまつわる事態と、まさしく同列なものがあるのです。
 今から想えば、数年前から、彼が日ごとに、私への期待感やある種の先導を求めてくる様子に接し、私は私で逆に、彼には 「先頭ランナー」 としての思いを重ねているものですから、そういう彼からの “頼られ方” は、私には、強く、面はゆいものでした。
 それがいよいよ、この癌の発病と、その急速な増悪によって、彼自身の喪失感と不如意感が文字通り極致へと押し上げられてゆく中で、むろんそれは彼も予期はし、自ら 「平静だ」 とは言っていたことですが、やはり、自分がいざその真只中に置かれてみると、 「苦しい」、「どうしてこういう目に会わされるのか」 と病床よりしきりに私に問うて、人生のとどの詰まりでの無体な試練への、何というのでしょうか、確かな憤懣を表わされていました。それが、咽喉の癌の増殖や転移により、流動食はおろか、しゃべることすら困難になってゆく中で、最後には声も発せなくなり、遂には私に紙とペンを求めて、筆談でこう表すまでになりました。 「すてられた気持ちです」。
 その様子は、けっして、 “安らかであった” などとのきれいごととは形容できない、不納得などん詰まりであったように伺えました。
バエさんの残した最後の筆記

一行目に 「すてられた気持です」 とある。
  続いて、「すてられた気持です。私は今、どこでどんなに、あつかわれているのでしょうか?」と読める。

  「すてられた」 とは、直接的には、自分が病院からホスピスに移され、しかも、誰もその事情を説明してくれない、そういう自身のことを、そう問うていたのでしょう。しかし、そうなるしかない事情は彼もうすうす判っていたことで、私には、それは、もっと広い意味で、自分はそんな罰を与えられるようなことをしてきたわけではないだろうにと言うような、その理不尽を問うているようにも受け止められました。彼の生真面目な性格が現れた言葉でもあるのですが、まさに、自分の責任は人以上にきっちりと果たしてきた人だけに、その最後の自分が置かれたままならなさに、強い無念さを抱いていたものと推察されます。
 彼は、昨年末に咽喉の癌が発見されるまでは、定期の健康診断でも、主治医が驚くほどの健康度を示し、彼も自分の健康にはそれなりの自信をもっていました。そうでありながらの、この三ヶ月ほどでの、この急激な病相の進展でした。
 しかもその末期は、頭はきわめてシャープなのに、体が余りに突然にボロボロである、ことに、急速に増悪した咽喉の癌が、食事はおろか、会話、そして呼吸までをも困難に至らさせて、それが彼の命そして人生に、まさに “王手” をかけていたことでした。
 いうなれば、彼の癌は、難攻不落なその敵手の、まさに唯一の弱点をピンポイントに狙い撃ちにして、文字通り、その息の根を止めたのでありました。
 それにしても残念なことは、彼は、そうした健康度を保ちながら、生涯の愛煙家でもあり、今から想えば、それが油断であったのでしょう、この数年、禁煙には幾度も挑戦し、それをほぼ達成するかにもみえたのも束の間、やがてまた、本数は少ないながら、再び喫煙を始めていたことです。
 彼の喫煙癖と咽喉癌の因果関係はそうとう高いと判断されますが、もし、その一旦達成した禁煙をそのまま維持していたら、この発症もひょっとしてなかったのではないかと悔やまれます。
 そういう意味では、最後のわずかな本数の再開も含め、彼の喫煙癖は、そういう彼の選択であり、そうした彼の至り付きも、それがゆえの自業自得であったと言うしかないこととなります。むろん、まことに人間的なストーリーではあるのですが、まさかこんなに厳しい土壇場が用意されていたとは、これこそ、彼が 「先頭ランナー」 として身を持って示してくれた、最後の私へのメッセージであるのでしょう。

 さてそこで、かくして成りたての 「先頭ランナー」 として、まだまだ、上記の他人頼みの 「対称性」 に陥りたくないと欲し、 「自立」 を維持したいとするのであるなら、バエさんの “不覚の油断” であった喫煙問題といった、自分にかかわる “これくらいはいいだろう” との裏腹な弱点についても、それが最後には思わぬ 「命取り」 になりかねない甚大な危険性ではないのかどうかとして、いま一度、用心してかかっておいたほうがいい、ということとなります。言い換えれば、自分の心身の全体のバランスを整えた “出口への推移” にこころがけ、一点でもの不均衡な弱点を許容してしまわないことが重要、ということとなりましょう。
 そして、この出口へ向かう15年にあって、最後まで、その他人依存の 「対称性」 に陥らず、自立をまっとうすることも、薄い可能性ながら確かに考えられます。そうだとなれば、たとえ小さな自己の弱点であろうと、それは本当に些細な嗜好の問題に過ぎないのかどうか、注意深い監視が必要ということとなります。

 (2013年3月2日)

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