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 老いへの一歩》シリーズ


第10回   老若 “共闘”   


 6月1日付の日本経済新聞(電子版)に、 「認知症、老齢者4人に1人、 『予備軍』 400万人含め」 との見出しの記事があります。2012年時点の高齢者数3079万人のうちの、予備軍を含めるとおよそ800万人が、認知症人口だといいます。
 むろん、残りの四分の三には、認知症ではない、癌だの生活習慣病などによる他の病人が含まれていますから、一応の健康状態の高齢者は、この記事にはありませんが、半分位なのでしょうか。
 ともあれ、近い将来に迫るこうした病気の脅威は感じつつも、幸いに私は、まだ病人の類には入らない、その半分ほどの健康人のひとりでいます。
 このシリーズでは、この2月の15歳年上の友人の死をきっかけに、 《老いへの一歩》 を考えてきました。そして、前回の言葉でいえば、まだ 「障害者」 ではない者として――むろんわが身のその仲間入りを視野に入れて――、その元気なおよそ1500万人のうちの一人でいれています。
 1500万人といえば、オランダやカンボジアほどの、中くらいの人口の国に相当する規模で、決してけっして、おろそかに扱える数ではありません。
 この1500万人には、私のように、統計上は高齢者――通常65歳以上――に含まれながら、その健康度がゆえに、自分を高齢者と分類されることに “戸惑い” を感じる人たちが相当数いるはずです。
 そして、 人口構成としてこの後に、いわゆる団塊世代の1000万人弱が続き、いっそう、そうした 「戸惑い」 人口を増やしてゆくわけです。
 つまり、俗に 「高齢化社会」 とは言われますが、そこに含まれる、こうした壮年でも老人でもない層――「熟年」 だの、「シニア」 だの、「新老人」 だのと、いろいろな名前で呼ばれていますが――が形成されつつあり、歴史的には、過去には存在したことのない、 《新たな人口集団》 となってゆくわけです。
 66歳の私は、そういう 「新人口集団」 のほぼ先端に位置し、背後に迫る大波に、選択の余地なく、そのサーファーにならざるをえませんし、これまでもでもそうでありました。
 ともあれ、こうした中規模国あるいはそれ以上に相当する大集団が、むろん片面では、上記の記事のような、認知症をはじめとする病弱予備軍であるという不安を抱きつつ、他面では、まだまだ健康で意欲も盛んな世代を形成し、その数と意欲が掛け合わさった全体のエネルギーは、極めて巨大なものだろうと推測され、その行方が注目されるものです。
 私は、この大人口集団が、かって経済の順調な時代につちかった “恐いもの知らず” な精神をよみがえらせ、それぞれに自分を生かした生き方を追求すれば、それこそ、従来のどんな基準にも当てはまらない、新たな次元の “現役集団” が誕生するかも知れないと期待したいのです。そうなれば、日本の将来にも、その数的縮小を補てんし、ひょっとすればそれすら上回る、新たな社会的 “資源” になるのは確実です。単なる日本国内の最後の消費志向原動力として “ちやほや” されるどころの話ではありません。
 言うまでもなく、日本はいまや、世界の先端をゆく 「最高齢化」 の国です。しかもその誰もが長生きできるという実績を、よく行き渡った医療と国民皆保険という世界に誇れる制度の裏打ちをもって成し遂げてきているわけです。そうした世界の先頭ランナーが、その成功の結果の課題をどう克服してゆくのか、まさにその走りっぷりを、世界の国々が注目しているわけです。

 こうして私たちは、高齢化に伴う、大げさに言えば、人類史上初めての課題に向ってゆくわけですから、その解決法については、それこそ、過去の経験則には沿いようもなく、まったくの未知数といってもよいでしょう。
 そういう海図なき航海への船出にあたって、私は、その舵取りにおけるひとつの方向が、 “世代間の交差(クロッシング)” にあるのではないかとにらんでいます。そして、世代間の 《分断》 ではなく、 《クロッシングの相乗効果》 が、この難題に風穴をあけてゆくのではないかと期待するものです。新たな “化学反応” です。
 つまり、これまでの日本社会は、各世代別に横に輪切りにし、その世代ごとのブロックごとで、さまざまな役割や負担を果たしてきました。そこで、そうした世代間の輪切りを縦に貫通しているものといえば家族があるわけですが、その家族も核家族化して半世代別となり、加えてその各家族内でも、 「個食化」 とか 「家庭内離婚」 とかが広がり、さらなる細切れ化、分子化、が進んできました。もはや、砂粒のごとき、流砂の世界です。
 そういう大きな流れの中に出現しつつあるのが、上記の 《大人口集団》 です。
 かっての認識なら、こうした人口層は、いわば生活前線から退いた 「余生層」 であり、社会や家族が面倒を見る対象とはされても、その働きが積極的に勘定に入れられる層では決してありませんでした。
 しかし、いまや、そういう認識では決して捉えきれない、新たな 《大人口集団》 が現れつつあるのです。そして、今の私とは、どうやら、そういう 《大人口集団》 のとば口にいる、一人であるようです。

 そこでなのですが、こうした 《大人口集団》 がゆえに現れ始めていると考えられる新たな 「化学反応」 兆しは、たとえば、私個人としては、それはあまり好ましい流れとは受け止めたくないのですが、ともあれ、いわゆる 「就活」 に見られる、まるで学校のPTA活動のごとく、親子共同の “奔走” があります。言い換えれば、そういう親子相互依存の延長現象なのですが、それが 「就活」 にも、そして、 「パラサイト・シングル」 といった子世代のすねかじり現象の長期化として現れています。つまり、これは、世代ごとに輪切りにしてきた過去の流れとは違う、それこそ、世代間の再結合であり、 “相互支援” 関係の出現です。ある意味では、 “自衛反応” です。
 むろん、その背景となっているのは、表面上は経済の不振です。そして、日本の場合、その不審が二十年近くにおよぶという深刻さのため、さまざまな制度的破綻も露呈し始めています。そしてその破綻のうちで最大に危険なものが、私は年金制度ではないかと見ます。
 というのは、その破綻過程の年金制度を廻り、じつにうまくない、国家規模の失態が演じられているからです。それは、その破綻の責任逃れの余りの、意図的な世代間分断の形成であり、その相互間の反目の意図的形成です。本来なら、社会全体の相互協力関係が不可欠な場であるはずなのに、それをわざと切り裂いてしまっている、一種の自滅的行為です。

 ここで少々詳細に踏み込みますが、私の世代の一員として、是非とも言っておくべきことがあります。これは、私たちの世代の現役時代と日本の年金制度の発足とが重なっていたことが関係します。
  1969年に、私が大学を出て就職した時、その入社教育の中で、年金制度について説明がありました。その時、説明に訪れていたお役所の担当者から、 「皆さんの支払った年金保険料は長期にわたって積み立てられて、将来の皆さんの退職後に年金として支払われます」 、そんな説明があったのを記憶しています。当時、日本の年金は発足したばかりで(1960年設立、1961年から保険料徴収開始)、まだ支給はなく、制度は、完全な積立方式によっていたわけで、政府もその若い制度のPRに努めていたのでしょう。
 それが、現在では、賦課方式という、現役世代の保険料が今の我々世代の年金支給に回されるという、積立はまったくない制度となっています。いわば、みごとな “自転車操業” です。
 つまり、端的にいうと、私たちの世代が若い時から積み上げてきた年金総額は、現在まで残されておらず、途中で消えてしまっているということです。かって私が受けた説明は嘘であったこととなります。
 制度的には、60年代末から70年代初めにかけて、 「修正積立方式」 と称して、その財源の流用が始まり、最終的にはそれが食いつぶされるまでに至ったわけです。この間、一貫して、保険料金は増額され続けており、賦課方式への切り替えがその負担を軽減してきている痕跡はまったくありません。
 むろん、長期にわたる財源の運用や制度の予測には政策的困難は伴うでしょうが、その難題の失策を棚に上げ、現在の主流の議論のように、退職した年金受給世代があたかも若者の犠牲に乗っかっているかのような言い方は、現行年金制度の失策を世代間の対立にすり替えるもので、これは政治家と官僚の合作による、彼らの自己保存のための国民の 《分断支配政策》 そのものです。しかも、その他方で、私たちの世代が支払ったかっての巨額の積み立て総額をゼロにしてしまった政治・行政責任をおおい隠す、二重に犯罪的行為です。 
 このように、年金というお金をめぐり、日本社会には “悲惨” な分断が起こされようとしています。
 本来なら、国民の豊かな生活を保障するはずであった制度が、一国をまるで、敵、味方のように反目させる凶器に変貌しようとしています。

 ゆえに、私たちは、 “老若対立” していては、もはやどこかの誰かの思うつぼで、限りなく追い込まれ、じり貧化させられてゆくばかりです。
 そういうこの時に、確実に存在しはじめているのが上記の 《大人口集団》 です。時間の問題で衰えてゆくのは確かとしても、数の上では圧倒的多数をなします。そういう大集団が、苦しい現役世代と反目しあっては、それこそ悲劇であり、そうでなくとも、せいぜい余裕ある家族の親子依存の長期化です。
 まだ未知数ながら、巨大であろうと推測されるその潜在的力量に注目するなら、これまでのような、社会の輪切りや分断に閉じこもるのではなく、むしろ、世代別に孤立してしまった互いの壁を取っ払う、その動力源になってゆきたいものです。
 この世代がかってなじんだ言葉を使えば、世代間 《共闘》 です。 「老人リブ」 なんてのもいいかも知れません。
 要は、輪切りの時代から、共闘による合和力の時代への移行です。

 (2013年6月6日)
 
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