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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第7回)

「日本のいちばん長い日」は、本当にそうだったのか


 八ヶ月ぶりのこの連載です。年末年始の休みのお陰で、まとまった時間量をこの仕事に当てることができ、ようやく、第二章を終わらせることができました。
 このように、本 「訳読」 はここのところ、遅々たる作業しか続けられていないのですが、日本の方からの反応はほとんどないながら (日本人には難儀なテーマです)、日本人以外の方々からは、「大事な仕事をしている」 と、励まし、あるいは、催促の声をいただいています。

 今回は、日本が降服を受諾するに至る、最後の五日間の詳細を述べたくだり (第二章 原子爆弾(その4)) で、ことに、8月14日から15日に至る、いわゆる、「日本のいちばん長い日」 についての記述です。
 その副題を 「 『日本のいちばん長い日』 は、本当にそうだったのか」 としているように、今回は、小説や映画にもなった、この8月14日から15日に至る歴史的にも決定的な一日について、私たち日本人 (少なくとも私) が “常識的” にとらえてきた見方が、はたして本当にそうであったのか、それを考えさせてくれる、ひとくだりです。
 私はこの 「訳読」 作業を進めるにあたり、まだ、その全貌が解っている訳でもないのに、なかば直感的に、この連載の核心を 「ダブル・フィクション」 という用語に託しました。つまり、私たち日本人が常識としている 「天皇制」 が、まず、戦前までのそれが、日本独自のフィクションであったのではないかとする点を第一とし、次に、戦後の今日までのそれが、日米合作の第二のフィクションであったのではないかとする、天皇制をめぐる二重のフィクションを想定するものでした。
 今回のくだりでのハイライトは、その第一のフィクションを、敗戦が不可避となった段階で、その戦後版へと継続させるために行われた 「工作」 の分析、いわば、著者のバーガミニによるその “種明かし” が述べられてる部分です。もう少し詳しく言えば、そうした小説でも映画でも、その主要テーマであったのは、降服受諾派 (和平派) と戦争継続派による対立で、ことに、一部軍人による徹底抗戦クーデタの試みの顛末です。日本の 「常識」 は、そのクーデタ計画は 「本物」 であったとしているのですが、著者バーガミニは、それは 「ジェスチャー」 で、 “やらせ” であったと見ているところです。つまり、天皇制継続のため、そうしたクーデタの存在を 「演出」 し、そうした国粋過激集団を抑えるには天皇の力を利用するしかないとアメリカに判断させるために仕組まれた、そうした一連の芝居であったとするものです。
 その見方が正しいのかどうかの判断は個々の読者にまかせますが、事実として、昭和天皇が、戦争責任により処刑や訴追もされることなく、戦後もその地位を継続したことは間違いありません。つまり、かくして天皇制は、戦前も戦後も、それほどにも極端に異なった両環境のもとでも、一貫して存在し続けていることです。この生命力の強さは、一体、何故なのでしょう。
 そういう意味で、この不気味なしたたかさに大いに関心がそそられるのですが、ともあれ、今回のくだりは、日米合作の第二のフィクションがどのようにして形成されたのかを探る部分です。
 この先の章で、著者は、日本独自の第一のフィクションの種明かしへと進んでゆくようですが、それは今後の楽しみとして、まずは、今回 「訳読」 の 「原子爆弾 (その4) 」 へ どうぞ。


 (松崎 元、2008年1月8日)

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