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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第32回)

ある食い違い

 今回で第7章が終わり、皇太子としての時代も幕を閉じます。
 裕仁はヨーロッパ歴訪から帰国し、いよいよの即位に向けた準備に入ります。
 その一方、裕仁のヨーロッパ旅行の影の目的――このあたりについて仔細に調査している原著者の着想は本書ならではの展開です――が功を奏し、ヨーロッパ各地での諜報組織が活動を始めます。
 それが、奇妙な交通事故で、その諜報活動が突然に縮小されます。この点に気付いたのは本著者の独創点かと思われますが、その交通事故が果たしてただの事故だったのか、憶測はいろいろ考えられます。

 ところで、いま私は、 『白洲次郎 : 占領を背負った男』 (北 康利著,、講談社文庫) という歴史小説を読んでいます。
 そこで、話は前後するのですが、降伏後の新憲法制定に至る際の経緯について、この本の上巻ではそれが詳しく論じられています。また、本訳読でも、その経緯は第三章がそれに言及しています。
 そこで気付いたことですが、この訳読に書かれていることと、この小説の描写との間に、興味深い食い違いが見られます。
 GHQから新憲法の制定を命じられ、なんとか旧憲法の精神――天皇の神聖・不可侵――を残したいとする日本政府とGHQの攻防において、あまりな悠長な日本側の動きに業を煮やしたGHQ側が、独自草案を米国人の手で作って日本側に提示するシーンがあります。
 1946年2月なかば、場は吉田外務大臣公邸で、ホイットニー民政局長は突然かつ一方的にその米国草案を提示し、日本側の憲法改正委員会メンバーにその場でそれに目を通せと命じます。その間、一時間ほど、米国側は公邸の庭に出てその終了を待ちます。この際、局長らを庭に案内したのが白洲次郎でした。
 本訳読 (民主主義の君臨) には、そのやり取りはこう表現されています。
 一方、同小説 (上、p.160-72) ではこうなっています。
 以上のように、どちら側が先に “アトミック” という言葉を使ったのかをめぐって、明らかな食い違いが読めます。
 ちなみに、本訳読原著には、この個所の根拠としての英語諸文献とそのページが特定されていますが、小説には、巻末に参考文献の一覧はありますが、個々の個所の根拠の特定はありません。
 もちろん、歴史論文と歴史小説を、厳密性において同列で比較するのは無理なことですが、信憑性を問題とすれば、後者に軽さがあることは言うまでもありません。
 
 
では、今回もその訳読にご案内いたします。
 
 (2010年9月28日)


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