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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第73回)


天皇は 「鏡」 である


  「天皇が 『鏡』 である」 という意味は、文字通り、よき 「反射鏡」 であるという意味です。
 しかもその 「反射鏡」 とは、実にうまく考案された支配者の権威の “アンプ(増幅装置)” であることです。坂口安吾は、古代よりの天皇制の働きについて、以下のように言っています。
 坂口安吾は、ここで、 「この戦争がそうではないか」 と言っていますが、私は、この戦争の場合は、それがもっと進化していたと見ます。つまり、昭和戦前の天皇制は、その天皇制を、将軍や貴族でなく、天皇自体が利用した制度であったのです。
 昭和戦前の天皇制とは、上の鏡の比喩でいえば、その反射関係が今度は “合わせ鏡” となって二重に反射し合ったものです。すなわち、単に 「鏡」 の役を果たしてきた天皇制が、明治以降、天皇自らがその 「鏡」 と化します。つまり、 「天皇」 と 「将軍」 の合体です。言い換えれば、シニファン(意味するもの)とシニフェ(意味されるもの)の合体です。そして、天皇の取り巻きたちが頭脳となって、将軍や貴族の代わりにその天皇を動かしたのです。それが、天皇が周りの言いなりになって見える、トリックです。そして結局は、その周りを、軍部に押し付けて、戦争責任回避のロジックとし、それには、アメリカも乗せられたふりをして、今日までに至っています。
 昭和戦前の天皇制がそうなってしまうと、その反射のし合いは無限ループとなって、留まるところがなくなりました。そればかりか、その 「アンプ(増幅装置)」 のパワーは、それが無限ループであるだけに絶対化し、あらゆる異論を許さぬ “濾過装置” とも化しました。絶対専制化です。
 絶対君主体制とは、よその国でもそういう増幅と濾過の無限力を構築しようとしたものでしょうが、日本の場合、 「万世一系」 という、神話時代までにも貫通するメンタリティーやビジョンを演出しえた点がさらに特異です。戦前の 「国体明徴」 論は、そういう現実的だった江戸期までの天皇制を、 「カルト的に超越化」 させた 《近代の中世》 でした。

 ところで、今回の訳読は、やらせとしての2・26事件の幕引きの完成を描写しています。
 その中で痛々しいのは、そのやらせに乗せられて、反逆罪に仕立てられて処刑されてゆく士官たちです。そして、この危険な政治的ばくちを、動じずに遂行しぬく昭和天皇の容赦ないまでのリーダーシップです。
 こうして、訳読は第21章を終え、同時に第5部も終結して、新たな章と部へ入ってゆきます。つまり、戦時態勢への突入です。

 では、第21章 「鎮圧」 の後半へとご案内いたしましょう。

 (2012年8月1日)


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