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「郵政解散」総選挙に際しての両生風視界
戦後60年、そして、自民党結党50周年の歴史的節目のこの年に、その自民党自身の分裂をもかけて、「変人」の名をはす首相は、文字通りのアッツイ選挙戦に打って出ました。
まさに、政治家小泉純一郎の真価がうらなわれる「関が原」ではあるのですが、ただ、この“炎”天下の分け目にあたって、このとって付けたような展開には、《ノドもとにつっかかる何物か》があります。
それが何かをひと言であらわすのが容易でなく、また、永年の私自身の宿題ともかかわり、以下、ちょっと遠回りした話題から手を付けてゆきたいと思います。
疑問が描き直す日本の歴史
私には、日本の歴史について、かねてから持ち続けてきた疑問があります。
それは、一点のものというより、いろいろな時期の、いろいろな切り口の疑問が重なりあう、何か、「歴史にのぞむ基本的な視座に関わる」、とでも言えるような疑問です。
それはまず、日本の近代への幕開けとなった開国期において、いわゆる尊皇攘夷派の急速な開国派への転換にまつわる不可解さでした。
黒船による開国への威嚇が、日本国内に総攘夷派風な外人恐怖症状況を蔓延させたのは理解できます。しかし、そうしたなかで、その一部、つまり薩長のみが短期にして開国派に立場をひるがえした、その展開が解せません。
ことに、2世紀半にわたって君臨した江戸幕府の統治に瓦解の兆しが現れ、かつ、頻発する農民一揆にみられるような世情混乱の情勢にあったとしても、それが倒幕への動因となったことはありえても、国を開いて、あえて外的未知数への挑戦ができるほど、状況が整い、ほとばしっていたとは考えにくい。
また、商人階級の勃興は見られたものの、長年の鎖国のため、対外貿易に長じていたとは考えられず、一足飛びに開国と海外貿易に意欲をもやすより、むしろ国内のより自由な通商を望んだのではないか。しかも、薩長がそうした開化派商人たちの先陣を切りうるほどの拠点であった事実もなさそうです。
これらのことから、なぜそうした急な立場転換が起こりえたのか、その条件が見えてきません。
第二は、実は私も、司馬遼太郎のいくつかの作品を愛読した歴史好き中年おじさんのひとりでした。しかし、彼の作品を読みすすめてゆき、そのテーマが、明治を終え、大正に入り、まして昭和ともなると、その作品構成が変化してゆきます。そして、作品は随筆が中心となり、ことに昭和期の軍国主義の隆盛について、それまでのあれほどに具体的で実証的であった描写が消え、抽象的な表現に傾いてゆきます。
たとえば、『この国のかたち』第一巻では、昭和ヒトケタから昭和20年の敗戦までを、それまでの日本史とは「非連続の時代」といい、また、こうした時代を、他のいかなる時代ともことなる「異胎」の時代とも表現しています。ウヌッ!「イタイ」ですって?
私は、それ以前の生きいきとした具体性から、慎重な用語法ながらも、こうした耳慣れぬ表現の採用に、それまでのようには素直には従ってゆけない、ある種の取り組む姿勢の変化のようなものを感じます。
熱心な司馬ファンである私の友人は、「それは、彼がその時代を同時代人として生きたからだよ。ふつう、同時代については、なかなか書けないものさ」といいます。
それも事実かもしれません。
司馬本人も、「昭和」を「書けない」ことを、自分でも認めています。
ともあれ、私は、司馬遼太郎が、何か、あえて座りなおして力点を変えてみる必要があり、そうした難儀な概念に頼ったのではないか、そう考えざるをえないわけです。で、その何かとは何か?
第三は、これは、オーストラリアに来てから、アジアの歴史、ことに、西洋列強によるアジア諸国の植民地化の歴史を考えるようになってからですが、なぜ、日本とタイだけが、植民地化から逃れられたのかとの疑問です。
この疑問には、当初私は、日本が、西洋から見る「極東
Far East
」の、しかも、その最も東端に位置しており、その位置関係から、西から押し寄せる植民地化の波が、一番最後に到達した。その時間的な遅れが、それだけ日本に対応の準備期間を与ええた。それが主な要因ではないかと考えました。しかし、当時はすでに、東からも、太平洋を渡って米国船が到来するようにもなっており、私の西からの「最遠地」説も、あまり説得力をもちません。地球は丸かったわけです。
ひょっとすると、西洋列強の拡張主義は、東向き、西向きに地球をそれぞれ半周して、日本の上ではち合わせしていた。つまり、日本は欧・米両植民地主義勢力の対決の場であったかもしれない。
私の友人にオーストラリアに帰化したタイ人がいます。その彼に同じ質問をしてみると、タイ王国の巧みさとして、タイの植民地化をもくろむ、英仏両国をうまくけん制し、その両勢力のバランスをとらせた結果だからだ、といいます。たしかに、映画「王様と私」を見ても、英国とうまくつきあっていた王様家族が想像されます。
そういえば、日本の場合でも、幕府の背後でフランスが、倒幕派側の背後で英国が、ともに金を貸していたとの記述を、どこかで読みました。
それを思い出すと、ひょっとすると、米が扉をこじあけた後、出し抜いた英仏間の植民地争奪戦の代理戦争の様相をおびて、幕末期の幕府と反幕派との内戦が戦われたのではないか、との考えが浮かびます。
あるいは、ひょっとして、英仏も、最後は結託し、倒幕後の新日本政府を、「親西洋的」な傀儡政府にしようと画策したのではないか、とも考えられるわけです。
最初にあげた疑問も、そうした外国勢の暗躍を想定すると、尊皇攘夷派の開国派への急転進も、わからなくはありません。
また、日露戦争の奇跡的勝利についても、司馬遼太郎の『坂の上の雲』のなかに、英国のロシアへの妨害が、どれほどロシア、バルチック艦隊の日本海までの長期航海に痛手であったかとの描写があります。ひょっとして、その勝利は、英国の後押しがゆえの、あるいは、勝たせるよう仕組まれた、ロシアの南下をけん制する国際的大枠の中での勝利ではなかったのか、そうした疑問も浮かびます。
ともあれ、あの戦勝についても、慎重にその外的かつ不名誉な要因も吟味してみる必要がありそうだとの見方です。
第四に、昔読んだ左派系歴史学者間の未決着の問題として、明治維新は、プロレタリア革命であったのかそれともブルジョア革命であったのか、との議論がありました。そうした論争について、事態が完璧に内発的発展であったとするなら、その議論にも意味はありますが、それがもし、外国勢力の介在が決定的影響を与えていたとするなら、議論の枠組みはがらっと変わるはずです。つまり、独立国の政変の話ではなく、ある開発途上国の植民地化過程の話ということとなります。
そして私の疑問の最後で最大のものは、日本の行った朝鮮・中国侵略から太平洋戦争の敗北に終わる、いわゆる「15年戦争」の解釈と意味づけ、そして、戦後の日米関係の真相です。
日本人には、この戦争とその敗北について、一連の反省や、他方、ナショナリスティックな見直しの動きはあるものの、その足元で、まるで自然災害がやってきて、また自然にそれが去っていったかのような、左派、中道、右派のいずれをも問わず、どこか他人事な能天気さがあります。
だからこそ、戦後のアメリカとの関係について、1945年8月15日をもって、あたかも激甚災害が去ったかのように、一種安堵の気持ちを内にいだきつつ、奇妙に親密な両国関係に急転してゆきます。
もちろん、そこにはアメリカの外交・占領政策の巧みさがあったわけですし、何より、その力の強大さへの畏怖があったわけですが、それにしても、三百万を越える自国民の命を賭し、二発の原爆や都市への無差別空爆による非人道的殺戮を受けてまでして戦った相手に対する、不自然で無恥なほどの恭順さです。それとも、日本人は、それほどまでに克己、高潔なのでしょうか。
昨今のいわゆる「靖国神社論争」でも、そこに極東裁判の不当性をあげるのであれば、それは、西の大陸にむかってより、むしろ、東の大陸に向かって、声を大にすべきものです。
これは、私が博士論文中で試み、別の所で概述したことですが、私は、日本の歴史は、開国までは、大陸からのマイルドな影響は受けつつ、「非連続」にではなく、順当に、自家培養的に発達してきたと考えます。そして、日英の産業組織の発達度合いの比較から見て、幕末時点で、日英間には一世紀半から二世紀ほどの、産業発達上のギャップがあったと解釈できます。
そうした発達格差に加え、西洋先発文明の拡張主義のため、日本の“孤高”政策は外から干渉され、力ずくでその扉がこじ開けられました。つまり、自家培養されてきた島国日本の文明発達に、決定的な違和要素が、開国によって注入されたのではないか、と考えるわけです。
心理学者の岸田秀は、こうした日本の開国にまつわる体験を、さらにラジカルに、「日本人はレイプされた」と表現し、それ以降の日本人の行動パターンは、その傷つけられた被害者意識を何とか正当化しようとする心理機制の行動として説明されると言います。
そう見なすと、たしかに、その後の日本人の行動は、その心的傷害により歪んだパーソナリティーがもたらす一種の異常心理行動で、アジアの他国への侵略から太平洋戦争に至る非合理な行動も、そうした心的傷害者による病的行動として説明できそうです。
歴史のトラウマとしての国民気性
さて、以上のような「遠回り」をへて、私は、現在の状況にたどりつきます。
私は、この小論のタイトルを「両生風視界」としました。また、本サイト『両生空間』のイントロで触れたように、人の成長過程には、乳離れ、親離れがあり、それが、故郷離れ、「くに」離れ・・・と発展してゆく時、その成長を促進させるキーファクターは、他人との関係です。成熟した人格となれるかどうかを左右するのは、この他者性との関係です。
そう考える時、日本という国は、幕末の開国という「他者」との関係作りに挫折し、それ以降、良きにつけ、悪しきにつけ、他者=外国という厄介な要素を見ようとはしていない、あるいは、都合のいいようにしか見ない、未成熟あるいは不安定なパーソナリティーを引きずってきているとの見方は、私には、相当、現実味をもったものとして受け止められます。
そして、冒頭で述べた、この小論の出発点である「ノドもとにつっかかる何物か」とは、私たち日本人の、どうやら、こうした未成熟あるいは不安定なパーソナリティーに関連しているもののようです。
ただ、ここで付け加えておかなければならないことは、こうした国民的「人格異常」が、日本人だけの症状かというと、そうではありません。
歴史発展がもたらすそうしたメンタルな歪みは、たとえば、オーストラリア人、ことに、初期の入植者である英国・アイルランド系白人にとっては、植民地化当初に行った、原住民であるアボりジニの殺戮の史実は、原罪意識となって精神の奥所に巣くっているようです。そして、その原罪意識が、時には、贖罪行動として民族差別反対運動のエネルギーとなったり、時には、白人文化の水準と純度が奪われることを恐れる強迫行動として、白豪主義やアジア人移民反対運動にかり出されたりします。
そういう意味では、インディアン殺戮にともなうアメリカ人の深層意識も同様のようで、どこの国民も、自らの歴史が作り残した、自家中毒のような何らかの精神的トラウマが、DNAへの刻印のように、民族の気性に織り込まれているようです。
つまり、今回、小泉首相がしかけた「郵政解散」総選挙は、自民党を分裂させ、あわや政権交代をもたらすかの国内政局を作り出している政治的ギャンブルですが、今日、そうした国内政治ドラマは、幕末の開国期とは比較にならぬ程に、外的要因にも左右されているグローバル政治ショーでもあります。しかもそうした側面が、相変わらずに隠蔽され、矮小化され、また特定方向に加速されながら展開されており、そうした歴史的トラウマを内在し、また隠された歴史しか知らされておらず、とかく、バランスのとれた視野を失いがちな国民性にとって、より、そのリアリスティックな意味が解りにくいものとなっています。
たとえば、そうした政変含みの政局を目前としているにしては、株式市場は、この選挙戦決定を境に、一年以上も続いた膠着市況を脱し、順調な上り基調を見せてきています。このたちどころの上向き市況は何を意味しているのでしょうか。
私の見るところでは、一方に、日本経済がいよいよ本格的な回復基調に乗ってきた状況をベースに、さらに、海外資本にとっては、手ぐすね引いて待ちにまった日本の虎の子、郵貯・簡保金融が「開放まじか」と踏んでいる見方があるからでしょう。その一証拠に、総選挙の決まった翌一週間の外国人による日本株買い越し額は、今年最高の6,876億円を記録し、膠着相場脱出の原動力となりました。
他方、すでに少なくない人たちが主張しているように、郵政民営化は、340兆円という日本人の、ことに庶民の勤労の結晶を、不用意に国際金融市場に提供するもので、それをもっとも必要としているのは、現在、世界一の債権国であり、だぶだぶの金余り状態にある日本ではなく、三重の借金地獄(国家財政、貿易バランス、家計)に陥っている米国です。
一方、国内的には、日本の政・官・ビジネスによる癒着の三角構造がその腐敗を極地にまで至らせているのは、日本人なら誰の目にも明らかな実態です。中央、地方の政府債務の総額を、先進国中世界最悪のGDPの1.7倍にも膨れ上げさせつつ、それはなおも、傍若無人にふるまっています。
つまり、今回の総選挙は、国内には税金や国民財産を食い物にする一団があり、国外からは、郵政民営化を商機として、国民金融資産の奪取をねらう勢力があるという、前門の虎、後門の狼というべき状況です。それが、片や真の国民代表は自分達だといい、他方は効率化が日本を救うと主張します。どれもが真実なら、どうして全部がまとめられないのか。
これは、筆者の私的見解の表明にすぎませんが、今回の総選挙については、(1)日本政府のこれまでの米国追随姿勢と、そのいっそうの、のめりこみを見せる小泉政府方針、(2)海外資本の今選挙へのてこ入れの程度、(3)参院での郵政否決後の、判官びいきの日本人有権者による小泉人気の回復、(4)ようやくの日本経済の回復基調、などを考慮しますと、おそらく、大差ではないでしょうが、小泉政府の勝利がもたらされると、不本意ながら予想します。
再びの「開国」に際して
こうして、江戸幕府が不承々々ながら開国派の役をになわされ、反対派の抹殺に手を染めざるを得なかったように、今日の日本政府は、それがたとえ小泉政府であろうとなかろうと、はるかに輪をかけて巧妙かつ狡猾に、現代の「開国」に翻弄されてゆかざるを得ないでしょう。
ちなみに、江戸末期の開国当時と現在の類似点を拾ってみますと、(1)長年の国内政府の支配が行き詰まり、旧体制のままでは維持が困難となっていること、(2)外国勢力にとって、手をつけたい明らかなうま味を日本がもっていること、(3)片や植民地主義、片やグローバリズムというように、国際的な枠組みの大変動が時代をおおっていること、(4)かってのロシアに対する今日の中国という、大陸からの脅威が、日本はもとより、かっての西洋、今日の米国を脅かしつつあること、(5)そして、かっての産業発展格差と、今日の外交力格差。こうした時代をまたぐ類似性のなかで、またしても日本には、強い外圧と勝負できるほどの内外政治上の洗練さが備わっていないことは、残念ながら事実です。
1985年のプラザ合意以降の円高や、バブルの崩壊による資産価値の減少、ゼロ金利の継続による国内資金の海外流出などにより、日本人が、文字通り、命を削るようにして形成した国民資産が、厖大かつ急速に海外に流れ出ています。そればかりか、さらなる事実上の“かすめ取り”が、私たちの目のとどかない、あるいは隠されたところで、着々と画策されています。
ものづくりの優秀さによる利潤獲得には熱心でも、稼いだお金の守り方、使い方において、無策とは言わずとも、金融の国際的仕組みに余りに不用意な日本。百戦錬磨かつ、国家的後ろ盾をもった、国際的詐欺師団とまともに渡り合えないで、こうした貴重な資産の活用はおぼつかないでしょう。
幕末では「レイプ」初体験として、日本のトラウマは重篤だったかもしれません。しかし、今日の再開国は、さらなる「レイプ被害」というより、それは隠され、むしろ、ともあれの民主主義的選択の結果であり、したがって、その結果がもたらすものは、それこそ、「自己責任」に帰されるべき問題とされるものとなるでしょう。ましてそれが、一方での、食い逃げを図る一団と、他方での、いっそうの生活水準劣化にさらされる国民大衆をもたらすとすれば、その国民のやり場のない鬱屈した不満や蓄積するストレスは、「レイプ」にまさるともおとらない、国民規模の心的傷害の蔓延化をもたらして行くでしょう。
まさに、グローバルサイズの、巨大な搾り取りでなくて、何でしょう。
そうした慢性的抑圧感が、かっての朝鮮半島、中国大陸への侵略に相当するような、外へ向かった被害者意識の病的な放出に結びつかないという確たるよりどころは、見つかる方向より、見つからない方向へと状況は動いています。
また、国民大衆をその視野から消した政治が、その国民が産出した富を、その国民の手に還元しない仕組みを作り出しつつあります。
これでは、goverment
not of the people, not by the people, not for the people
の類ではないですか。
故司馬遼太郎が「異胎」と呼ぶしかなかった化け物を、またしても、生み、育ててはなりません。
「変人」首相といえども、まさか、第二の「異胎」の親父ではないでしょうが、選挙戦のうわべに気を取られ、誤った道を、再度とるような選択は、決してするまい。
(松崎 元)
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