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両生学講座 第二回(両生歴史学) 
           オーストラリアは地続き(続)
書評 『ラディカル・オーラル・ヒストリー : オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』 保苅 実著


 2003年11月、「両生類クラブ」ホームページを開設した時、その創業の記事のひとつに、「オーストラリアは地続き」と題した文章を掲載しました (ゆえに今回は「続」)。
 その発想と同じように、日本とオーストラリアが「地続き」と感じている、もう一人の人を発見しました。
 その人は、保苅実氏。その彼が書いたエッセーに、以下のようなくだりがあります。
アボリジニの大地と故郷の新潟、シドニーと東京、オーストラリアと日本を何度も往復しながら生活していると、世界は地続きで、相互に繋がっているということを改めて実感する。アボリジニ社会にもグループ間の境界線があるが、それは相互に依存するためであって、お互いを排除するためではない。グローバル化の時代、僕たちは、その気さえあれば世界の中心と周縁を、大都市と地方と辺境とを頻繁に往き来することができる。将来はパスポートなど必要なくなって、新潟から長野に出向くように、世界各国を訪問できるようになればいい。

生命あふれる大地 〜アボリジニの世界 第一五回(最終回):自分のために、世界のために
 上のエッセーは、先に私が訳して掲載した 「“共存”社会ではなく“相互影響”社会に」 の筆者、ガッサン・ハージの著書 『ホワイト・ネイション』 の翻訳者の一人が保苅氏であることを知り、関心を引いたことが発端です。
 実は、後になって判ったことなのですが、保苅氏は、私の友人でオーストラリア国立大学で博士論文を書いていた大野俊氏(キャンベラで博士号をめざす参照)とも、研究生仲間であったことを知りました。
 こうして、保苅氏の著になる、『ラディカル・オーラル・ヒストリー : オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』 (御茶の水書房、2004年9月発行、2310円)【写真】 の存在を知った次第です。

 ここに本書を紹介をするのは、しかし、そうしたよしみからではありません。純粋な書評として、推薦できるものとの考えからです。
 ただし本書は、今日の歴史学の先端をゆく、きわめてアカデミックな議論を展開したもので、当 「両生空間」 が学問的分野を志向してはいるとはせよ、学際的、応用的に引き寄せるには、その精緻な議論展開を、当空間向けに、実用性という分母をもって通分する必要があります。
 以下、やや、とっつきにくいかも知れませんが、保苅氏の議論の先端性を、まず、かいつまんで見てみましょう。
 まず、彼のこころみの発端には、西欧を中心とした現行歴史学の権威への懐疑があります。つまり、《西欧知》の根幹をなす実証史学への批判とそれゆえのその権力への挑戦です(故に彼は自分のことを「戦略的歴史学者」と呼んでいます)。
 その、戦略的開拓のラディカルなこころみを、オーストラリア先住民アボリジニの実例を根拠に、現行歴史学では史実ではないと排除されるアボリジニのオーラル・ヒストリー(口述歴史)に着目し、それを排除せず、それと「共奏」する「ギャップごしのコミュニケーション」という手法を提唱しています。
 ただ、歴史学の世界でも、最近では、先・原住民のオーラル・ヒストリーや神話といったものを、「すくいあげて尊重する」といった姿勢までは進んできているものの、そこには、「尊重」という「巧妙な排除や包摂」、つまり「権力作用」があると氏は批判し、独自にその先へと進もうとしています。そして氏は、「歴史時空の多元性を誠実に考えられるような歴史学を模索する」ことに貢献したいと取り組んでいます。
 保苅氏は、こうした研究を、オーストラリア北部のグリンジ地方のある村に住み込み、一年余りのフィールドワーク(文化人類学の手法)を通じて行いました。従来の研究方法なら、歴史家はアボリジニというインフォーマント(情報提供者)の話を聞き、それを解釈、分析する立場をとるのですが、氏はそれを逆転させ、インフォーマント自身を歴史家とみなし、いわば従来の自分を“解体”した立場におき、アボリジニの話自体を「史実」として受け止めようとし、それを学会の議論に持ち込んだらどうかと構想します。
 このように、「非常識」をあえて学会に持ち込もうとするリスクに果敢にいどみ、その創意工夫あふれる知的奮闘が、この本の中に充溢しています。しかも本書は、そうでありながら、いわゆる学術書には珍しい、よく消化された、親しみやすい表現であらわされており、一般読者にも魅力の多い書物です。

 ところで、こうした静謐な学術的議論を、日常の雑踏に持ち出し、俗世の生へのヒントとしてくみとりたい、あるいは、応用したいとするのが、この書評の実のところのもくろみです。
 そこでですが、学術界と俗世というギャップある二つの世界にあって、ある学術的概念やアイデアが、その壁を越えて日常界に適用可能かと疑問視する声があります。
 この問いに関して私は、保苅氏の「戦略性」が、「ギャップごしのコミュニケーション」にあるように、まさに、そうした枠組み上の隔たりをのり越えようとすること自体を主眼としており、後述する「共奏」という概念の採用も、そうした精神を象徴的に表わしています。つまり、その問いは、本書と私のこころみに関する限り、形式主義的な的外れではないかと思います。
 そうしたチェックをへて、私は、氏の提唱する実にフレッシュな論点を、ここにいくつか取り上げ、応用へのこころみに取り掛かります。、
 まず第一のポイント。これは、保苅氏の議論をヒントに、私が提起するものですが、氏が研究法の原点においた「フィールドワーク」という手法に関連します。つまり、私たちの人生について、それを考察することとは、それこそが、まさに壮大な「フィールドワーク」ではないか、とする視点です。氏が学術界で見い出す、権威に取り囲まれ、「排除や包摂」が横行する世界とは、よく考えてみると、前号の「我『団塊』でなし」で述べた、「うまく乗せられてきた」と感ずる今日社会の諸現象と、まさに相似形のものです。
 ですから、 《西欧知》中心の既存歴史学会内で、その包囲に突破口を開けようとする保苅氏の知的たたかいの成果は、私たちの取り組みにも、この意味でも援用可能と思われます。
 そこで、第二の視点として、とかく俗界では、人生論とかさまざまの高邁な見解は、だれか立派な権威者によって唱えられるものと、とかく考えられがちです。ですが、保苅氏がこころみた、歴史家とインフォーマントとの関係の逆転、つまり、従来では「考察される側とされていたもの」を「考察する主体の側」としてしまう発想は、そうした俗界での権威者と私たちの関係にも、応用が可能ではないかと思われます。すなわち、私たち自身の歴史=人生の考察を、権威者まかせにせず、私たちが主=歴史家となって行おうとする逆転の発想です。自分自身の人生の考察を、自分が主にならないで、誰に任せておけるのでしょう。
 別の角度から言うと、「歴史時空の多元性」や「地方性、個別性」という点を浮き上がらせるにあたり、氏は、アボリジニの歴史物語を、史実として取り上げるため、誠実にそれと「接続する」あるいは「共奏」する関わり方を、既存の「排除や包摂」の手法に対置させて、提唱しています。つまり、私たち一人ひとりにまつわる話とは、文字通り「個別性」そのものですが、そこにある真実性を、私が私自身と「接続する」あるいは「共奏」する関わり方を通じ、「史的事実」として自ら打ち出してゆこうとする提案です。
 氏は、逆転の発想とそうした関わり方を、「歴史への真摯さ」という言葉に凝縮しています。氏はこの「真摯さ」を「事実に誠実という意味が重なる」こととも言い換えています。その意味で、私たち一人ひとりが、みずからの歴史に「真摯」であることを通じ、自分の人生の歴史家となってゆこうと提起するものです。
 つまり、この「真摯さ」こそ、私たち自身の歴史実践=人生と私たち自身が帰一化する、方法論としての重要な手掛かりがあります。
 第三に、そのように、権威者たる自らの立場を解体した氏は、アボリジニの老人が語る「歴史物語」から、ひとつの大きな発見をします。
 それは、老人が使う「ホーム(home)」と「ハウス(house)」の区別です。すなわち、アボリジニにとって、私たちのような非アボリジニ文明人が言う「家」(ホームとハウスの区別がない)とは、彼らにとっての「ハウス」に相当するもので、いわば、当座の日常生活必要品をしまっておく物置のようなものです。そして、彼らが言う「ホーム」とは《大地》全体で、その大自然全体を「いえ」として生活を送っています。彼らが旅、すなわち、《移動》をよくするのは、そういう《大地》の、たとえば、丘のふもとが寝室で、川岸の木陰が居間だ、という感覚であり、ある程度の定住地はあるのですが、ふと思いたつと、何10キロも離れたところに《移動》して住み着いたりもする。つまり、その「ホーム」たる《大地》において、《移動》によってもたらされる多方面の情報が作り出すネットワークの共有の中で生きている、という発見でした。
 すでに読者はお気付きのように、《移動》とは、当「両生空間」におけるキーワードでもあり、《両眼視野》を保証する基本的な人間行動であります。
 また、あなたがこのサイトを訪問しているように、私たちのネットワークも築かれつつあります。
 すなわち、保苅氏が、従来の歴史家としての立場とインフォーマントとの関係を逆転させた視点がゆえに到達しえた、《移動》のもつ真の意味の発見。つまり、《大地》を我がホームとし、途切れることのないその《大地》との会話をもとに、それと一体化して成り立っているアボリジニの生活と生涯は、《大地》からの教えを引き継ぐという歴史を生きていること、つまり「歴史実践」(これを氏は「歴史する」と呼びます)であるわけです。そして、それを通じ、《大地》の「声」を聞き、教えを守る、倫理行動を行っているわけです。
 氏は述べています。
 「キリスト教の神が、『言葉』によって世界を創造したのに対し、アボリジニの ドリーミング* は『移動』によって世界を創造した。」
 「移動は、世界に注意をむけ、世界と交流するために不可欠なのである。」
  【注】 ドリーミング:氏の意味付けでは、「大地」空間を生きること、「歴史する」こと。

 氏のこうした発見を、当「両生空間」に引き付けて言えば、人生という「フィールドワーク」の歴史実践者である私たちが、「歴史に真摯」であることを通じて自ら「歴史家」となり、その「多元性や個別性」のもつ「史実」さを、自らの考え方、感じ方の中に見出してゆこうとすることは、時代の潮流に忘れさせられていた視野や価値をとりもどす、深い「倫理行動」にもつながって行くと思います。
 「僕の目には、権力というものはつねに、そうした民衆の歴史実践に擦りよりそれを掠め取る智恵に長けているように見える。国家権力が宗教意識へと接近し、あるいは民衆の共同意識を動員するといった、これまで繰り返されてきた歴史からもそれは明らかだ。」(同書の「あとがき」で、同分野の先達である清水透氏からの献辞より)。
 そうした「末期的症状」を見る清水氏は、「自分のことばで喋りましょうよ」と語る保苅氏の「真摯さ」に、可能性を発見しています。
 保苅氏の議論に触発されて提唱されるこうした一連の手法は、氏がアカデミックの世界でその有効性を提起、立証しているだけではなく、私たちの人生という俗界においても、私たち自身をその「戦略的歴史家」とし、自己再生してゆくために、充分に有効ではないかと考えるものです。
 いわば本稿は、それが保苅氏の主張の究極のゴールではないかと思うのですが、氏の主張を、俗世界において、さっそく、応用したいとするものです。
 以上の考察を、ここに《両生歴史学》としてカリキュラム化させるならば、その講義の第一のテーマは、「私たち自身が自分の歴史の歴史家になること」で、これはまた、私たちにとっての有用な《道具》のひとつとなりうるでしょう。

 最後に、本書は、英文による博士号論文が書き上げられた後、保苅氏自身のガンの発病により、あと二ヶ月との余命宣告を受けるなかで完成された、驚異的な著作です。
 保苅氏は2004年5月10日、メルボルンで逝去されました。32歳でした。
 なお、ウエブサイト www.hokariminoru.org. には、氏の生前の声やエッセイなどが公開されているほか、氏の死後に設立された、オーストラリアの先住民族研究者対象の「保苅実記念奨学基金」の詳細が掲載されています。冒頭のエッセイもこの中に収録されています。
 氏のご冥福を心より祈りつつ、本書評を公表いたします。

 【上の本書写真をクリックすると、アマゾン・ジャパン社のアソシエイト・プログラムを通じて、代金の一部が紹介料としてwww.hokariminoru.orgに入ります。この紹介料はすべてオーストラリア国立大学・保苅実記念奨学基金に寄付されます。】
 
 (松崎 元)
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