「両生空間」 もくじへ
HPへ戻る
両生学講座 第四回(両生精神医学)
メランコリーの文化
Culture of Melancholy,
by Gary Greenberg,
出所 Australian Financial Review, 11 Novermber 2005.
抄訳 松崎 元
ガリー・グリーンバーグ氏(写真)は、米国の精神療法士で心理学教授。
この記事は Harper's Magazine に掲載されたもの。
小見出しは訳者による。
歴史におけるうつ病
2500年前、人類が脳の働きについて知るはるか以前、古代ギリシャの医師ヒポクラテスは、今日、私たちがうつ病とよぶ症状を引起す犯人を、人体の四種の体液のひとつである、「黒胆汁」あるいは「メランコリー」と呼ばれる液の過剰であると考えた。
その500年後、ヘレニズム文化の中心地ペルガモンのガレンは、このヒポクラテスの説に付け加えて、いかにメランコリーが「思考の中に暗い影をおとさせるのか」と描写して、今日のうつ病に近いイメージを描いた。
だが、この内部の暗黒の病理は何なのか。ある種の体液がある種の体質を引起すとのヒポクラテスの説に従い、アリストテレスは、メランコリーの過剰は必ずしも病気ではなく、むしろ贈り物であると説き、「哲学、政治、詩作、そして芸術に秀でた人々はみな、憂うつ症だった」とした。
一方、当時の医師は、メランコリーは治癒できる病気であると考えていた。たとえばガレンは、憂うつ症の皇帝、マーカス・オレリウスを、セリアカ(60数種の薬物の調合薬、その主たるものは毒蛇の身の粉末)でもって治療した。
憂うつ症が、病気なのかそれとも気質なのか、という問いは、その後千年を支配し、その結果、憂うつ症をめぐっては、天罰か神の恵みか、病気の症状か思考の洗練か、治療されるべき病状か人間の本質的な悲惨さの洞察か、といった二元論が君臨した。
中世の解剖術師が死体を切り開き始めた時、彼らは、古代の四種体液説を、肝臓の褐色液、血管の血液、そして粘膜の粘液の、三種のそれに発展させた。つまり、黒胆汁はどこにも発見されず、メランコリーな状態の原因、すなわち、現代医学の原則でいう観測可能な生物的原因は、少なくとも現代までには発見されず、うつ病は、純粋な身体的疾患とは区別されるもの、との認識をもたらしてきた。
スーザン・ソンタグがその著書『隠喩としての病』(1978)に述べているように、病気について説明不能な時、我々のありうるつまずきとして、身体的なものより、形而上学的、あるいは心理的なものに原因をもとめる説が現れる。まして、ソンタグが論じる結核やガンと違い、うつ病が対象の場合、私たちを、抽象や感傷に導く。それは、うつ病が、その科学的説明を得るに困難であったり、隠喩的な説明になじみやすいからばかりでなく、その執拗な苦痛は、人間社会への侮辱であり、反発されるのももっともであったからである。
現代医学におけるうつ病
そうした隠喩的説明に不満足な人には、今日までの半世紀は、良いニュースの連続である。
PETスキャン(陽電子放射断層撮影)やMRI(磁気共鳴画像)に助けられ、科学者には私たちの体内世界への探索が可能となり、思考や感情や感覚といった、かっては魂の領域に属すと考えられた人間体験の全分野が、究極的には、ニューロトランスミッター(神経伝達物質)に関わるもの、との結論をくだせるまでに到達した。この神経伝達物質とは、炭素、酸素、水素、窒素からなる分子である。
神経伝達物質が脳内に最初に発見された1950年代初期より、医師たちは、神経伝達物質をもって、精神の状態を生理学的に説明するようになった。ことに、神経伝達物質のうちのセロトニンの不足あるいは不均衡が、うつ病の原因であるとされている。この新しい見方によって、憂うつ状態(メランコリー)は、正真正銘の病気として、特定の生物化学的標識を獲得することとなった。
だが、こうした説明は、黒胆汁がセロトニンに代わっているだけで、ヒポクラテスの説にいかにも類似していることに、どこかの医師が気付いたとしても、彼はそれに触れたりはしないだろう。
むしろ、神経科学における発見が、薬品産業界の得意分野を急速に拡大しており、蔓延するうつ病は、ことさらの関心の的となっている。1950年代末、抗うつ剤の時代が始まり、神経科学の発達とともに神経伝達物質を標的とする数世代の薬品がその後を引き継ぎ、統計的手法を通じ、うつ病の数値化と薬品のテストが平行して行われている。
しかし、これらの進歩の全てが研究所内で行われているのではなく、ことに1980年代末の、プロザックといった選択的セレトニン再取込み阻害薬 ( SSRI ) の導入以来、製薬会社は、うつ病は単純で解り易い病気との考えの普及に努力しており、しかもその治癒が可能、と訴えている。
こうした宣伝は、とくに困難なものではないが、少々、疑問もともなう。というのは、選択的セレトニン再取込み阻害薬が、分析しだいでは、その先行薬のように、そのメーカーが認めようとしているより、ガレンのセリアカのようでもあるからだ。
2002年の『予防と治療』に掲載された記事によると、米食品及び薬品管理局に提出された、もっとも処方される6品目(プロザック、パクシル、ゾロフト、イフェクサ、セルゾン、セレクサ)について、47の試験の中で、20試験のみで、気休め薬以上の顕著な効能を示したにすぎない。
ともあれ、選択的セレトニン再取込み阻害薬は、幾段、症状を改善させるのは確かで、また、市場での売れ行きは、その広範な成功をみせている。
この意味で、この薬は有効であり、もし、その効用が統計的説明と矛盾があるとしても、少なくともひとりのエキスパートによって太鼓判が押されている。すなわち、精神科医ピーター・クラマーは、そのベストセラー『プロザックに任せる』 (1993年) に、たとえうつ病を実際に治癒するものでないとしても、その薬がもたらすと認められている性格上の改善について論じている。
うつ病史は文化史
クラマーは著書『うつ病に抗う』の冒頭で、「論争を著した」と述べている。彼は論争を扱うには余りに温和な人だが、人々がうつ病について、他の病気ほどに考慮することなく、またその一方、人間の生活には不可欠なほど価値あるものとすら考えていると、私たちのアンバランスを指摘している。
うつ病は我々の意識をそれほど完璧に植民地化しており、我々がそれに対抗しようとしても、我々はあたかも「大洋のなかの魚」のようでしかない。
「うつ病の歴史こそ、文化の歴史ともいえる」とクラマーは言い、うつ病が、ないにこしたことはないが、それでも特権的で最先端的でもある意識を形成する助けとなる。これを「英雄的憂うつ症」と彼は呼び、そのルーツを求めて、西洋文明のなりたちを紐解く。
ハムレットのうろたえ、ポーの恐怖、キルケゴールの忍従、ゴッホの自己虐待、そしてプロザック導入以後のウィリアム・スタイロン (米国の小説家) の趣向である「自己病跡学」(クラマーはそう呼ぶ)まで、ある特異な洞察力を誇示した憂うつ症が流行してきた。
私たちは、うつ病が「皮相と深層をめぐる意識に授与された聖なる贈り物」という考えを受け入れてきた。しかし、ソンタグのように、うつ病が、その隠喩的、形而上学的感傷による最大の産物ではあるものの、その病気としての仮面をはげば、それ以上のなにものでもない、とクラマーは言う。
『うつ病に抗う』は、クラマーの「うつ病への浸身」の思い出で、『プロザックに任せる』に書き、引用したこととあわせ、うつ病が私たちをいかに強固に、そのとりこにしてしまうかを説いている。そしてその西洋文明の探求の中で、ある参加者が彼に「ゴッホの疑問」を尋ねている。すなわち、もし、偉大な芸術家がプロザックを服用していたらどうなっていたのか?
彼はそこで、治癒されたゴッホは並みの芸術家に終わったかも知れないと言外に語る。そして、いかに深くうつ病が芸術や芸術の天才たちに対する私たちの態度に染み入っていっているかと指摘する。
それは美学の問題ではない。「メランコリーの支配力は人間の条件を包囲してしまっている。即ち、自らをかえりみる時、人は誰でも、メランコリーを見る。これがメランコリーの基本前提だ。だが、それは芸術を創造するものでも、宇宙における我々の位置を説明するものでもない」。
言い換えれば、うつ病は、患者に必要以上のわざわいを与える。そして、我々に、「活発さへの軽蔑」を与え、「病的気性の理論によって支配され」、我々の社会性、美しさ、賢さ、宗教、倫理の考えに影響をおよぼしている。
以上が、クラマーの中心的な主張で、なかでも、彼のもっとも論争的な主張点は、うつ病についての誤解は、世界における我々の位置について、恐ろしい誤解をもたらしてきており、科学的発見に基づいた再考が必要だ、ということにある。
このように、クラマーによれば、悲観主義は存在論的なものではなく、病理的なもので、そしてそれは今や治癒可能なのだ。今日我々は、いかにうつ病の脳が病的であるかを知ることとなった。何らかの技術、恐らく、薬品あるいは遺伝子技術が、うつ病の進行を抑え、「あなたのストレスホルモンが緩和される」ようスイッチが切られる、といったことになるのは時間の問題である。
こうした技術は、正確に処方され、不必要な苦痛をえり分ける。プロザックがそうであるように、そうした技術は、我々に「ある特定の病気を追放するために、我々自身の変化を求めるようなようなことはしない」。
そうした技術は、「メランコリーこそ、近代性の象徴だ」といった誤った考えから私たちを解放し、また、もともとそうである病気を治癒可能とするために悲観主義と対決する、という見解の醸成に寄与するるだろう。
「うつ病」か「疎外」か
こうした主張は大胆不敵なもので、クラマーは、反論を期待するばかりか、奨励すらもしている。すなわち、彼は、『プロザックに任せる』の読者を、「お化粧的心理薬理学」に本当に関わるべきかと問うように仕向ける。『うつ病に抗う』の中では、彼は、メランコリーの地を取り除くということが、はたしてよい考えであるかという質問をあげ、「病理学について論じることは、自己改善、消費主義、腑抜けた幸福といった、偉大なアメリカ・キャンペーンと同列に並ぶ、その第一歩じゃないのか?」と問う。
だが彼は、「ブルジョア的満足への魅惑に抵抗すること」を、病気と診断し、疎外とは扱わないことを求めているのではないか。うつ病が退治されるとともに、貧困化はないとしても、政治や文化は妥協しようとしていないのではないか。
クラマーは、こうした問いに答えようとして、多分、その本の最も強烈な(そして最も当惑する)論法であるクライマックスに達し、込み入った彼自身の追憶をとりあげる。すなわち、「疎外について私に話さないでほしい」と彼は宣言する。
「私は、それが花盛りであったハーバードで60年代を過ごし、しかも、そこで私は、くよくよしたアウトサイダーだった」。クラマーが私たちに知ってほしいのは、おそらく、彼が疎外論の敵であったのではなく、彼がただ「疎外が、うつ病と分離された状態において、そのあるがままを解明しようとした」だけなのだと思う。
つまり彼は、うつ病は、危機感にとらわれた疎外知識人から安全に分離されるべきと主張したのだ。だから、私たちは、治癒された患者が、盲目的楽観主義者や陽気者の新社会から強要されるという心配を持つ必要はない、とはいえる。
うつ病の対極とは、溌剌な脳と身体に支えられた生きいきした精神である。「神経細胞が、破壊の淵から遥かに遠く離れ、新たな接続が芽生え成長し、新しい学習を可能とし、やってくるストレッサーに対峙するさらなる活力をもった時」、その幸運な所有主は、環境に応じて苦難を背負い、脅威に立ち向かい、忍耐をも持つことができる。
現実のなかで、どれほどの快適さを得られるかどうかは、(うつ病か疎外かという)この峻別をおこなう医師と、(あなたの疎外が診断内容を受け入れられない場合に)奨められる薬品の製造会社を、あなたがどれだけ信頼できるかにかかっている。
私の20年以上の臨床経験でもってしても、誰の苦悩が本質的に意味あるもので、誰の苦痛が単に電子化学的異常状態のものか、私は、それを判断する仕事をしたくはない。ましてや、私は、そうした仕事を私に与えて欲しいとは思わない。というのは、歴史という屑入れは、どれほど幸福になるべきとか、そうなるにはどうすればいいのかといった、人間性について信ずる価値もない考え方で取り散らかされているからである。
しかし、疑いなく医師たちは存在しており、おそらく彼らは、外科医的正確さをもって陰うつさを取り去る使命に魅された人たちである。そして、あなたが自らの疎外によるものと自認するより、もっと落ち込んでいると進んで結論付け、また、クラマーが『うつ病に抗う』で行っているつまらぬ論争の結果、専門家はその “重大決定” をあたかも思慮深く行っているように見せ、さらにその上、メランコリーの悩みという人間性を、除去することが安全であるとすら宣言してしまうのである。
二極分化した社会
温和でブルジョア的な快適さが社会的にも保持され、生きいきとした時代は、黄金の時といえよう。審美性は、人々の求めに応じて、「広範囲な対象と多様性をもった詩」へと、あるいは、芸術は趣向のバラエティーをそなえたものへと生まれかわる。私たちは、メランコリーのくびきから解き放たれ、文化的、政治的豊饒の時代の住人となる。「うつ病がゆえにではなく、多くの芸術が花咲き、多彩な価値を創作する」。「生きることがそれほど自由になれれば、自身を知ることも、いかにも溌剌たるものとなる」、とクラマーは確約する。
そうではあろうが、それはどれほどか。
『うつ病に抗う』にあげられたすべての疑問のように、その明らかな几帳面さ、たとえば、悲観主義は本当に病理的問題なのかとか、苦痛を減らすため薬を用いるべきなのかとか、もし憂うつを味わいたいのなら実際に病におちいるべきなのか、といった疑問は、実は、まったく回答不可能なものである。
もっと正確に言えば、そうした問いは、(植物人間への)栄養供給パイプ、ステロイド、後期堕胎についての是非のように、それらへの答えは、分化した社会生活(俗世か聖界か、機械打ちこわしの側かテクノクラット的完璧性の側かといった)が存在する以上、どちら側の究極に立って(そしてどちらの側から予想して)答えるかにかかっている。
もしあなたが、人間の力とは生物化学にもとづく随伴的現象であるとし、また、科学的進歩が容赦なく明るい未来をもたらすとすでに信じているのなら、悲観主義を非とするクラマーの運動に参加することが理にかなっていよう。
しかし、もしあなたが、人間の力とは実体のあるもので、その目的遂行が生物化学により単に下支えされるものにすぎず、あるいは、科学と技術は、人類が引き継いできた成果に釣り合わない、と考えるなら、きたる神経保護物質(nuroprotectant)の時代は、現在の抗うつ剤の時代のように、問題含みの時代であると見るにちがいない。
当然に、クラマーが作り出した、ふさぎ込むということが何か価値あることであると主張すること自体が、病気の証拠であるといった、反証不可能な説の中では、そのようにしか、あなたのうつ病はとらえられていない。
しかも、その説は、あなたが本当に考えていることについては、関心がない。また、製薬会社は、その初期の頃から、神経科学の研究を推し進めてきた。そこでは、私たちの内的働きについての知識は、利益のために用いられてきた。そして、彼らは、ある特定の状態の精神にみにしか関心をもたない。
製薬産業ビジネス
米国では、一般市民をとらえるという努力ほど、勢力が注がれるキャンペーンは他になく、たとえ一日のロスもなくその指導者が忌み嫌われようとも、人をして、幸福とは一枚の宝くじのようなものとか、ひとつの消費行為とか、一錠の薬の問題とかと、思い込ませるために、それは繰り広げられている。
化学を通じたより良い生活が悪いというのではないが、「よりよい」ということにはたくさんの次元や、たくさんの方法がありながら、製薬会社は、つねに、彼ら自身にベストの方法のみにしか関心はない。これが、特許化できないハーブの一種である聖ジョンのウワート(ビールの原料)が、うつ病に効果があるのはなぜなのか、私たちが(おそらく永遠に)知らない理由である。
また、プリンストン大学のバリー・ヤコブ教授が指摘するように、筋肉を大きく使う繰り返し運動が、うつ病を和らげることに有効であることも、そうである。あるいは、マリファナ(これも特許化できない薬品で、その支持者は抗うつ剤と主張するが、製薬会社株主の反発という政治的逆襲がある)の効果がどうであるのかもそうである。あるいは、エクスタシーと呼ばれる MDMA は、いくつかの研究で、うつ病に長期的効果が認められている。しかし、違法であるばかりか、一生に数度すら使えない。製薬産業の話では、ひとつの薬品の開発には5億ドルのコストを要し、その回収は容易ではない。
いずれにせよ、こうした介入は、それがよくないと決め付けられているからだけで、したがって、それ自体やその背景の神経化学の研究に、豊富な資源が投入されることはありえない。
二極化した社会に回答不能な問題を発することは、あらゆる巧みなマーケティング手法のように、とてつもなく破壊的効果をもたらす。
『うつ病に抗う』の場合、クラマーの思索は、身体内の生物化学の秘密を製薬産業のための材料にしているという事実からして、私たちの目をそらす役目を果たしている。また、そうした役割に無頓着でいることで、クラマーは、私たちの精神的苦悩についての見解が、どのように形成され、ひいては、彼の確約した将来がどのような意味をもつものなのかを、私たちに伝えることを隠してきている。
うつ病は脳に起因すると言うことに何も異論をはさむ余地はない。それ以外のどこに、その起因がもとめられよう。あるいは、それは病気である (ことに、もし哲学者ピーター・セジウィックがいう、病気は自然について申し立てるというより、むしろ、社会的資源を要求するものだ、ということに賛成するなら)、ということにも異論はない。
「うつ病に抗うこと」にも、何も異論をもつところはない。しかし、株主や会計士によって支配される新たな帝国に私たちの精神をあけ渡すことを求めることはどうなのか? ここには異論をはさむ充分な理由があり、憂うつにさせるに足るものがある。
(松崎 元、2005年11月14日)
「両生空間」 もくじへ
HPへ戻る
Copyright(C) Hajime Matsuzaki この文書、画像の無断使用は厳禁いたします