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両生学講座 第15回(両生歴史学
 



      
動点観測、定点観測


 ここのところ、本講座は、両生歴史学が続いてきていますが、今回も歴史です。ただし今回は、ひとまずの一区切りとして。

 私の書き表したものに接していただいている読者には、ある、一連の言葉への注目を頂戴しているのではないかと思います。
 たとえば、まず第一に、このサブ・サイトのタイトルが 「両生空間」 であり、この諸講座の名称の “接頭語” にもあるように、「両生」 という基本概念があります。また、エッセイの中で、「仮の姿」 や 「実の姿」 といった対比表現もあります。あるいは、藤村の 『夜明け前』 の読後評として 「ジレンマ」 という言葉も使いました。それに、哲学宗教の分野の講義には、「西洋」 「東洋」 といった対表現も度々使用しています。
 すなわち、こうした言葉はいずれも、一枚構造ではとらえきれない,、ある対立した複合構造の存在を示唆しています。つまり、ある重複性の認識が、私の考えの根底に存在しています。
 ということは、一般に、「真理は一つ」 などと言われてきているのですが、それこそが真実でなく、むしろ 「真理は二重、三重」 というのが、私の到達しつつある地点です。そういう視点で見れば、神の唯一絶対性という一神教の構造も、「万世一系」 と言われる天皇制も、無理やり作られた、ある虚構のひとつではないかと見えてきます。
 そうした剛直性をもたぬ、“非 - 安住な” 世界観、そうしたものを、得つつあります。
 ただ、こうした多重性に至り着くことは、あたかも、ことの核心を見抜けず、定まるところを知らず、いつも漂流しているようで、気分として、心地よくないところのあるのも確かです。また、一方に傾けば他方を無視したようであり、また、その逆も然りです。
 しかし、朝、夜明けとともに目を覚まし、今日の最初の黄金色の暁光を受けながらいだく、ある透明な心境にある時、そうした 「多重性への到達」 も、いまや水平な平衡感へと変じ、特定事象にこだわらない、穏やかな心理が私を満たしてくれます。

 ところで、話は転じますが、いま、この南半球のオーストラリアの地で、ラフカディオ・ハーン=小泉八雲 を読んでいます (具体的には 『新編 日本の面影』 (角川ソフィア文庫))。
 これは、なんとも不思議な体験です。日本のよさ、美しさを、心底つづった、そうですね、あえて言えば、きわめて上質な 『Lonely Planet』 (日本語版では 『地球の歩き方』) の、 「Japan 案内」 を読んでいるかのような、実に、不思議な体験です。
 くわえて、ハーンがそこに書く日本は、1890年代の、つまり、一世紀を越える昔の日本です。ということは、この読書体験は、地理的ばかりでなく、歴史的な意味でもの 「旅」 のガイドブックを通じて、そう体験しているということになります。
 つまり、そのように、祖国のはずの日本を、異体験しています。
 ということは、私はそこまで、「異人」 になってしまったようです。

 私は一昨年までのほぼ十年、かなり精力的に、このオーストラリアから 「外国」 旅行をしました。主に、アジアの諸国を訪ねましたが、それは、インドにいても、中国にいても、あるいは、台湾、韓国、タイ、マレーシア、カンボジア、インドネシアなどなどにいても、ある、共通する体験を伴うものでした。つまりそれは、一種の部分的なタイム・スリップで、「こんな光景、こんな体験、いつか昔、子供の頃、日本のどこかで、したことがあるな」、といった、忘れかけていたある懐かしさとの遭遇でした。
 そしてまた、そうした場所ではよく、(若いバックパッカー世代を省かせてもらいますが)、数はそれほど多くはないものの、質素ながらちょっと裕福そうな、欧米の熟年の旅行者をみかけました。そうした人たちは、旅行体験も豊富そうで、教養もなかなかのような人たちでした。
 そんな私自身も、たいていは、ほぼ同世代のオージーの友人と一緒の旅で、分類としては、上記のような 「熟年欧米人」 タイプに属していたでしょう。
 つまりそこには、人生の重要な部分として、「旅」 に入れ込んでいる人たちの存在があり、私の用語で言えば、旅に、「仮の姿」 ならぬ 「実の姿」 を、そう体現している人たちがありました。今風「ハーン」と呼んでもよいような。

 時間は、今をここにして、将来へも、過去へも、二つの方向に伸びています。
 今に飽き足らぬ人にとって、「旅」 とは、結局、これら二つの方向の、いずれかへの移動です。
 22年前、私は、「将来」 を先取りしようと、このオーストラリアへやってきました。そしてその地に定着することとなった後、こんどはそこを拠点に、上記のように、思いがけなくも、「過去」 を体験する 「旅」 をしていたわけです。

 ところで、上記のラフカディオ・ハーンを読む前に、私は、渡辺京二の 『逝きし日の面影』 (平凡社ライブラリー) という、強固な日本自覚者になる著作を読んでいました。19世紀後半、日本が西欧化をとげ始めようとする頃、別の「ハーン」とも言うべき、訪れた多数の欧米人がともに驚嘆し、(日本を変化させる使命を負う自らに) 自責感をすら持たせた、独特でいじらしいような当時の日本を、彼らの残した記録に確認する書です。つまり、そういう日本が、確かに存在していたという、ひとつの証明の試みです。
 渡辺京二は、立脚点への強い捕捉力をもって、日本人という特徴ある一集団の人びととその社会を、さらに明瞭に区別してとらえるに足る視野を提示しています。そういう意味では、彼はいわゆる 「旅人」 ではなく、あえて言えば、定点観測者です。
 ただし、彼の観測眼の対象は、時間軸にそって移され、「旅」 と同等の働きをしています。
 すなわち、物理的な 「定点」 あるいは 「動点」 の違いはあれ、また、地理的な二点間あるいは時間的な二点間の違いはあれ、そこに、微妙かつ重大な差異を発見しうる観測の磁場があります。

 ただし、以下のような、もうひとつの観測対象があります。
 上記の私の 「外国旅行」 中でのことですが、例えば、中国の一省都の盛り場を物見遊山していて、ふと覗き込んだショーウィンドウに映ったわが身の姿は,、自分が物見の対象としている周囲の中国人と大差のない、どこからみても、明らかな 「東洋人」 であったりしたわけです。
 また、別の出来事として、上記の 『逝きし日の面影』 を読んだ後、私の脳裏をかすめたものは、なぜか、「汚れつちまつた悲しみに」 というフレーズでした。言うまでもなく、それは、中原中也の詩集 「山羊の歌」 所蔵のひとつの詩 (脚注参照) のものです。つまり、「日本」 をはじめとする一連の 「故郷」 を思っては、そうした 「悲しみ」 を伴わずにはありえそうにもありません。

 このようにして、世界観としては、多重性をもって拡散しながら、個にまつわる認識としては、あきらかな土着性をもちつつ空疎化しているわけです。

 そういう、「動」 と 「定」 にまたがるさらなる 「重複」 や 「ジレンマ」 のなかに、「両生空間」 が存在しています。「穏やかさ」 と 「悲しみ」 をともに引き連れて。


 さて、こうして、「両生歴史学」 が 「両生空間」 に帰り着いたところで、ひとまず、連続してきた 「両生歴史学」 の講座に一区切りをつけたいと思います。

 では、読者のみなさん、よき新年をお迎えください。

 【脚注】

 (松崎 元、2006年12月14日)
                                                            「両生空間」 もくじへ 
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