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 私共和国 第5回



時間銀行


 
 前回、 『痩せ意地の記』 で、「時間を預けておける銀行はありません」、と書きました。
 その 「時間」 についてなのですが、一昨年の11月、聖路加病院名誉院長の日野原重明氏の講演がシドニーで行われたことがあり、私もその一人の聴講者となりました。その講演の中で、日野原さんは、<子供たちに命の大切さを話しているのだが、その際、 「命とは時間だよ」 と教えている>、と語っておられました。
 それを聞いて私は、ずいぶん哲学的で難しいことを子供に言うんだなと、思わず受け止めさせられました。しかも日野原さんは、子供たちはそれをよくわかってくれるというのですが、その時は、私は氏の言うことを、すとん、とは飲み込めなかったのでした。
 それがひっかかりとなって、この 「命とは時間だよ」 という言葉がずっと頭に残り続けていました。
 そうした折、前回、上のように書き、そして 「生きて生活しているとは、今の時間を、今、充実して過ごすこと」 と述べながら、ああ、日野原さんが言わんとしていたことはこれなんだなと、ようやく納得に到達した次第でした。

 もしこの私の理解が正しいとすると、日野原さんの言う 「命とは時間だよ」 ということは、 「命とは今という時間だよ」 ということとなります。つまり、抽象的概念としての時間はともかく、具体的な時間とは、刻々と来たりそして過ぎ去ってゆく 「今に生きる命」 のことで、これほど貯蔵の不可能な “生鮮品” もありません。
 そして、 「今」 をそのように意識しているのは人間だけで、私の中に、無数に生じ、消え去ってゆくものが、その 「今」 にほかなりません。つまり、その 「生鮮さ」 こそ、言い換えれば、私たちの心身の 《健康さ》 こそが、その 「今」 を 「今」 とさせる原動力で、そういう意味では、時間を預けておける銀行とは自分の 《健康》 である、と言って間違いではないと思っています。

 (2008年9月10日)

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