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第二期・両生学講座 第13回
以前に、 「両方を選ぶ二者択一」 ということを述べました。いわば私の処世術です。
その一方、警察用語というか探偵小説用語というか、「アリバイ」 という言葉があります。これは、一人の人間が二つの異なった場所に同時には存在しえない、という現実論理の鉄則です。
言語矛盾のような前者 「処世術」 のおもしろさは、この後者の鉄則を破れるかの、超現世的ダイナミズムがひそんでいることです。むろん、これをもって完全犯罪が成し遂げうるということではありませんが、少なくとも私は、ひとことに縛られるという限界を突破しえてきた体験を現実に獲得してきました。
ところがです。そうした鉄則破りが、さらに有効となりうるかもしれません。つまり、その 「両方を選ぶ」 という思考発展が、さらに規模を広めた範囲に適用できそうな可能性についてです。
というのは、前回の 『私共和国』 17回で 「e-永代供養」 を述べた際、その文末に、 「おくりびと」 という最近話題の邦画のタイトルを借用しました。そして、そう引き合いにさせてもらう以上、その現物に当たっておきたいと思い、その後、さらに調べてみました。まだ、その映画作品自体は未鑑賞なのですが、制作会社による予告内容や、解説者による評論などに目を通しました。
そうしている際でした。偶然、この映画の本来の原作者である青木新門氏のサイト 「shinmonn の窓」 に出くわしました。そこで知ったことは、この原作者は、映画が原作の真意を表していないということで、著作権を放棄するまでもして、自分がその映画の原作者とされる立場を拒否したという、映画制作にまつわる経緯でした。そこで俄然興味を引かれたのが、この世間離れした原作者ご本人と、その本物の原作、
『納棺夫日記』 でした。
1993年に、地方の小さな出版社から世に出たこの作品は、ベストセラーとなり、さらには文庫版にもなっていて、いまさら私が改めて紹介するまでもありません。ですが、簡素すぎるほど淡々とした筆運びながら、実に内容深い逸品です。もう、映画の方を観る気も必要もありません。それに、サイトにも表れされている、作者の一見かたくなな生き方にも、深く心を動かされるものがあります。
この作品は、その題名のように、自分の過去の日記を手掛かりに話を展開させているのですが、私はその手法に、我田引水ながら、 『相互邂逅』 と同類の発想を見る思いがしています。それに加えて、 『納棺夫日記』 も三部構成 (ただし、私の作品の冗長さとは対照的な簡潔さをもって) となっていて、テーマが次第に思想的に高揚してゆく話の発展の形
(これは今の段階では、今後への私の構想に過ぎませんが) にも、ある似通ったスタイルがうかがえるように思えます。
また、作者の青木新門氏は富山在の人で、この作品の、 「今朝、立山に雪が来た」 との書き出しに示されているように、立山連峰を背にし、神通川扇状平野に生きる富山の生活と自然が、この作品の影の創作者として働いています。
実は、私はこの富山の地を、むしろ私がオーストラリアで暮らすようになってから、いく度か訪れるようになりました。作者が描写する 「立山」 についても、そうした自らの記憶を重ね合わせるようにして読みました。山好きな点でも興味を同じくする一友人がこの富山に住み、雪も降らず山も見えないシドニーに生活するようになった私に、その地がどこか、自分の故郷のようにも思えてきていたからでした。
その富山に生まれ、自らの一時期を東京に託し、その後帰郷を決心したこの友人と、私は南半球の地から手紙やメールで友情をかわしつつ、そういう彼と対比して、自分を
「根なし草」 と表現していました。
ただ、そういう私も、オーストラリアへと旅立つまでは、むしろ自分が日本に釘付けとなっていました。それが、機会あって、遂に、長年の願いであった出立をそうして果たしていたのでした。
私は、こうした友人と私との間に、あるいは、昔の私と今の私との間に、一対の 「静と動」 を見ます。
それは、 「アリバイ」 といった言葉の範囲では、そして、私がもはや過去の自分には戻れないといった世界の話では、この 「静と動」 には 「両方を選ぶ」 ことは絶対にありえません。そういう、人の世の現実論理の鉄則はここでも厳密に働いています。
しかしながらです。この作品 『納棺夫日記』 には、そうした鉄則を越えうる何かがひそんでいます。そうした 「静と動」 が、単なる対置や論理を越えて統一と融合に向かう、次元を異にした視界があります。
ただ、それが何かを述べるには、ひとつのエピソードを語る必要があります。
この作品を読んだ私の韓国人の友人、バエさんと話していた時でした。そこで私は、この著者に関し、よくも自分の生まれ育った地元で、納棺夫という仕事が選べたものだとの驚きを示しました。するとバエさんは、この作品を読んで
「自分の弱点をあらためて知った」 と言うのです。そしてその 「弱点」 とは、本当の修羅場をくぐってきていない自分であると言います。文庫版にも、著者のサイトにも、共に、死んだ弟を背負った少年の写真について述べられています。そして、その写真と全く同等の体験をしてきた自分のことを語っています。バエさんは、その体験を修羅といい、朝鮮半島という、彼の生きている間で二度も戦争に巻き込まれた地にありながら、半島南端の釜山という地の利から、悲惨な戦禍つまり修羅場からはまぬがれてきた。そういう自分を
「弱点」 と言うのです。ことに朝鮮戦争の際、半島全体が戦場と化し、一時は、押し寄せる共産軍から逃れる軍も難民も半島南部に追い詰められます。その戦乱と凄愴のさまは、まさにこの世の地獄であったでしょう。バエさんの身辺にはそうした修羅場体験者が幾人もおられ、いまだに、その際の体験には口を閉ざしたままでいる。そうした人たちと自分を対比して、「弱点」 と言います。そして、その視点をこの作者に移して、そうした修羅場を体験してきたからこそ、納棺夫という仕事も、 「難なく」 選べたはずだ、と言うのです。
そうであるなら、引き合いに出すのもはばかれますが、私の体験などぬるま湯そのもので、だからこそ、ただの 「驚き」 で終わっていたのでした。
つまり、 『納棺夫日記』 には、その作品以前に、語られなければならなかった人生上の体験があります。そして、その、語られなければならなかったこととは、内に閉ざされていた著者の苦悶とともに、そういう死を、あるいは、それだけの生を、死して終わった命の意味でした。ここには、つなげられなければならない 「死と生」 、つまり、 「静と動」 があります。
卑近ながら、私の場合の 「静と動」 は地理的ないしは時間的なそれでした。一方、バエさんのいう 「弱点」 という視点は、植民地化や戦禍という人類界の
「静と動」 を見据えてのものです。そして、 『納棺夫日記』 という作品が描き出す 「静と動」 には、人間の存在を越え、生命の根源にまでもさかのぼる、思想的、宗教的な大空間に広がるそれです。さらにそれは、引用としてながら、現代科学の最先端をゆく、宇宙物理学の
「統一理論」 にまでも言及されています。
私が言っても、針の穴から天をのぞくようなものですが、そうした 「静と動」 にまつわって、 「静」 が 「動」 であり、また、 「動」 が 「静」 でもある、 「両方にまたがってある」 これまた 「両方を選ぶ」 視座というものが、ありそうなことだと思われるのです。
(2009年7月14日)
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