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 連載小説



メタ・ファミリー+クロス交換
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偶然






 若者たちの世界に仲間入りさせてもらい、自分も同じように初心者に立ち返って、ともに自らを新たに訓練するという経験をする一方、モトジはそれまで、自分の手持ちの資源が年相応にも、すでに大半は使い果たされたものと暗黙に信じ込んでいた。そして、何事かうまくゆかない困難な事態に差し掛かった際などには、いよいよ年貢の納め時か、などとの弱気な境地に思わず陥ってしまうこともあった。
 むろん頭では、本当はそうしたものでもないはずと考えたりしていたのだが、それをそう自分に実感できることとの間にはまだ大きな開きがあった。だが、そうした暗黙の受止めが単なる思い込みにすぎない誤った常識だと感じられるようになるまで、それからさほどの年月は要しなかった。そしてやがて、自分の資源はまだまだ未使用の余地を残しており、それは扱いよう次第で、引き出すこともその活用も可能だと実感を伴って思えるようになっていた。

 そうこうして三年ほどの年月が流れ、店の中でも実戦力としての地歩がそれなりにでき、キッチンでも寿司部門でも、両方の仕事を何とかこなせるようになっていた。同僚たちも、僕より後から入ってきた者たちがほとんどとなり、彼らから頼りにされたり、親しまれたりもするようになった。
 そんなある日、新たに雇われて一人の若い女がその店に入ってきた。すらっと背が高く、目元の清涼なちょっとした美貌の持ち主で、英語以外にフランス語やスペイン語もこなすという。そんな人材がなぜこんな店に入って働かねばならないのか、いささか不思議にすら思わされる人物だった。
 店の一同は、紹介されて、その人の名を絵庭と知った。
 そうして彼女は店の従業員の一人となったのだが、いっしょに働きはじめてまもなく、モトジは彼女に、しだいに強まるいけ好かない印象を持ち始めていた。それは、見かけによらず、口のきき方が、押しが強いといえばそうなのだがそれに留まらず、ずけずけとしていて角があり、時としてひとの気持を逆なでするのである。年を聞くと三十という。結婚もしているらしく、店じまいが遅くなった日などは、夫らしい人が車で迎えに来ていた。
 そんな彼女の、それくらいの年にしては世慣れしすぎた口のきき方がどうも並みでなく、ある時、家庭環境を探ろうと親の商売を聞いてみたことがあった。すると、家は日本のとある地方都市で料理屋をしているという。そう聞けば、さまざまな人たちの出入りするそうした家庭環境で育てば、ある人慣れした性格ができても不思議ではない。そんななかで、おそらく家のビジネスを切り盛りし使用人に采配をふるう母親の、そうしたずばずばと押しのある口調を、知らずしらずに覚え込んでいたのだろうとモトジは想像した。
 そうした良くない第一印象ではあったのだが、モトジがだひとつ絵庭に関心させられたのは、それだけの容貌ゆえ、なにかと店で働く男たちの注目の的となり、手さえ空いていれば彼女はしょっちゅう誰かから話しかけられていた。それは、いわゆるちやほやされている場面とでも言えた。だが、彼女はそれに、別にもったいを付ける風でもなく、いつもと変わらぬ普通の様子で受け答えしており、そんなひいきに安々とは乗らない落ち着きぶりだった。そんな尻軽でない彼女の態度には、モトジは一目を置くようになっていた。
 それでも、モトジはつねに絵庭には、無関心ないし冷淡な態度で接し続け、彼女への吹聴は店の若者たちの専念事項とまかせ、ましてや自分の年のほどもあって、モトジはずっとその圏外を保っていた。また、同僚同士の雑談に彼女の話題があがる場合でも、モトジは常に、彼らに反してネガティブな受け答えばかりを表していた。それで最後には彼らから、「モトジさんは、絵庭が嫌いなんですね」、などと断定されるほどとなった。
 そうした月日が過ぎていたある宵、モトジが寿司カウンターに立って寿司を握っていた時だった。それまで忙しかった客足がとぎれて、店のみながひと息を入れていた。そんな合い間、洗い物を片付けながらの様子でモトジの脇にやってきた絵庭が、傍目では分らぬほどのほのかな科〔しな〕を漂わせ、モトジにそれとなく話しかけた。それは、いつもの角のある口調ではないものの、やはりなにやら単刀直入だった。
 「モトジさんは若い時、もてたんでしょう?」
 モトジはおやっとも思いつつ単なる世間話としてそれを受け流したのだが、彼女のその時の何かを表したげな印象だけは、切り抜いた写真のようにはっきりと刻印されて残った。
 それから間もなく、絵庭はもっと条件のよい仕事先をみつけたと言って、そちらに移っていった。

 その後しばらくして、かってその店で働き、辞めていったものたちが、同窓会だといって集まって一杯やろうとの話しが持ち上がった。集まる人たちは若い人たちが中心で、絵庭も含まれていたようだった。まだその店で働き、まして世代違いのモトジはその対象外であったはずだが、なぜか、そこにモトジも呼ぼうという話になった。モトジも、辞めていった彼ら、彼女らがいまはどうしているのか、それが気にもなっていたので、ややためらいはあったものの出席することにした。
 この集まりはまた、もうひとつの目的を持っていた。それは、ワーキングホリデーの一年延長を獲得するため、ほとんど半年間も、オーストラリアの田舎でフルーツもぎの労働をこなしてきたヒロキの帰還をお祝いすることだった。彼に言わせれば、それは格子のない牢獄のようなもので、ようやく、娑婆に戻ってこれたとその感慨を表していた。
 モトジは、彼が店に居た時分、今時の若者には珍しい、熱心で勢いのよい働きぶりに注目させられていた。また、話しを聞けば、日本の氷河期世代の典型であるかの体験の持主で、卒業以来、三十一歳になろうとする今まで、フリーターばかりを繰り返して生活してきていた。そんな彼に、モトジは、余計なお世話かとも思うのだが、なぜか湧きあがってくる同情めいたものを感じ、できることなら、何とか彼に人生のチャンスを作ってやれないものかとも望んでいた。
 そうして始まったその会合で、モトジは、絵庭がシドニー中心街の百貨店で働いていることを知った。飲食業界と違って、そうした職種は白人のオージーたちが多く働く職場で、法的条件も比較的満たされており、飲食業のような貧弱な労働条件に泣かされる必要はないようだった。まずは大きな前進だろうと、モトジは彼女のその転職の成功をひとまず祝ってやった。
 その集まりの間、彼女は終始モトジの隣に席をとり、ほとんどずっと彼との会話に時をあてていた。そうして彼女は、自分が三人姉弟の長女で、下に二人の弟がいると話した。また、両親は、彼女がまだ幼いころに離婚して、自分たち三人は、母親と祖父母の手で育てられたともいう。おそらく、そうした家庭環境のせいであろう、絵庭は、年の離れた年長者であるモトジにも自然な親しみを抱けるようで、また、その父親の存在を欠いた育ちのためなのか、あたかもその欠落を埋めようとするかのように、モトジにうちとけた親密さを匂わせるしぐさを見せていた。その一例を挙げれば、二人は同じ銘柄のビールを飲んでいたのだが、飲み足らぬ調子のモトジに、何のためらいもない様子で自分の口をつけたスタビー瓶を差し出し、 「これを飲んでください」 とあっさり言うのだった。
 他方、彼は彼で、その絵庭とは、どこから見ても偶然の出会いでしかない関係であるにも拘わらず、自分ながら勝手な思い込みとあきれつつ、モトジは、なにかそれだけの理由があるかのような、はてまた、あたかも彼女が自分と共通の血筋を引いているかのような、奇妙なファンタジーを描き始めていた。
 それは、何かを欠いている者たちがそれがゆえに持つ、ある渇きの共有だった。そしてその欠いているものとは、普通の家族なら共に存在しているはずの彼女の父のその不在であり、モトジの子の不在だった。だからそれは、あたかもひとつのトンネルの双方の口から、互いに暗い内部へと向かって歩きはじめた二人が、そうした暗がりのなかでもありながらいずれどこかで出会うはずの、そうした同一感だった。あるいは、そういう縁で結ばれている、確かなゆえんとも受け止められるものだった。
 そうして夜もふけ、その集まりがお開きとなる頃には、二人は互いに、父と娘同士でもあるかのような、意図的な誤認をほのかに交換するようになっていた。

 つづき
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