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私共和国 第34回
「成人病」 という言葉がありました。高血圧とか心臓病とか脳血管障害とかが、40歳を越えるあたりから増え始めることから、そう呼ばれたようです。
ところが、いまではそれは 「生活習慣病」 と呼ばれています。この呼称の変更を提唱したのは、たしか日野原重明(聖路加病院名誉院長)先生だったと思いますが、おそらく、その原因を追究してゆくなかで、そうした病気をもつ
「成人」 に共通する要素として、一定の 「生活習慣」 の発見に至りついたのだと思います。
一般に、病気の名前のつけられ方には興味深いものがあって、その “変遷” には、その病気の解明の程度や歴史や社会の意向が反映されています。この 「成人病」 から 「生活習慣病」 への変遷にも同様なものがあって、まずその現れ方や分類への注目から、その原因への注目へとの変化や進歩がうかがえます。
前回から、私の第二の 「訳読」、 『 “ボケ” ずに生きる』 が始まっていますが、そのテーマである 「認知症」 も、 「痴呆症」 から、数年前に言い換えられた結果です。どうもそこには、おおいに日本的と判断される、その名称の持つ聞こえの悪さへの社会的な
“配慮” があるようです。
しかし、考えてみれば、病気というものはどれも歓迎されるものではなく、できれば隠しておきたいし、隠しておけないとしても、やんわりと呼んでほしいものです
(認知症の場合には、患者やその家族への偏見の配慮があったようです)。世の中での通称がそうした傾向を持ちやすいのは止むを得ないとしても、認知症のケースのように科学者の集団である医学会までをも巻き込んで、その名称変更が行われるのは、どうやら極めて日本的現象のようでもあります。ちなみに、英語の場合、認知症は一世紀以上もずっと
dementia で、その語源を調べてみると、その意味するものは、日本語の 「痴呆」 にうんと近いもののようです。
しかしながら、 「成人病」 から 「生活習慣病」 への変化の場合は、そうした社会的配慮がゆえのものではなく、解明されてきた原因がゆえのものです。
そういう原因反映の名称変更であるのなら、私はこの 「痴呆症」 の場合もそれにならって、 「認知症」 といった日本的婉曲主義を飛び越して、それを
「脳性-生活習慣病」 と呼んでみたらどうだろうかと発想しています。つまり、どうやらこの種の病気が、まず、人が長生きするようになったという現代的条件に加えて、日ごろの生活の栄養とか運動とか、そしてひょっとすると、生きる姿勢までもが関与して、一連の発病の危険因子となっているように考えられるからです。
今のところ、以上はほんの思いつきにすぎませんが、この第二の 「訳読」 『 “ボケ” ずに生きる』 が進むにつれて、この思いつきが科学的に立証された見解に転換されるはずと期待しています。
(2011年8月22日)
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