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熱力業風景
(その2)


戻ってきてしまった場所



 また、ここに戻ってきてしまったな、と思わされる日々。
 四半世紀前、中年留学生生活を始めた時、そこからスタートしたその振り出し点です。

 一月でひとまず終わった寿司修行にまつわる世界は、たとえそれが 「外道」 であったとしても、基本的に日本語の世界でした。むろん、日本語のできない人たちとも一緒のマルチ・カルチャー職場でしたが、その看板商品は何といっても日本料理。へたな英語を介してのコミュニケーションでも、地は日本文化圏内のことでした。
 ところが、いよいよというか、今度の世界は、基本、英語の――しかもそれぞれの専門領域英語の――世界です。加えて、そこでの看板商品は、食品ならぬ、情報やサービス。これは、ともかく、英語になっていなければお話にもなりません。
 もう四半世紀もこのオーストラリアの地に住んでおりながら、今さらの話でもないのですが、この新シリーズに描かれるべき主たる 「風景」 のひとつは、万里の長城さながら、延々とつづく壁、言葉の壁です。たとえ初歩のそれではなくなったとしても。
 
 その四半世紀の昔、何とか入学した修士のコースのとば口で、とにもかくにも噛みしめさせられたことは、 「知らない言葉を通して、知らないことを学ぶこと」 の困難さでした。よりにもよって、何でこんなことを始めてしまったのだろうという、後悔にも似た嘆きでした。
 そこでやむなく考えざるを得なかったことが、自分がもつ “資源” をフル活用するしかないことでした。あれもこれも人並みでしかないそのなけなしの能力がゆえ、ひとつ残らず、それらを総動員することでした。つまり、そういう形の適応をするしかないことでした。そこでは、いろいろ描いてきていたイメージの大半は、こういう作戦には大して役立たない、ほぼ幻想の数々でした。そして活躍してくれたものは、自分の興味と関心がゆえの、好奇心および探求心と、そして好き嫌いでした。嫌いなものは、どこまでもいっても好きにはなれませんので。
 そうした奮闘の末に描かれてきたイメージは、一見スマートな、いわゆる 「外国語に堪能な」 なんとか、というものでは決してない、自分流のいかにも不恰好な代物でした。
 ただ、それが何かは、説明ができるどころか、自分でも明瞭に固まらないまま今日へと至り、今なお、どろどろと流動しているというのが実像です。

 今度においても、やはりそういう形の適応しかないし、それがベストでありそうです。
 もし、日本語の世界で、つまり日本企業の一員として仕事をする立場となっていたら、自分の出る幕はまずはあるまいと思われます。
 それはまた、オーストラリア企業の一員として求められる仕事という意味でも、私の出番はないでしょう。
 そういう意味では、我われのこの超零細企業は、それらのいずれでもない、人的結合です。組織的アノマリー(変態)です。
 つまり、こうしていわゆる国際ビジネスの世界に首をつっこんでいながら、それが日本だろうとオーストラリアだろうと、そこですでに通用し定着している国際ビジネスマンとしての一般像には、そうした私なりの適応像は、似せようにも似せ切れません。そういう勝負なら、しない方が賢明です。
 同時に、我われの会社が持ちえる資源も、一般的ビジネス・モデルになじめるものでは決してありません。それらができることと、我われができることとが、同じわけはありません。

 いま確かに表面的に見える光景は、言葉の壁がその前面にそそり立つ、一見、城壁都市攻略の図、かの如くではあります。しかし、城壁を越えればこと足れるわけでもなく、要はその先の、あまたな人たちが住んでいるその地で何をするか、何ができるかということに尽きます。
 四半世紀昔を思い出し、かって通った道を再びたどりつつ、こうした回帰の意味を探っている次第です。
 これも、人生、二周目、ということなのでしょうか。

 (2012年3月3日)

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