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ここに、日経のコラム 「私の履歴書」 の一記事があります。新日鉄名誉会長、今井敬氏についての記事の第12回(2012年9月13日付)です。
彼がまだ若いころ、八幡製鉄の原料部鉱石課長として、その買付のために世界を飛びまわっていた当時の話です。西オーストラリア奥地の鉄鉱石鉱山の開発から手掛け、鉄道や港湾などのインフラを整備し、ようやく生産が本格的になりかけていた1970年代末、鉱山ストが頻発するので、当時のACTU(全豪労働組合評議会)のボブ・ホーク議長――1983年から91年まで首相――に談判しようとしたといいます。そこで、こんなくだりがあります。
- ・・・田部副社長と豪州に飛び、全豪労働組合のホーク議長に抗議しようとした。彼はホテルに入ってくるなり、ボーイにウィスキーのストレートダブルを持ってこさせた。グラスをぐーっとあおり、あっけにとられた我々に 「組合の議長としてやるだけのことはやる」 と言って、自分の電話番号も教えてくれた。彼は83年に首相になり、労働慣行の見直しなどに尽力してくれた。
いま、労働側に、ここまでの規模の人物はいません。ACTUも指導力を減退させ、その議長が首相にまでなれる人材も、環境もありません。
当時この今井氏は八幡製鉄の社員でしたが、以前に書いたように、その頃の日本の製鉄会社は結束し、まだ個々バラバラだったオーストラリアの鉱山企業を圧倒し、売買交渉の主導権は買手側が握っていました。
一方、今年10月14日付の日経記事で、 「ファンドよりこわい 鉄鉱石乱高下の 『主因』 」 との見出しの記事があります。そこには、こういう表現が見られます。
- 鉄鉱石の契約は09年度まで1年間の固定価格が主流だった。アジアでは日本などの大手高炉と欧州などの資源メジャーが原則年1回交渉して決める価格が地域全体の指標になっていた。その後、中国の需要の急拡大を受け、資源メジャーがスポット価格連動の値決めを主張し、取引慣行として広がった経緯がある。
(中略)
日本の高炉はほんの数年前まで、長期契約の価格交渉を通じてアジアの鉄鉱石の価格指標をつくっていた実績がある。主原料の価格が乱高下するのを眺めているのではなく、合理的に価格が決まる市場が育つように努力したほうが、日本勢にとってもプラスになりそうだ。
ここでこの記事は、 「合理的に価格が決まる市場」 と言っていますが、資本主義経済にあって、売り手と買い手の利害は対立しているわけで、そこに双方に合理的なものはありません。つまり、それは力関係の産物で、寡占化して競争を無くした側が価格決定の支配権を握っているわけです。
ところが、オーストラリアの鉄鉱石の主たる買手は、東アジア諸国の製鉄会社です。具体的には、日本、中国、韓国の製鉄会社であるわけですが、今や、こうした製鉄会社は、そのテクノロジーの面で、先発した日本の技術が浸透しており、そういう意味では、その体質は似通っています。
しかし、そうした技術的には兄弟関係の日中韓の各鉄鋼会社も、政治的には分断されており、上記のような価格交渉においては、互いに競争しあっています。
ちょっと巨視的に眺めるなら、日中韓が競い合えばあうほど、資源メジャーは得するわけで、この三国を政治的に仲たがいさせておく経済的効果は膨大です。
ボブ・ホークが文字通りの組合の指導者であった時代、鉄鋼各社は強い団結力を発揮していました。そうした時代は変わり、今日の覇者は、市場を独占・寡占する、多国籍メジャーです。
日中韓三国が、巨視的な利害関係を共有するかどうか、各国間の国境上の島々をめぐる論争が燃え上がらされて、危うい状態と向っています。
(2012年10月22日)
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