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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第14回)
日本人にとっての 「常識」 とは何だったのか
今回から、二千年も時代をさかのぼって、日本の歴史に深く分け入ってゆきます。前回でも触れましたように、この部分は、既存の翻訳書では省略されている部分です。
その既存書によると、それが割愛された理由は、「原著が読者として予想している欧米人にとっては必要不可欠な歴史的予備知識といえるが、日本人にとってはよかれあしかれ骨肉化してしまっている歴史的常識に属する章であり・・・、いわば前史に過ぎない」、としています。
たしかに、その通りであるのですが、今回の 「訳読」 部分を読んでいただくと明らかなように、ここには、そういう 「骨肉化した歴史的常識」 だから割愛しても問題ないとする
「常識」 を破る視点が提示されています。むしろ、 「骨肉化した」 部分であるからこそ、いじられたくない、あるいは、無意識な盲点であるのかも知れません。
ことに、隣国、朝鮮(当時の)との関係について、おおいに、意識化してみる必要のある指摘がされています。
話は大きく飛躍するのですが、地球温暖化の問題を見ても、いまや時代は、我々人類の生みの母ともいうべきこの惑星が異状をきたしている状態とでも喩えられそうな時となっています。そして、先のコペンハーゲンのCOP15ように、世界の国がその問題への対策を話し合いはじめています。そうした、国と国のエゴがぶつかりあう場面を見るにつけ、国という単位を形成している枠組み、つまり、個人にとっての出自のような、
“出国” を考えてみる必要ありと思われてきました。
つまりは、日本という国の始まりは何であり、それはどうしてそうまとまるようになったのか、という出発点議論です。
そんなことにもからんで、これからのこの訳読のテーマ、日本の歴史は、ひとつの面白みを提供してくれそうです。
では、今回の訳読へとご案内いたしましょう。。
(2009年12月30日)
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