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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第34回)
「フィクション」 の深さの程
前回にも書きましたように、昭和天皇のイメージには、我々日本人にしみついた固定観念――学者肌な穏健な天皇――が抜けないのですが、この訳読の醍醐味は、そのイメージを改めさせてくれるだけでなく、戦後日本に定着した一定の見方にも、あらたな視点を提供してくれることです。
私はこの訳読を進めるにあたって、可能な限り、関連する既存の文献に当りながら、なるべく正確な翻訳にしたいと努めているのですが、そうした点検文献の一つに、私が若いころから読んできた、岩波新書の
『日本の歴史』 (3巻、井上 清著、1966年)があります。
この本は、いわゆる戦後の革新派の見解を代表するものと思われますが、興味深いのは、そうした見解にあっても、たとえば、戦前の軍部の勢力拡大の流れを、軍によるのし上がりの動向とは捕えていても、その背後で、天皇自身による、見えにくいながらも、巧みなあやつりがあったとは捕えていないことです。
革新派の見解として、天皇に充分批判的であったこうした戦後の文献でさえこうであるわけですから、日本全体をおおってきた 「フィクション」 の深さの程が推し量られます。
ついでながら、同書 『日本の歴史』 では、一般庶民、ことに、労働者階級の動きに注目する傾向が強いのですが、そこでも、一種の “ひいきの引き倒し” とでもいってもいいような表現が見られます。たとえば、前々回の
「裕仁の即位」 の節で触れている、「平民宰相」 原敬の暗殺について、同書と本訳読との間には、こんな違いが読みとれます。
この暗殺の犯人について、本訳読では、彼が鉄道職員であったとともに、それが単なる単独犯でなく、その背後に、皇室親族ぐるみの計略があったことを指摘しています。詳しくは、 「裕仁の即位」 の初めの部分を御覧ください。
それを、 『日本の歴史』 の見解では、こうなっています。
- 原内閣の 「力の政治」 は、意外な形で彼自身にはね返り、1921年11月、原首相は鉄道労働者の一青年に暗殺された。政治的暗殺者が労働者の中から出たのも、これが最初である。ここにも、ゆがめられた形ではるが、労働者が日本政治の舞台に大きな役割を果たすようになったことが示されている。
(p. 148)
なんとも、おめでたいような見解とも見れるのですが、そんな皮肉を言う以上に、これまでがそういう時代であったことは、私の体験からも実感されるところです。
では、今回もその訳読にご案内いたしましょう。
(2010年10月26日)
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