「天皇の陰謀」 もくじへ 
 「両生空間」 もくじへ
 
 HPへ戻る
 

<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第39回)


「国際戦略」を持つとは


 前回、前々回と、昭和の開始とともに日本が取り掛かろうとしていたことを 「すさまじい」 事々と表現して取り上げてきているのですが、それは他方、当時の日本が、それほどに国際戦略を持っていたことの反面であると言えるかと思います。
 今日の、アメリカはじめとする覇権諸国が行っている事々を見るにつけ、国際的な戦略を持つとは、少なくとも、そうした 「すさまじい」 事々に首をつっこまなくては成し遂げられない領域であるようです。
 一方、今日の日本は、外交戦略に欠ける国の典型のように言われています。たしかに、敗戦後、米国の世界戦略におんぶにだっこでやってきた日本は、事実上その必要はなく、その典型となるのも故あることでした。
 そうした今日の日本の現状を顧みる時、昭和初期の天皇裕仁の統治下で行われていた “外交” 活動は、確かに、今日の日本の政治が欠いている何かを持っていたことは明らかです。

 本というものは、読み手によって、いろいろな読み方ができるものですが、このバーガミニの本を読むことが、当時の日本が、どのようにして自分の国際戦略をたてていたのか、少なくとも、その骨格を知る手掛かりとなるのは確かと思われます。
 おそらく、米国への過去半世紀強のような依存や従属は、将来、軽減や転換の方向に向かわざるをえないのは確かでしょう。そうした来りくる国際情勢にあって、日本がそれなりの自生の国際戦略を持たなければならない必要も増している時、そうした戦前の日本に戻る必要はないとしても、何らかな 「すさまじい」 事々分野への対応を決めてゆかねばならないのも不可避なことです。もしそうだとすると、どういう 「すさまじさ」 あるいは 「すさまじくなさ」 を目指してゆくべきなのか。
 ともあれ、過去の日本自身から、何を学びましょうか。

 
それでは今回も、その学習を求めて、昭和の初期に旅するといたしましょう。

 それと、追記ですが、前回で既存翻訳本が割愛していた部分が終わり、
いよいよ今回より、二つの翻訳が比較される本論部分へと入ってゆきます。
 

 (2011年1月21日)



 「天皇の陰謀」 もくじへ 
 「両生空間」 もくじへ
 
 HPへ戻る
 

                  Copyright(C) Hajime Matsuzaki  この文書、画像の無断使用は厳禁いたします