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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第42回)
「大兄」 とは誰
この 「訳読」 の読者には、その中で度々使われている 「大兄」 という訳語にとまどわれている方も少なくないと思います。この言葉は、単なる形容語ではない重要な
“名詞” ですので、あらためてここに説明を入れておきます。
たとえば、第7章 「平和と狂気」 の節の中ごろに、 「彼らは自分の小さい時に親しくしていた大兄たち――今後のほとんどの陰謀の実行者となる――であった」 という表現があります。原著者バーガミニにとって、 「大兄」 は見逃してはならない舞台背後の重要人物たちなのです。
つまり、原著者は、この名詞――原文では 「Big Brothers」 ――を、彼の見解を組み立てる基軸用語のひとつとして用いています。
天皇裕仁がまだ幼少であったころ、彼のおさななじみとか交友関係というような間柄にあったのが、彼のやや年上世代の血縁・親交者でした。年長順にその名をあげると、
- 東久邇親王 (13歳年上、叔母〔明治天皇の娘〕の夫)
朝香親王 (13歳年上、叔母〔同上〕の夫)
北白川親王 (13歳年上、叔母〔同上〕の夫、1923年フランスで事故死、つまり以上三人は義兄弟)
小松輝久 (12歳年上、北白川の腹違いの弟、裕仁の体育教師)
木戸幸一 (11歳年上、宮廷侍従の木戸孝正〔木戸後胤=桂小五郎の養子息子〕の養子息子で、彼が上記の若き貴族たちをまとめた)
- 近衛文麿 (9歳年上、藤原五摂家のひとつ近衛家の跡継ぎ)
-
バーガミニは第9章で、原田熊雄 (12歳年上、1926年、西園寺の政治秘書に就任) を大兄に加えているが、そのいわれには触れていない。おそらく、木戸、近衛との親交関係の故と思われる。) 学習院は、上記の大兄らすべてが通った教育的土壌。
バーガミニは、第6章 「未熟児」 の節の末に、こう書いている。
- 典型的若き貴族として、こうした大兄たちは裕仁の兵卒となり、彼にいくさ話を伝えてゆく。彼らは常に、アジアを西洋の拘束から解き放つ日本の使命を語った。彼らは、文麿の父、近衛篤麿〔あつまろ〕が結成した東亜同文会――日本と中国の双方で開始された運動組織――に属していた。この組織で、大兄たちは知りあい、アジアらしいアジアや、そのアジアを日本のために操る危険な冒険を信奉する理想主義者の雑多な集まりの後援をするようになっていった。
このようにまとめて一望すると、天皇裕仁の深謀の背後には、これらの 「大兄」 たちの深謀があり、さらにその奥には、どうやら、木戸幸一の深謀――前回のゴルフの話に見たように、1930年の夏、木戸幸一は裕仁の侍従長となり、後に、内大臣となって、裕仁を支える “化身” となってゆく――
があったことが浮かび上がってきます。
そう見ると、木戸の養父は木戸後胤であり、彼は、西郷、大久保とならぶ 「明治維新の三傑」 のひとりです。つまり、明治以来の日本支配者たちの思いがその底流としてそう働いているはずです。
そうした根底意思の表れとも見れるのですが、今回で、ライオン宰相浜口が右翼の凶弾に倒れます。
かくして今回で第10章が終わり、舞台はいよいよきな臭い1931年へと移ってゆきます。
では、いつものように、 「訳読」にご案内いたします。
(2011年3月21日、23日一部修正)
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