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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第65回)
驚かされる以上のこと
前回に、 「北進派」 と 「南進派」 に相当するものは、それぞれ、 「皇道派」 と 「統制派」 という私の解説を書きましたが、さっそく、今回より始まった第18章で、今度は原著者によって同様の解説が述べられています。(それによると、
「伝統派」 と 「近代派」 といったニュアンスもうかがえます。)
これから2・26事件へと移ってゆく、私として捉えにくかった軍部の動きの輪郭が、これでいっそうはっきりとつかめるだろうと思います。
ところで、私は、本訳読をしながら、一つひとつと多くの収穫を重ねてきているのですが、そのひとつに、戦前当時と現在の間の、外交姿勢上の強度なコントラストがあります。それがたとえ敗戦の産物だったとしても、同じそして連続している日本人に関し、その主体性における、その有無のあまりな対比です。
今回の訳読では、そうした 「有無」 の 「有」 の方が、日米戦争への下地となってゆく、軍縮会議における交渉姿勢に如実に観測できます。
それは、交渉代表となった山本五十六海軍中将が、太平洋の島々を 「不動空母」 と呼んで、したたかな交渉駆引きを編み出してゆくくだりです。
さて、そこでなのですが、この 「不動空母」 という言葉と出会って、とっさに頭に浮かんだことがあります。
それは、1983年、当時の中曽根首相が初渡米した際、レーガン大統領との会談で、日本を 「不沈空母」 とたとえて日本の “献身度” を大統領にアピールし、物議をかもしたことがありました。ただこの
「不沈空母」 との表現自体は、その時の通訳の “過” 意訳だったようです。しかし、通訳上の精度はともあれ、その時の中曽根首相の頭に、この山本代表の
「不動空母」 との着想を借用しようとの意図――卑屈な二番煎じです――があったのでは、との私の想像です。戦前、若き中曽根氏は海軍士官でした。その彼が、上官のこの着想に注目できなかったほどのボンクラだったとは考えにくいからです。
1945年を境に日米関係が反転したこと自体はむろん議論の余地のないことですが、それにしても、この同じ着想をめぐっての日本人側のコントラストには、驚かされる以上のものがあります。
そこでですが、それはどうしてなの?
日本人って、そんなにお粗末なの?
では、今回の訳読、第18章 (その1) へとご案内いたしましょう。
(2012年4月3日)
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