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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第88回)
日本も昔はこうだったのか
現在と過去をミックスした話となりますが、今の北朝鮮の、 “孤立を恐れぬ果敢な姿勢” は、ひょっとすると、4分の3世紀前の日本も、外から見ればこうだったのか、と思わせるものがあります。
(ただし、こうした報道には、西側、ことに米国による挑発報道の要素もあって要注意)
ただ、今日の 「北」 のそれは、かっての日本のような 「枢軸同盟」 も存在せず、国際的に文字通りに孤立で、かえってどこか判官びいきを刺激するような、劇場的な喝采性も漂い、かつ、外交的にも、危険なはったりゲームの観測も濃いものでもあります。
それに対し、戦前の日本は、大真面目に本気で、用意周到にそれを準備し、はったりでもなく、実際にそれを実行しました。
前回にも触れましたように、当時の世界は、19世紀的な帝国主義の時代の末期であり、そういう脈絡でで言えば、極東の外れの日本は、一見、トップを走かに映る、周遅れのランナーでした。
私はこの 「訳読」 をしていて、日本の 「南進」 に対する英国そしてオランダの、余りにあっさりとした負けっぷりと撤退の動きに、驚きさせ感じさせられます。むろんそれは、英蘭の足元のヨーロッパ戦線での切迫も手伝っての話なのでしょう。ですが、それが見た目上では軍事的勝敗の問題ではありながら、その水面下では、時代の趨勢、つまりポスト帝国主義に移ろうとしている、時の底流があったかのように見受けられます。
それはあたかも、すでに植民地主義のうまみをしゃぶり尽くして、そろそろ、そうした外地運営が重たい荷物になり始めていた――そうした搾取はむしろ通商の範囲でもっとスマートにやってゆける――、そんな時代の変換期にあって、周遅れ日本が、まだ若々しい民族主義を燃え上がらせて、やたらに力み込んで乗り込んでいった、どうもそんな風刺画が描けそうな気がします。いいかえれば、英蘭は、日本の攻め込みに、一面、渡りに船で、その植民地経営を明け渡したのではないか。むろん、多分に結果論ではあるのですが。
そういう面から見れば、アメリカの脅威ぬきの余裕の地位は、ポスト植民地主義をにらんだ民族自決と各国対等の原則をかかげた新規さがあります。
歴史的に見て、そういう次期の覇者たる米国を、その眠れる獅子から叩き起こして覚醒させ、時代の変革の主舞台へと引き出す役をしたのが日本でした。
今回の訳読では、フィリピンにおいて日本は、そういう米国の顔に、さんざんに泥を塗り着けます。
そして、破竹の勢いの日本の攻勢も、ほぼその臨界点に達してゆきます。
これからは、そのピーク点に達した日本が、いよいよ、その弱点にさらされる流れとなってゆきます。
では、その頂点に達しようとしていた高揚感にあふれているはずの、第27章 南進 (その4) へ、ご案内いたします。
(2013年4月4日)
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