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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第89回)
天下分け目のミッドウェイ海戦
今回の訳読の冒頭に、以下のような記述があります。
- 日本がそれ 〔ミッドウェイ海戦〕 に勝利すれば、1942年8月にハワイを占領するとの計画が実行段階に移されることを意味した。そして日本は、パナマ運河を獲得し、カリフォルニアを危機に陥れ、米国にオーストラリアを見捨てさせ、ヨーロッパ戦線への軍派遣計画も中止させ、米国の全国力をその西海岸防衛に集中させる意図を持っていた。
また、これにつづいて、この作戦に参加した日本の総艦船数は185隻、その艦載機総数は685機であったというのですから、まさしく大軍であり、日本の総力をかけた海戦であったことは疑いありません。
さらに、この原本 『天皇の陰謀』 の副題が 「天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた」 とあるように、今でこそそれは、まさに絵空事であり、狂気沙汰ではありますが、その当時の日本が、すくなくとも、皇室を頂点に、政府、大本営、陸海軍首脳部等々レベルにおいては、まじめにそして本気で、こういう壮大な計画を描き、実行に移していたということです。
今日の私たちが、こうしたかっての日本の “気宇壮大さ” をどう受け止めるのか、それは議論の分かれるところでしょう。しかし、著者バーガミニがここに記述する当時の計画やその実践の詳細は、日本の近代史の
“ブラックボックス” 同然の部分についてであり、その “ミッシング・リンク” をつなげてくれているものと言えます。
本コメント記事に幾度も指摘してきたことではありますが、今日に生きる日本人にとって、そうした事実の内容は、ほとんど知らされずも同然にしてでの今日の日本です。
さて、その 「ミッドウェイ」 ですが、私は子供の頃、模型好き少年として、ゼロ戦や戦艦大和の模型作りに熱中したものでした。たぶん、その頃だったと思うのですが、誰かから、このミッドウェイ海戦について聞いた記憶があります。そのおぼろげな記憶によると、その海戦は、米軍機の突然の急襲に、日本空母の艦載機が爆弾と魚雷の付け替え中で迎撃に間に合わず、大敗させられたといった内容のものでした。それがどういういきさつでそうなったのか等の説明を聞いたのか、聞かなかったのか、記憶にはないのですが、ただ、なんとなく、ひどく残念な気持ちにさらされた印象は残っています。
今回、ここに再現されたその 「ミッドウェイ海戦」 についての詳述に接し、まさに、30分間内外、厳密には6分間の対応の遅れが、決定的な勝敗――この個別海戦のみならず、ひいては、太平洋戦争そのもの――の分かれ目となった様子を知ることができます。そして、この6分間がその分れ目を左右したとするなら、それはまさしく、 「運」 の世界の話です。
ところで、そういう 「運」 という、ある意味で “些細” なことが、そこまで決定的に働くこととなるには、その背後で、ある “重大” な大枠が形成されていたからでもあります。そしてその大枠とは、これは確かな人為的な努力により形成されていたものです。
すなわち、互いに索敵する情報戦にあって、山本長官による綿密な計画、ことに、起りうる事態を想定した情報戦計画にあって、潜水艦隊による偵察線の設置に失敗したという、文字通り、「命取り」
となった “へま” がありました。
その詳細はこの訳読を読んでいただくとして、著者のバーガミニが指摘しているように、それは明らかな、皇室関係者による失態とその隠ぺいでした。
それはそれで、まことに “人間的” とも言える側面ではありますが、そこに、皇室制度という世襲制の持つ明瞭な弱点と欠点が見て取れます。
そういう意味では、太平洋戦争の経緯、結末にも、その弱点と欠点が、やはり、明確に作用していたと見るべきでしょう。
私は昭和21(1946)年生まれで、戦争の実体験はない “平和” 世代です。にもかかわらず、あるいは、であるからゆえ、その直前までの悲惨な時代を “受け継ぐ”、戦争の時代と今日の日本の、 “合間” 世代でもあります。
この両時代のエキスに触れえる世代として、上記の 「ミッシング・リンク」 に、何らかの連結の役を果たせる位置に居るものといえます。
それでは、ミッドウェイ海戦へ、ご案内いたします。
(2013年4月18日)
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