身体・心・霊性(その1)

〈訳読‐2b〉現代の「東西融合〈涅槃〉思想」(その10)

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「宗教とは、誰か他人の体験を信じること。霊性とは、自分自身のそれを信じることである。」

ディーパック・チョプラ〔ホーリスティック医学博士〕

 

チョプラの賢明な観測は、私たちが常識とする現実を変化させるには、いくつもの道があることを教えている。自らの経験に立つことは、もっとも説得力ある方法だ。宗教の中核である誰もが打たれる神聖な真理は、自分自身のうちに見出した発見によって立つことに契機を与える。いわば、一つの真理、多様な反応である。

ここで別のシナリオを想定してみよう。近い将来、注目される記者会見において、科学者たちは、死後の世界が、実証を重ねてきた結果、実在するという発見を――事実としてではないとしても、少なくとも十分に検証された科学的仮説として――世界に向けて発表することになるだろう。こうしたテーマは、神秘家によって何世紀にもわたって告げられてきたことだが、いまや、科学が新しい主張としてその裏付けを引き受けようとしている。そしてその記者会見では、研究者たちは、死後の世界は完全に解明されているわけではいないが、誰もが自分の死についての「体験談」といったような経験をするだろうことは、おおむね確信できることであるとするだろう。そうした個々人は、その生涯のあらゆる出来事や行為ばかりでなく、その行動が他の人たちにおよぼした影響を、肯定的であろうと否定的であろうと、経験してきたはずである。ただ通常の防衛機制が、自分自身を隠してしまい、時には他人への同情的態度も持てなくさせてしまって、その生涯の真実が見直されるまで、自らの否定的行動に気付かないままになってしまっている。だが、存命中の人たちが、その死以前に自分の生涯のありのままの真実をさとった時には、生存中の行動や考えが真実に結果をもたらしていることを認識し、そして十分にそのすべてを覚るに至るのである。

こうしたシナリオは、決して荒唐無稽なものではない。こうした予想が、すくなくとも「ありうること」とか「否定的というより可能的な話」として、すでに十分な証拠と根拠をもって提示されている。今後の研究は、その可能性をさらに増し、誰にも事実として受け入れられるようになるだろう。そしてもしそうなった時、その結果は革命的ですらある。その発見が科学の名をもって発表された時、私たちの文化は、政治的にも経済的にも、まして大学においては、それが文化の価値を提示し広める機関であるだけに、その事業をこれまで通りに続けることは不可能となろう。そうして不可避にもたらされる霊性についての新たな展望は、身体と心の相互作用についての仮定を劇的に変貌させ、私たちは、歴史上はじめて、人間としての完成をみるだろう。

そうした人間が変化をとげる世界に出現しようとしている時、アルバート・アインシュタインが「私たちは、問題に出くわした際、使ってきたのと同種の考え方をもって、それを解決することはできない」と言ったのは正しかった。この引用のほとんどの使用者は、以下のその続きの部分を省略している。「今日の問題を解決するために、新たな人類が出現しなければならない」。しかし、この「新たな人類」とは、はたして誰であるのか。人が、死の前にその人生を見直すためには、いかなる動機づけを必要としているのであろうか。この内的自己変革をなしうるのは、どんな霊性的方法をもってしてなのだろうか。

 

「新たな人類」への航海図

私たちは霊性との結びつきを失ったと、多くの人たちが考えている。原住民族の長老や祈祷師は、霊性と身体と心は、地球上のあらゆる生命が栄えるための、神聖な三位一体だと説く。ニューエイジの指導者たちは、もし私たちが人間性を回復し、お互いとこの美しい惑星を破壊することを止めようと望むならば、私たちは霊性の世界と結びつくことが決定的に必要だと言う。それを始めるひとつの道は、意識の科学を開拓することによる。もし、私たちが自らの心の主でなければ、私たちは何ものの主にもなりえず、私たちは、現今のように他者が私たちに私たち自身の意識をもってことをなしあるいはなすなと告げる法のもとの権利を所有している、そういう社会の住人となる。これは、プライバシーと主権への重大な侵害であり、今日の世界におけるはびこる悲惨さの根源であるにちがいない。

私たちは、脳や身体をほぼ完ぺきに図解してきたが、霊性は、あらゆる生きとしいけるものに属するものとしては、ほとんど未解明のままにとどまっている。霊性とは大きな心であるとか、私たちの思考の力の拡大によるものといった未解明の解釈と並んで、それはまた、開かれた巨大な疑問のままに置かれている。科学の世界においては、私たちの思考に関し、私たちは実際に何を知っているのだろうか。だが私たちが何を考えているかを表すのは可能である。アイデアや考えが、他の人々の間に広がってゆくことは解ってていることだ。意識上の体験は、私たちを、他の人々とつなげてゆくものであるようだ。魚は群れをなして泳ぎ、鳥も団を組んでて飛び、蟻は集団的意識をもつ能力がある。あらゆる動物は同種のもの同士でたしかな結合をしている。ならば人間は、思考の世界において、互いにどんな結びつきをもっているのだろうか。

こうした疑問は、現在は科学的領域の範囲外にあり、霊性という分野において専門に扱われている。人の個別な体験の核心部やその可視的な具体的結果は主流科学の関心をよび、最終的には、ひとつの変化がおこりつつある。その第一は、霊性的分野の様々な様式のいずれかを取り上げて動機付けられることの必要性を、人々が感じていることである。ニューエイジと呼ばれる時代において、生き方のよりよい道――新たな人類への道――の発見を求める旅路への出発にあたり、選ばれるべき純正な突破口が必要とされている。内的人生を切り開くよう人々を動機付け、人々の意識上の現実性を変化させる状況は、個人的には大ごとであり、社会的・地球的には大変化であり、ある意味では個人への天罰であり、厳格な瞑想的手法の実践への着手である。

自らの霊性的旅路のもっとも興味引かれる点は、身体・心・霊性がかかわりあう時の神聖なる永遠性の発見である。私たちが自分自身の本源へと立ち帰ってゆく時、この三世界の発見に到達する。私たちの物的存在がDNAで構成されているように、霊性的存在もそうである。各々の霊性は、自分自身の設計図をもっている。それが霊性の権化であり、自分が誰であり、自分という人が意味するものの根源である。私たちの各々は、自身の霊性的DNAをもっており、ゆえに、霊性への真の道はひとつではない。つまり、各霊性のDNAは人によって個別に違っている。各々の、そしてすべての霊性は、霊性的目的と在り方の独自の形をもっており、すべての揺れ動く不完全な視野はひとつの共通性へと通じ、統合された生命の本源と結ばれている。それは、生命のすべてとその本源とが再結合する結節点であり、そこにおいて常識的な現実性は変貌し、新たな人間の力が生じる。

 

万能の理論

私たちの時代の多くの思想家は、常識的な現実性に取り組む一歩として、「万能の理論」を追求してきた。科学的パラダイムに挑むこの最先頭のランナーは、「全知全能宇宙」の考えである。これは、ヴェーダ聖典――アカーシャあるいはアカーシック分野――で有名な古代の知識の再注目である。それは、先駆的科学者たちによって取り上げられているもので、彼らは、いくつかの仮設――ホログラム宇宙から、量子ゼロ点エネルギー、あるいは古代の教えを引いたルパート・シェルドレイクの形態形成場理論まで――を提唱してきた。アカーシック分野もしくは「A-分野」の基礎において、哲学者兼科学者のアービン・ラースロは「真空に基づくホロ場」を提唱し、宇宙は高度に融合、連結、密着したシステムであるとした。それは大いに「有機体に似ている」もので、その決定的特徴は、それが自ら発生させた情報によって構成されていることだ。古代人が考えていたように、宇宙の情報の分野は、全宇宙の星や星雲のもつ生物圏の組織体や精神に連なっており、そしてそれは〔私たちによっても〕到達可能なものである。事実、宇宙は現在までのあらゆる時間に生じてきたすべての出来事の記憶をそなえている。私たちは、こうした誰にとってもの神秘をひも解く鍵を見つける必要がある。

私たちの文化が、個人の霊性をめぐって「タブー」な領域を作ってきたことは疑いない。これは、私たちがこうした話題を同僚と話し合うにあたって、容易にはゆかず、困惑した気分に捕らわれることからでも分かる。こうした霊性にまつわるタブーは、学問界においてもきわめて強く、私たちは、「神秘主義者」といった言葉を口にすることさえ、戸惑いや抵抗をともなう。私たちはだれでも、このタブーを何らかの形でその内に持っており、社会学、歴史、心理学そして文学のレベルにおいも、霊性を中心的分野として議論する際にはつねに、困難と不安感を感じさせられる。

今や、人間の集団意識において、科学的パラダイムの拡大と他の多くの近代化の道を通して、量子飛躍がされる時である。すでにアルバート・アインシュタインが述べたように、それは「新たな人類」となることである。私たちは、こうした人類をどう認識するだろうか。私たちは、そうして期待されている人物であるのだろうか。それとも、次の巨大な一歩を前に踏み出す上で、それを引き受け、その時の到来を告げる「別の人間」がいるのだろうか。私たちは、この飛躍を助ける技術にスイッチを入れることができるのであろうか。

他方、生物工学的外骨格に、向上した身体的特徴をもつ新たな皮膚をまとわせて、強力なサイボーグ部隊や、技術的支配グリッドをパトロールする飛行ドローンが、急速に出現している。だが人と機械の光速的合体は、残念なことに、「超人間性」や人間と機械のハイブリッドが命じる恐ろしい新世界秩序をもたらすのだろうか。

それとも、望まれるように、私たちは、霊性的資源に支えられて、自らの制限のない能力へと踏み込む内的世界へと向かうのであろうか。私たちの変化の道は、針の目を通りぬけるような困難をへて、霊性を覚醒した目のみが見ることのできる、新たな次元へと通じるのであろうか。

 

生まれ代わる霊性

霊性が生まれ代わり続け、人々の内的旅路が開幕する時、私たちの人生の目的は鮮明となる。私たちの真の性質へと再び結び付けられるその自然な結果、私たちの人生のもっとも重要な分野は、マネーと権力ではなく、愛と知識の追求となる。500年前に平坦な地球説がそうであったように、古い世界の幻想の大衆的追求は消え去る。私たちが成長する時、私たちは直観的に、現世界と超世界の両方を可能な限り学びたいと欲し、そして、あらゆる命あるものへの親密さと愛着を感じる私たちの能力を成長させる。こうした無条件な抱擁の結果、愛が霊性の原動力となる。そこでは、人間関係は容易となり、新たな友情が花咲き、そして、見知らぬ人への親切心がこの世界の当たり前で自然な態度となる。人が他の人を、肉体的にも精神的にも傷つけることは、自分の人生を振り返った時、その苦痛がいかなるものであろうと自分自身へのそれであって、その体験は自分自身の重大な欠落となる。私たち各自は、極めて単純に、その身体を後にする時、自分自身の陪審員と裁判官となって、次の輪廻の状況を設定することとなる。もっと差し迫っては、明瞭な動機は楽しめる感覚であり、私たちの真の性質に従って行動する時の平和な心である。

別の見方をすれば、何が私たちの現在の家族もとに生まれてきた真の目的であるのだろうか。あなたが生まれたのは、モスリム家族なのか、キリスト家族なのか、ユダヤ家族なのか、ヒンズー家族なのか、仏教家族なのか、それともそれ以外の家族なのか。それに代わった自分自身を考えてみよう。何ものをも、当たり前のものとしないで、なんでも問うてみよう。そして、自分自身の経験、直観そして良識にもとずき、自分自身の結論を出してみよう。それらは、人間の身体に生まれついた機会のもたらす、豊かな宇宙が授けてくれた贈り物である。私たちは、ここにあって何をすべきか。こうした贈り物を上手に活用し、それを貴重な機会とすべきである。だれが、それを生まれついた偶然にすぎないというのか。両親とは、愛について学ぶための道を助けるためにあたえられたものであるとしたら、さてあなたはとう受け止めるのであろうか。

3 3 1 spirit leaving the body

ルイギ・チアボネッチの「体を去る魂」と題された1808年の絵。魂の身体離脱説を描いたものと広く解釈されている。

 

グルジェフの教訓

ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフは、20世紀の影響力ある精神的な師で、ほとんどの人間は催眠中の「夢遊」状態を生きていると考えたが、もし私たちが自分自身を変える強い希望をもっているなら、より高い意識に昇り、十分な人的能力を発揮しうることが可能であると見た。自己改善の道をとげる助けのために、以下がそうした「グルジエフの教訓」(『The Spiritual Journey of Alejandro Jodorowski 』に記録された彼の娘のレイナ・ドアシアによる)である。

1.あなたの関心を自分自身に向け、何を考え、知覚し、感じ、望みそして行っているかを、そのあらゆる瞬間において意識しよう。

2.始めたことは、つねに、終了させよう。

3.何を行っていようと、可能なかぎり、よく行おう。

4.そのうちにあなたを破壊する恐れのあるものには、何であろうとそれにかかわるな。

5.あなたの寛大さをひろげよう、ただし、密かに。

6.誰をも、あたかも身内のように扱おう。

7.秩序を乱すものに、秩序を与えよう。

8.あらゆる贈り物を、与えることと受けることに、感謝をしよう。

9.自分を決めつけることは止めよう。

10.嘘や盗みをするな。というのは、嘘をつくのは自分にであり、盗むのは自分からであるから。

11.隣人を助けても、頼られるな。

12.あなたのまねをするように人をし向けるな。

13.作業計画をたて、それを完了させる。

14.隙間を取りすぎるな。

15.無用な動きや音を作るな。

16.もし信頼を欠くなら、持っているようふるまえ。

17.強い個性に心酔される自分を許すな。

18.誰も、何も、あなたの持ち物とみなすな。

19.公平に分配しよう。

20.人を誘惑するな。

21.必要なだけ寝て、食べよ。

22.私的問題について話すな。

23.事のほとんどについて知らないことに、判定や批判をするな。

24.無用な友情関係をもつな。

25.流行を追うな。

26.自分を売るな。

27.合意した契約は守れ。

28.時間を守れ。

29.人の幸運や成功をうらやむな。

30.必要以上は断れ。

31.仕事を危険にさらす利益を考えるな。

32.誰をも脅すな。

33.約束を守れ。

34.どんな議論においても、自分を相手の場に置いてみよ。

35.誰かが自分より優っていることを認めよ。

36.除去せず、変化させる。

37.恐れを克服せよ、というのは、それは隠された欲望であるから。

38.自分を助けるために他者を助けよ。

39.毛嫌いを克服し、拒絶したい相手に近づけ。

40.称賛であれけなしであれ、あなたのことを言うそれに反応するな。

41.誇りを品性に変えよ。

42.怒りを産出に変えよ。

43.欲深を審美に変えよ。

44.うらやみを他者の価値の評価に変えよ。

45.嫌悪を寛容に変えよ。

46.自分を、ほめるな、けなすな。

47.自分に関係のないことを、あたかもあるがごとくに振舞うな。

48.不平を言うな。

49.想像力を開拓せよ。

50.服従による満足を人に命じるな。

51.あなたになされた献身に報いろ。

52.あなたの仕事やアイデアに改宗させるな。

53.あなたに、哀れみ、感心、同情、共謀といった感情をもたさせるな。

54.外見であなたを判別させるな。

55.自己矛盾に陥るくらいなら、沈黙せよ。

56.借金せず、即金で買え。

57.もし誰かに背いたら、許しを願え。もし公衆の面前で背いたら、公衆の面前で謝罪せよ。

58.もし間違いを言ったことに気が付いたら、面子を維持することはせず、ただちにそれを正せ。

59.古い考えを、ただそれを表したことのために、防衛するな。

60.無用な目的を保持するな。

61.風変りな考えで自分を飾り立てるな。

62.有名人と一緒の写真を撮るな。

63.他人による正当化を求めず、自身の判断を守れ。

64.自分が何を所有しているかで、自分を決めるな。

65.自身が変わることを考慮することなく、自身を語るな。

66.何も自分に属するものがないことを認めよ。

67.人や何かについての意見を求められた時、その質についてのみ述べよ。

68.病気になった時、それをいとうのではなく、教師とせよ。

69.間接にではなく、直視せよ。

70.自分が死ぬことを忘れず、それを限られた場で調和し、自分の生活への侵入を許すな。

71.どこで生活しようと、神聖なものに献身する場をもうけよ。

72.奉仕を行う時は、目立たぬよう行え。

73.人を助けようと決めた時は、喜びをもってそれをなせ。

74.すべきかどうか迷っている時は、そのリスクを負って行え。

75.自分の配偶者に完全になろうとせず、あなたができずとも、他の誰かができることがあることを受け入れよ。

76.誰かがその人に興味をもった聴衆と話している時、その人に反対したり、その聴衆を奪ったりするようなことはするな。

77.稼げる範囲の金で生活せよ。

78.色恋話を自慢するな。

79.自分の弱点を美化するな。

80.暇つぶしに人を訪ねるな。

81.分かち合うために、ことを得よ。

82.瞑想中に邪魔者が現れたら、その者を瞑想にさそえ。

3 3 2  Georges_Gurdjieff

ゲオルゲ・グルジエフは、東西の古代の教えに新たな生命と活用を与えた。例えば、ソクラテスやプラトンの「吟味された生活」は、グルジエフの教えの中に自己観察の実践として再現されている。彼の自己修養と自制は、ストア哲学を反映している。ヒンズーと仏教の愛着についての考えは、彼の教えにアイデンティティの考えとして反映している。彼の「存在の三食品」という表現はアーユルベーダ〔インドの古代医学〕に一致し、彼の「時間は呼吸」という言い方はイヨティッシュ〔ヴェーダ語の占星学〕に呼応している。同様に、彼の天文学は、古代のエソテリックや、新プラトン派やロバート・フラッドの大宇宙音楽構造の治療法の双方にも、その原典を“読む”ことができる。 【ウィキペディアより】

 

心の力

グルジエフは、その著書で心の力について教え、また精神の師たちは、身体をしのぐ驚くべき心の力を長きにわたって告げてきた。端的に言って、意志と思考は、もし適切に焦点が定められれば、驚くほどの治癒特性をもっている。人間の心は、内的回路を通じてその本源に結び付けられれば、どんな病気よりも強い力を発揮する。私たちの本当の自分自身は、身体ではなく、私たちの心的意識である。人の心はエネルギーで、正しい訓練次第では、物を変化させる力を持つ。その認識の第一歩は、ただ、エネルギーの形態化である。この単純な事実は、私たちを覚醒させ、自己という存在の神聖な特性を認識させる助けとなる。神話も歴史もその両方が、その心と軽快な身体を通じて高い次元に達する能力を育ててきた豊富な数の人々を抱いてきた。「永遠への門」の秘密を知るそうした人々は、予言者や尊師や占い師と呼ばれてきた。その核心は、私たちがエネルギーに満ちた宇宙の中で振動する、電気的存在であることだ。私たちはエネルギーの振動波長と周波数の形で常時信号を発し、それが、他の振動する存在や出来事や経験を引きつけたり、遠ざけたりしている。

こうしたいかにも輝かしい見解は、世界中の科学者によって確認されている。バーナード・グラッド生物学博士が実施した二重盲検法による試験は、植え付けられる前に治療者による祈りを施された種が、それをされなかった種より、より早く、成功裏に成長することを発見した。キャロル・ナッシュ生物学博士は、二重盲検法による試験を行い、バクテリアの成長も、意識的意図に影響されることを発見した。他の研究は、100パーセントの死亡率が予見されていたネズミが、ヒーリングによって治癒されることを発見した。ニューヨーク、ブルックリンのクイーンズ・カレッジとセント・ジョセフ・カレッジの懐疑的な試験者と研究所による三度の再検証は、霊気ヒーリングと同様な、手の上にのせて意図される以上の何もされていない33匹の実験ネズミのうち、全部で87.9パーセントの治癒率を示した。これは、日常的に霊性の鍛錬を行っている人々は、より長い寿命をもつ傾向があるとのいくつかの観察結果とも一致する。また別の研究は、インターロイキン(IL)-6 と呼ばれる可能性ある機能を指摘している。高められたIL-6 レベルは、病気の発生を増加させる関係がある。1,700人の高齢者を対象とした調査は、教会に通う人は、IL-6 レベルの高い人の半分ほどで、日常的な祈りがよい効果をもたらしていることを示唆している。最終的ではなく、もっとも最近のグレン・レイン博士の発見によると、意図的に送られた愛は、愛のエネルギーの存在によるヒーリングによる、人のDNA分子に変化を与える効果がある。

気付きは、認識をもたらし、またひとたび認識をすれば、それは気付きを広げる。そういう気付きは、私たちを、いわば「光明入り」した状態にさせる。そうした光明の中で、私たちは、しだいに自分の真の性質を特定できるようになり、ついには、私たちの誰もの中にこの力があり、すべてが伴にあることを知りうるようになる。人間はいくつもの側面をもっており、そのいずれもが、エネルギー帯の相互連結や領域の内部で、一連の周波数あるいは振動を発している。端的に言って、愛があらゆるものにとっての神髄なのである。私たちの多くは、自分が何であり、なぜそこの存在しているかを忘れてしまっている。一度、私たちの盲目が取り払われれば、私たちの心のいかなる変化の実践方法を選ぼうとも、自分の真実を知るようになる。一度、真実を知ろうとの真摯な願いに抱かれれば、すべての助けが得られる関門は開かれ、私たちはゴールへと向かうことが許される。ここに、誠実さの意味が存在し、楽観が生まれてくる。

このいかにも現世性を越えたこうした変化を言葉で説明するのは難しいが、ある面では言葉も役に立つ。その到達点が同じ時には、必ずしも同意できるものでなくとも、他の人の言葉も有用である。すなわち、心底から想起された特定の考えや意図は、心臓からの干渉性(コヒーレンス)〔訳注〕を持つ生物場を周波数変調するために使うことが可能である。人が愛を抱いている時、これこそ真実と言ってよいが、その干渉性は高められ、その生物場はより強められる。これは心臓の干渉場とDNA分子をめぐる干渉場の共振をもたらす。そうした相互作用が、当初の意図に関する周波数上の情報を、らせん内部の構造の形成的変化や、DNA複製の変化や、電気的特性の変化といった、DNAの物的変化として出現させることを可能とする。

〔訳注〕 コヒーレンスとは、二つの波が互いに干渉し合う性質のこと。

 

超コミュニケーションとDNA

「新たな人類」の身体・心・霊性の関係を充分に理解するには、DNA分子を再研究し、それがどのように素晴らしい人間能力に結びつくのかを見極める必要がある。人々の中では、超コミュニケーションは、自分の知識範囲の外の情報を突然に到達する場合に、もっとも頻繁に体験する。そうした超コミュニケーションは、直観とか、「第六感」と呼ばれるものである。たとえば、イタリアの作曲家ジュゼッペ・タルティーニ〔1692-1770〕は、ある夜、悪魔が彼の脇でバイオリンを弾く夢をみた。翌朝、タルティーニは、その曲を記憶の通りに楽譜に書き、「悪魔のトリル」と名付けた。

超コミュニケーションがおこる時は、人間の中と同じく、DNAの中でも、極めて特別な現象が観察できる。「DNAミステリー」の章に述べたように、ロシアの科学者がDNAサンプルにレーザー光線を照射した時、典型的な波形が形成された。彼らがそのDNAサンプルを除去すると、その波形は消えずに残ったままだった。こうした結果を再現した監視された実験は、その波形は除去されたDNAから出ていることを示し、そのエネルギー場は明らかにそれ自身に残されていた。この結果は現在、「お化けDNA」効果と呼ばれている。これは要するに、時空間の外からのエネルギーが、DNAが除去されてもまだ、活性化されたワームホールを通じて流れてきているということである。時空間の外で伝わることのできる情報を通じて、宇宙には根本的に異なった世界の間が結びつくトンネル・コネクションがあるということである。DNAは、こうした情報の断片を引きつけ、私たちの意識に伝えている。こうした超コミュニケーションはまた、テレパシーとかチャンネリングと呼ばれ、リラックスした状態でもっともよい効果を発揮する。

しかし、科学界におけるコンセンサスは、テレパシーをリアルな現象とは見ていない。テレパシーを検知し、理解し、使用することを多くの研究が厳格に追求したが、科学者の未公開の見解によれば、テレパシーは、厳格に管理された実験のもとで、繰り返しうる結果を欠くとされている。他方、興味深いことに、テレパシーは現代の小説やSFの中では共通の話題で、数々の漫画の超能力ヒーローや悪役の多くがテレパシー能力を発揮する。また、多様なテレパシーが、動物界で観察される。研究者は、見当違いな対象を扱っているのだろうか。科学は繰り返される現象のみを検証しうる。

動物は、本能を通じて意識を表す。本能に加えて、人間は最高の質の意識をもち、それは自覚とか反省と呼ばれている。自覚は、人間と動物の違いのひとつである。反省は、自分の意識を自分自身に向け、自らを知り、ことに自分が自覚していることを知る能力である。数学、物理学、哲学、天文学そして多くの他の領域は、内部へ向けた反省を行う人間の特異な能力のたまものである。自覚の拡大された能力は、抽象的理性、自由意志、そして予見をもたらす。私たちの文化は、逆転した価値の時代の中で、この自覚を、拡大するのではなく、収縮させる方向に向かっている。

人間は、初期の時代、動物のように、集団意識によって極めて強く結ばれており、集団として行動していた。関係性は人間の条件であり、旧石器時代には、安全は数によって確保されていた。もし、一個人がその群れから離れれば、その生存の可能性は薄かった。私たちが個人性を開拓しその体験を始めた時、私たち人間は超コミュニケーションをほぼすべて忘れてしまったかのごとくである。私たちが個人意識におおむね安住している今日、私たちは新たな形の集団意識、すなわち、情報をどう使うのか強要されたり遠隔支配されたりすることなく、すべての情報をDNAをつうじて獲得するを形成できる時代にある。今や私たちは、インターネットを使うように、DNAがそのネットワークに必要なデータを提供し、そのネットワークからデータを取り出し、そのネットワークの中の他の参加者との接触をとっていることを知っている。遠隔ヒーリング、霊気、テレパシー、あるいは親戚の状態についての「リモートセンシング」、くわえて、他の「異常」能力は、今や説明可能である。ルーパート・シェルドレイクによる実験は、飼いならされた動物の中には、その飼い主が帰宅するのを、遠く離れて知るものがある。それは、集団意識や超コミュニケーションの考えによって、新たに解釈と説明が可能である。どの集団意識も、過去の時代において、傑出した人たちを別にして、繊細には使われてこなかった。逆に、私たちは原始的な群れ本能へ連れ戻され、容易に操作されてきた。

私たちが、失った能力を思い起こす先頭にある時、新千年期における超コミュニケーションとは、大いに異なった意味をもつ。研究者は、もし完ぺきな個人主義をまとう人間が集団意識を身に着けるようになったとすれば、彼らは、この地球上の事々の形すらも変える、神のごとき創造の力をもつようになるだろうと考えている。そして、人間は、そうした新たな集団意識に向けて伴に連れだって動いてゆくようになる。

 

量子DNA

人間が電子装置ともつ関係は、「マニトウ」と呼ばれる。この「マニトウ」という言葉はアメリカ先住民のいう「偉大な霊性」との意味である。超コミュニケーションに遭遇した際によくある副産物は、その当該者たちの周囲に発生する不可解な電磁界である。それは、コンピュータやDVDプレイヤーといった電子機器が、何時間にもわたって調子が悪くなったり、停止することをおこさせる。また、その電磁界がしだいに消えた時、そうした電子機器の機能はふたたび回復する。いくつもの実験は、人が起きている時、人間の脳が小さな電球を灯すに十分なほどの電気を発している事実を計測している。

今や、量子力学と意識との間に、際立った結合が出現している。人間にとって、意識はこの世界にあっての知性であり、論理の形成過程の背後での組織化の基盤である。量子の分野、もしくは純正意識は、意図と願望によって影響される。量子DNAは、単線的な論理にもとづいては働かない。したがって、人々はDNAをそれが機能する範囲内に区切ることはできない。たとえば、この地球上の最も複雑な機械――何万個におよぶ部品をもつ――の内部では、個々の部品がつねに同じ役割を果たす。高級時計よりも何千倍も複雑な機械はあるだろうが、それのバネや歯車といったものは、いつも、バネや歯車である。つまりそれらは、何度も何度も、入り組んだ形ではりながら同じことを繰り返す。最も進んだ電子装置も同じである。それは、同じ過程を何百万回も繰り返し、電子は常におなじスイッチ過程を通過し、高速で単線的に複雑な単一過程をなす。

しかし、DNAの場合はそうではない。それは機械ではない。私たちはまず、DNAを考えるにあたって、それが根本的かつ完全に置き換え可能なものであることから始めなければならない。その一部が変化した時、その次の部分も変化する。私たちは、DNAの特定の部分に、それがつねに同じことを行っているというように、単一な機能を特定することはできない。上に述べた複雑な時計のことを考えてみよう。もし、それが〔DNAのように〕次元交換的であったとすると、そのバネが突如歯車に変わり、しかもその歯車は、その形も大きさも必要に応じて変化してしまう。こういう事が考えられるだろうか。すなわち、ある部分がもう必要でなくなった時、それはただ消え去り、そしてそこにはない何かが必要となった時、それがそこに出現する。さらに言えば、こうした量子時計は、それが使われている時間構造を自らのものに変えることをも決める。奇妙だと言っても、それが量子DNAである。

量子状態にあっては、時間はない。量子状態にあっては、なにかが実際に位置しているという場もない。というのは、量子力学は、もしそれをそう呼びたいなら、いかなる物にも、また、もしそれをそう呼びたいなら、いかなるエネルギーにも、それはあらゆる場で共に、一つであるようにふるまう。それほどに複雑なことを想像してみよう。そしていま、私たちの身体の中で、それが数百万回も複製されていることを想像してみよう。

十数年前、ロシアの量子生物学者、ウラジミール・ポポーニンは、一つのDNA分子を用いた実験に光線を使った。この実験によって彼は、DNAをめぐる多次元界を発見した。光線は、DNAに当てられると数学方程式のパターン、すなわちサイン曲線を描いた。彼はDNAがひとつの量子界を持つことを発見したのであった。そればかりか、それはともあれ、情報に満たされた量子界であった。いった他のどの分野で、分子が実際にそうした世界を持てるであろう。

人間ゲノム・プロジェクトに取組んだ人たちは、DNAの30億個の化合物が、人体の中でどのように26,000個以上の遺伝子を作り出しているかを知ろうと欲していた。だが彼らは、DNAの世界がある論理――まさに量子でなければならない――を表しているにもかかわらず、DNAの中の量子界を見なかった。彼らはそれを探さず、むろん、それが存在するとも報告しなかった。その代わり、彼らは化合物に重きをおき、暗号を探し、そして、きわめて片手落ちな結論に達したのであった。彼らは、DNAの二重らせん中の30億個の化合物のうちのすべての遺伝子は、DNAの暗号化された蛋白質の部分で作られていることを発見した。つまり、DNAの3.5パーセントだけが、すべての遺伝子を作っていた。DNAを作る化合物の90パーセント以上は、まったくランダムであるかに見えた。つまり、彼らが観測し理解できたものは、完全に何もなかった。今日においてさえ、科学は、その3.5パーセントのみが単線的で、90パーセントは量子であるという、この明白な事実を見ていないのである。

 

 

【つづく】 

 

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Modern Esoteric cover small

Modern Esoteric: Beyond Our Senses,  by  Brad Olsen

http://cccpublishing.com/ModernEsoteric  www.bradolsen.com

with permission, (c) Brad Olsen, 2015

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