『天皇の陰謀』とは何であったのか

〈連載「訳読‐2」解説〉 グローバル・フィクション(その19)

前回の本訳読の最初のセクション「第三帝国の執念」の末尾に、以下のような記述があります。

戦争直後の1946年、明らかに歴史を書き換える努力として、ロックフェラー財団は、書き換えた二次大戦の公的歴史を出版するために委託料として13万9千ドルをついやし、第三帝国のあらゆる神秘主義と超自然分野の成果を消し去った。ロックフェラー財団への主要出資社の一つは、スタンダード・オイルであった。

この記述に刺激を受けて思うのですが、勝者によるこうした「歴史の書き換え」は、当然、部分的なものでは意味を持たないわけです。つまり、アメリカが交戦した敵国、日本に関しても、その「書き換え」と矛盾せぬよう、一連のつじつま合わせの努力が必要かつ十分に遂行されたはずです。

そうした、戦後のアメリカにおける出版界のひとつの趨勢を念頭において、さらに、以下のように、もう一つの引用を挙げてみます。これは、本サイトに掲載している別の訳読であるデーヴィッド・バーガミニ著の『天皇の陰謀』の冒頭にある「著者から読者へ」のほぼ中ほどからのものです。

20年の後、ダートマウスとオクスフォードの学位と雑誌ライフにおける10年の経験をもって、私は、科学の哲学に関する、自分の5冊目の著作を終えようとしていた。その出版社と編集者のウィリアム・モロウは、日本側の第二次世界大戦について、日本の文書に基づいた本を出版したいという意向をもっていた。

ただ、今になって原文と訳文の双方を読み直すと、このうちの第二センテンスの訳には不正確なところがあります。そこでいま、より正確に訳し直すとこうなります。

私の代理人は、ウィリアム・モロウ社の編集者らが、日本側の第二次世界大戦について、日本の文書に基づいた本を出版したいという意向があると、私に伝えてきた。

さて、そこでなのですが、この「20年の後」とは1965年のことです。上の戦後直後の「歴史の書き換え」の趨勢は、もうこの頃までにはほぼ完了していたと推察されます。しかし、それでも、このウィリアム・モロウ社は、さらにそうした日本関係の本を、もう一歩踏み込んだところで出版したいとの意向を持っていたわけです。

そしてこの引用のようにデーヴィッド・バーガミニに働きかけた「代理人」とは誰なのでしょうか。おそらく、彼のそれまでの「雑誌ライフ」での経歴を考えると、そのライフ社の関係者か、つながりの深い者と考えられます。

そうした米国出版界の主流筋が関係したこの出版要請とは何であったのかということです。それは、「歴史の書き換え」という一連の戦後趨勢のだめ押しか、それともそのリビジョン〔見直し〕だったのでしょうか。

いずれにせよ、バーガミニはこの要請を受け入れ、そして家族ともども日本に移住し、京都に住み着いて著作のための調査活動に入りました。

私はその著書を訳しながら、その準備活動もふくめ、彼の一個人としての著作活動にしては規模の大きさを感じ、それ相応の資金の出動を想定していました。それが自費か出版社かあるいは第三者による提供資金なのか、そのあたりの事実は定かではありませんが、資金問題や日本の要人との面会へのつて開拓なども含め、背後からの一通りの後押しの存在は確かであると感じていました。

つまり、彼の『天皇の陰謀』の著述は、そうした60年代の《アメリカ社会の力学》が何らかの働きをなしている中で行われたのは確かです。そして問題とされるべきは、その渦中に立った彼が、一見、同書の出版をもって大成功をおさめたかに見えたのも束の間に、そのアメリカ社会の中で、不幸な結末に追い込まれていった事実です。つまり、彼のこの著書の出版は、結果的に、当時のアメリカ権力の逆鱗に触れ、彼はその著作活動をねじ伏せられることとなります。彼は何を間違ってしまったのでしょうか。

そういう意味では、彼の同書の出版は、単なる「リビジョン」を通り過ぎ、明らかにしてはならない、アメリカ自身の隠された何かを暴露してしまったようです。

 

『天皇の陰謀』にまつわる、そうした《アメリカ社会の力学》を解析するにあたって、当エソテリック訳読シリーズは、並みの出版物からは決して得られない、それこそ、“二重、三重スパイ”的な込み入った真相を提供してくれています。

そうした見地から、あらためて『天皇の陰謀』を考えてみると、バーガミニは、1983年に再出版された邦訳書の「新版」の序文に、以下のような実に異例な実状を吐露していることにあらためて注目されます。

この歴史が同じやり方でいまだにつづいていることは、『天皇の陰謀』が物書きとしてのわたしの経歴をおしまいにしてしまったという事によっても証明されています。1971年以来というもの、わたしは五冊の本を書いたのですがそのどれも出版することができませんでした。中世の英国についての本も、金星めぐりのSFも、戦後の日本に関する本も、20世紀の或る合衆国紳士のおもしろい伝記も、さらにはブリッジ・ゲームの付加規則についての本でさえも。

いまのわたしはマイクロ・コンピューターを売ったり、コンピューターのプログラムを作ったりすることで、身を立てております。どのような代価を払ったにせよ、わたしは自由であり・・・、除隊したままであり、どの組織にも属さないままで生きつづけているわけです。

うちわに見積もっても2百万ドルから5百万ドルが、わたしを押さえつけておくための賄賂、ないしは監視料として払われていました。そして、いかなる手段によるにせよその勘定書はいっさい、日本人である税金支払い者によっては支払われてはいません。

とりわけエドウィン・O・ライシャワーが、わたしを押しつぶす大きな蠅たたきをつくるのに手を貸していました。かれは気のおもむくままに合衆国の大学に与える贈り物をもっておりましたし、日本での訓練期間中にできたかれへの借りのおかげを蒙っているCIAの手の者たちの中核の献身を受けていました。

〔日本語版新版(1983年)へのバーガミニによる序文より故太田龍の講演録から引用)

彼の無念な思いが如実に現れている文章だと言えるばかりでなく、彼が死んだのは、この新版の出版と同じ年の83年の9月3日のことで、54歳という若さでです。彼がこの序文の原文を書き終えた正確な月日はわかりませんが、この同年性は、彼の死への疑念を抱くに十分なものがあります。ひょっとすると、彼はそれが自分の最後の言葉となるのを予期して、日本の読者に宛て、この妙に赤裸々な告白を寄せたのかも知れません。

私が体験した、ニューヨークタイムスの不可解な対応の理由も、それがなに故にであったのか、かくして、その真相があぶりだされてきていると言えます。

そうした到達点から見れば、ライシャワーもニューヨークタイムスも、そうした真相の隠蔽に同調している「隠し役」――「グローバル・フィクション」の共同演出者――であることが見えてきます。

 

それにしても、アメリカ社会の底知れぬ構造を探ろうとすればするほど、その秘密部分に踏み込まねばその目的は達せません。しかも、秘密は秘密であることすら秘密とされるのが通常で、通り一遍の知識や情報レベルでは、その困難な世界に明かりを当てることは不可能でしょう。

この「秘密政府」の章が、そういう意味で、いかにも「エソテリック」な――直観的あるいは類推的手法を駆使した学会常識的には“飛躍”に満ちた――展開となっているのもそのゆえです。

それでは、そうした本書ならではの興味津々たる、「秘密政府」の章へとご案内いたします。

 

 

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