宇宙の「地球金魚」より (MOTEJIレポート No.1)

両生 “META-MANGA” ストーリー <第7話>

俺は先刻、名を改めてMOTEJIにした。じつは、今月初め、地球で死んだばかりで、まだ、この宇宙霊理空間にやってきたての新米だ。

地球で生きていたころ、その末期にはひどい認知症をわずらって、それはもう惨憺たるものだった。自分の内部世界は健全に駆動しているのに、外界との交信が次第に役に立たずになっていった。最後はまるで、水槽に密閉された一匹の金魚同然だった。家族や友人たちは、ガラスの向こうから俺を覗き込んで、いろいろ話しかけてきているのだが、俺はそのこっち側で、ただ口をパクパクさせているしかなかった。そういう自分をさらし、かつ、見ていなきゃならんのは実に苦痛だったね。一種の生き地獄だね。しかも、滑稽でさえもあったな。だって、自分で自分の便の始末すらできないのだからな。赤ん坊ならこれから成長する楽しみもあってオムツ姿もかわいいが、そんな俺には将来もなく、赤ん坊以下のまるで大きなお荷物同然と思えたよ。

それにしても、人間世界ってやつは、なんとか満足して生きてきた人生の終幕に、よくもまあ、ああした哀れな結末をつくっていられるもんだと思うよ。

それをいわゆる病苦で片づけてしまえるならそれまでだが、だとしても、能天気にもほどがある。

本人にはそれまでの人生にふさわしい尊厳のある最期と、周囲にはそこまでの泥沼の負担がのしかからないよう、その予防の優先は言うまでもなく、健康な高齢者を新たな人的価値として生かしうる、明るい長寿社会を真面目に組み立てるべきだと思うよ、心底。

最低でも、長寿人生後半期における、生きるということへの意味付けが極めて寸足らずであることを、社会をあげてなんとか再考すべきだ。

俺が体験した家族にもまた社会にものお荷物体験を、誰にだって二度と味あわせたくないと、誰もが思いながらここやってきている。だからこそ、その実体験の苦痛がゆえに、むしろ認知状態に逃げ込んで自分を閉ざすしかない悪循環メカニズムが働いてしまっているんだよ。社会的にも脳機能的にも。

 

ともあれ、俺はことごとさようにその大惨劇から脱出し、この伸びのびとした空間にやってこれた。じつに清々しい気分だよ。

こう言うと地球では、ブラックジョークかと受け止められかねないが、なんでもっと早くやってこなかったかとさえ思うよ。もしそうできたなら、女房にも、あんなにさんざんな苦労をかけなくても済んだのに。

ところでね、ここにやってきて、まず、まっさきに誰に迎えられたと思う。

それはね、ほぼ三十年前、四十になったばかりで先に逝った、あのNさ。なつかしがって、俺に飛びついてきたさ。誰よりも先にきちまって、えらく寂しかったんだな。奴は事故死ということにされているが、あれは不本意だったって。でも彼は、あれはあれで、余計な苦労はしなくですんで、ある意味では幸せだったかもと言ってるよ。驚いたね。

そんなところなんだよ、ここは。彼がそう言うのもそれは確かだと、もう実感し始めているね。だってそうだろう、地球はどうもおかしい。おかしすぎる。なんであんなあほらしい仕組みをかかえて、誰もが黙々と従っていられるのかと思うよ。

それに比べりゃ、ここはまさに天国だ。いや、天国以上の浄化世界だ。

なぜかって? 

それはね、あらゆる嘘偽りの化けの皮が、ことごとくはがされるんだ、ここでは。

 

そういうわけで、ここにやってきて、さっそくに分かってきていることがある。

それは、いかにも突飛に聞こえるだろうが、散々な目に遭わされているのは、我われ庶民ばかりでなく、どうやら、地球全体がその丸ごと、いいカモにされているようだ。

「いいカモだなんて、いったい誰にだ」って聞きたいんだろう? 

そう、そこが驚きなんだが、聞けば案の定と思わんでもない。

ただそれは、極めて入り組み、かつ、並みのスケールを越えた話なんだが、まず、表面に立っているその下手人は、間違いなく地球人だ。俗にいう世界の頂点にある超富豪たちだ。そうした彼らに、地球全体がカモにされている。

だが、そういう彼らも、目立たぬようにはしているんだが、地球人同士としてまだ可視的だ。しかし、そういう彼らでさえ、操り人形なんだな。そしてその背後の本物の下手人は、地球人ではない。そう、いわゆる地球外人種つまりETたちさ。

しかも、その「操り」の度合いが、地球規模でないのはもちろん、いくつもの段階、いくつもの時代にもおよんでいることだ。そしてそのいくつもの段階とは、たとえば、ETと地球人の混血やそのクローンから、洗脳された純粋地球人まで等々。またいくつもの時代とは、その操りが、どうやら地球文明の開闢以来からのようですらあることだ。

これは俺がまだ生きていたころに仕込んだ知識に過ぎないが、地球の生命の発生をめぐって、日本の小惑星探査衛機「はやぶさ」が小惑星イトカワへ生命の痕跡を探しに行ったりもしている。つまり、生命の宇宙起源説に立っているということだ。いってみれば、まだそんなところなのかとも言いたいところだ。本当は、それどころか、そんな「生命宇宙起源説」なぞはまだ序の口で、そもそも地球文明自体が、ETによって構想され、植え付けられたもの、といった話まですら聞いている。

これはそうした話に触発された俺の見方だが、そうした宇宙が生んだ生命があるとするなら、そういう宇宙自体が巨大な生命体であるとするガイア説にもがぜん現実味がでてくる。そしてそもそもそうしたガイアが存在しているとするなら、それこそが神だということになって、伝統的な宗教世界に舞い戻ってくるような話ともなってくる。

そこでなんだが、すでにこうしてその宇宙にやってきている俺としては、もし宇宙にそうした生きた意志があるとするなら、どうやら俺はもうその一部になっているわけだ。なんというのだろう、そうした大生命体の一細胞のそのまた一細胞といったところだろうか。

そしてここで再会したNをはじめ様々な同朋もその一細胞同士だ。そうしてだな、俺はここにやってきて、そうしたたくさんの仏たちに会い、まさか自分が神だとは言わないが、地球上のあまたの災いや嘘八百を見下ろせる天からの視点にあることは確かだと感じている。

 

ところで、そういう俺には地球上から、「ETだなんて、まるで映画みたいな話じゃないか」って声が聞こえてくる。

それは確かにそうなんだが、そういう声とはね、それがまさに、映画にそうも興じてなんかしていられない、危ない側面がひそんでいるってことを物語っている証拠さ。

今や地球では、そうしたSF映画にあれほども巨額の資金が投下され、また、あれほどにももてはやされるのも、はっきりとした、しかし隠された意図があるからなんだな。

すなわち、映画ってのはね、手短に言えば、現実と架空を混同させるマジックだということ。逆に言えば、現実に能天気にさせる手段であること。つまり、ある現実に遭遇した人は、その現実とそっくり同じ映像を以前に見ていたがゆえに、それを「まるで映画のようだ」と錯覚してしまう。

映画とは、そういう《現実「非現実化」装置》との役割を果たしているってことさ。

別の例をあげれば、海外旅行にでかけて著名観光地を目の当たりにした時、「ああ、テレビ番組でみたあの画面みたいだ」と、つい思ってしまうだろう。

言わば「先入主となる」のことわざ通り、状況はすでにそう先取りされ、方向付けられている、というわけさ。

 

ところで、これは映画の話ではなく、なにごとも金次第といった地球上の常識に関してだが、この『MOTEJIレポート』も、金にからまずフリーで発信されている媒体であるうちは、それなりに現実を伝えている可能性のある領域に属している、とは言えるだろう。

しかし、それが何らかの理由から、もしマネーがからみ始め、いかにも立派な風采をもつようになった場合、これも、そうした《現実「非現実化」装置》への変貌途上にある――少なくとも、そう白羽の矢が立てられた――と考えたほうがいいだろう。

そもそも宇宙にマネーなぞは関与せず、それはえらく地球的な物象化現象の産物で、そういう万事金次第というのは、まったく非宇宙的な局地的仕組みなんだよ。だから、フリーであるとは、そういう地球的引力から脱出する、第一の宇宙速度だと思う。あるいは、そういう宇宙と共鳴する、必須な固有振動数と言うべきか。

ETによる地球操作とこの非宇宙的地球というのは矛盾するように聞こえるだろうが、そこらへんの詳しい経緯は、追ってレポートしてゆきたいと思ってる。

 

やってきたこの宇宙霊理世界とは、まずはそういったところだね。

他方の地球では、イギリスのEU脱退だのアメリカの大統領選だのと、相ついでの大番狂わせが生じているように、既成の仕組みが機能しない、まさに予測のつかない混迷の時代に入りつつあるかの感が深い。こうした動向にもきっと、ETによる操作が働いているのだろう。

そんな時に、この宇宙世界にやってくることとなったのも、何かのめぐり合わせなのかもしれない。

かくして、人生を全うしつつある仲間たちの間で、俺が先んじてここに来ちまったが、その先陣取りの利点を生かし、まあ斥候情報とでも言おうか、微々たるものながら、新たな役割を引き受けてゆきたいと念じているところだ。

言うなれば、この俺の情報提供といい、ETの地球操作といい、時代はまさしく、脱地球レベルに入っているということだな。

 

今回は、以上のようにほんのさわりで終わってしまうが、これで第1号の『MOTEJIレポート』を終えたい。

 

 

 

 

 

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