ありうるか「宇宙版セックス」 (MOTEJIレポート No.4)

両生 “META-MANGA” ストーリー <第10話>

俺は、地球を後にしてこの「あの世」にやってきて以来 Moteji をやっているのだが、ここでは、既報のように「目からうろこ」の経験をいろいろさせてもらっている。そしてさらに、その「此岸・彼岸」級のどえらい違いを物語る、これまた新たな「目からうろこ」に出会っている。

それは、前回のこのMOTEJI レポートで予告したように、地球の東アジアの伝統でよく出くわす「陽と陰」とでも言おうか、この宇宙霊理界にある一種の《対》なのだ。そしてそれは、地球生命でいう「雌雄」とか「男女」の違いにも似て、何やら「セックスじみた」とでも表現できそうな、対交換関係がありそうな代物なのだ。

同じような対の概念と言えば、地球上でのもっとお堅い自然科学の分野では、プラスとマイナス、数学記号で言えば+と-がある。この対の概念は、地球の現実界では、足し算と引き算という形で、実生活にも完璧に定着しており、ことにお金の世界では、この対概念がもたらす増減意識あるいは損得勘定が君臨した帝国が、まさに世界の津々浦々までに浸透、支配している。

俺は、その地球を後にしてここにやってきて、そういう地球的「対」に似ていながら、しかし、はるかにその比ではない、もう一つの《対》に出会っている。

というのは、まずそれに気付いたのは、全宇宙にも通用する普遍言語とされている数学において、その一連の記号の中にある「i 」、すなわち「虚数」といったものが、他とは違ういかにも独特の働きをしている気配を見出した時だった。

まあ、思い起こせば、この「i 」に最初に出くわしたのは学生時代であったのだが、正直なところ、当時のそれは「解りにくいな」程度の意識で、言わば、試験対策レベルでお茶を濁してきたくらいの受け止め方だった。

それが、ここにやってきて、そのとてつもない違いのあれこれに接しているうちに、地球でいう物理学、ことに素粒子領域に出てくる数式の中で、この「i 」に、ふたたび遭遇しちまったというわけさ。

つまり、その物理学でも先端領域で活躍する、えらくお頭のいい連中が使う数式の中でそれに出会い、相変わらずとんと理解はできないものの、何やらそこに、そうした違いを説明しそうな「何かがある」と、鼻をきかせるようになってきたというわけさ。

こちらも、素人なりに頭をひねらせてそれを推理すれば、そうした連中でさえも、結局、自分らで説明のつかないものを、すべてこの「i 」という魔法の記号に預け切って、互いにそんな申し合わせをしてもたれ合っている、ってな具合に、ここにもそんな、何とも俗っぽいところがありそうだ、とにらんだわけなんだな。

つまりこの「i 」にしたって、それは「imaginary」つまり「想像上の」から来たもので、「1や2」とか、あるいは「+とか-」とかといった、「実在上」の概念とは根本的に区別されるものであったはずのものだ。

即ち、そこは数学という理屈の世界であり、その「i 」については、「i =-1」などと、まるで人を喰ったかのごとくに、高尚に定義されているのさ。

俺に言わせれば、この定義自体からして曲者で、俺が理解できる通常の数学でなら、二乗したものはすべて+になると定めておきながら、この「i 」に限っては、それが-になると「定義破り」をしているという都合のよさだ。つまり、説明のつかないものにそういう定義を与えて謎をかけ、なんとか体裁をつけている、といった風に俺には見える。

そこで俺はね、この「i 」の出没する領域こそ、そうしたお偉い人たちでも手の付けられない未知の謎の巣窟にちがいない、と勘ぐっている次第さ。そして、その手の数式とは結局、そういう未解明の世界を示す手の込んだマジックに過ぎず、俺としては、そのマジックワードが表示する未解明世界を、この「あの世」にあってなら、その棚上げ同然状態から引きずり下ろせるとにらんでいるわけさ。

つまりだな、結局、そのマジックを解く鍵が、上で述べた《対》であり、「陽と陰」の世界じゃないかと踏んでいるのさ。だってそうだろう、「i =-1」などと、本来ならプラスのものを無理やりマイナスにしなけりゃならないほどに、そこには、《逆転》を必要とする関係があるのだろう。

東洋の伝統哲学では、物の本質は「陽と陰」からなっているとされている。この哲学を借りていうなら、そういう《逆転》の使命をおびている「i 」は、まさにこの「陰」に当たるじゃないか、というわけなんだな。

量子物理学者のボーアなどは、東洋の「陰陽思想」にヒントを得て、「相補性」という、相いれないはずの二つの事物が互いに補い合って一つの事物や世界を形成している、という考え方を提示しているようだ。これなんかは、俺がここで体験している世界を、まあ、いい線でとらえていると思うな。

ただ、俺に言わせれば、「相補」でなく、「相一」ということなんだが。

 

そこでなんだが、ここで合わせて触れておきたいことがある。それは、前回レポートで、時間の無い世界を取り上げたが、上記のような数式に必ず含まれている、もう一つのけげんな要素に「微分」があるということだ。

そもそも微分とは、運動、すなわち、時間に伴う物体の動きを、そういう数学的手法をもって固定化するテクニックであり、俺の見るところ、時間要素を極小化することで、事実上の、時間を除去している数学的操作であるんだな。

ちなみに、物理学者は、「電子を観察すると、電子の波は収縮する」といった、何やらもって回った言い方をする。これなども、「観察」という《時間の断面》を取るために、時を極小化、すなわち「収縮」させている、ということなのだろう。言うなれば、それによって観察しづらくさせられている、《時間》の要素を取り去っている、ということなんだろう。

そういう次第で、確かに数学上、「i 」を含んだ数式は、その独特な定義によって、数学的にはそれなりの理屈の通った専門世界を作り上げているようではある。ただし、俺のような出来ん坊頭の門外漢には、どうもその世界には付き合いかねるし、もっと別の見方ができそうだ、というわけなのさ。

そこで、俺が扱える世界でいえば、そうした未解明分野である「i  世界」全体を「陰」と総称し、地球上にあるものとは異なる次元が丸ごと支配している、一種《逆転》めいた世界がある、という風に理解したらどうなんだろう、というわけなんだ。

そしてその《逆転》めいた「陰」の次元が、その他の「陽」の次元と対応していて、なんともセクシーな「対」となっている。そしてそこでは――「もの」と「こと」の区別もなく、主観と客観も確率の雲のなかにあって――、互いに強く求め合って、《合体》さえし合っている、そういう世界なのだ。

 

さて、そこでこの《合体》なんだが、それは、地球時代の「雌雄」や「男女」の交わりにも通じる、対をなす異種同士の融合作用であり、地球上ではそれが、新生命の誕生という創造のプロセスであったように、宇宙霊理界でのあらゆる事象の《生成から死滅までを瞬時かつ永遠に成し遂げている》本質の在りようではないか、と見ている。

また、こうした俺の考え方を、飛躍とかトートロジーと言うなかれ。むしろ、そうした、飛翔感、瞬時感ある発想を、宇宙霊理的ととらえるべし。

そういう次第で、この宇宙霊理界では、「セックス」とは、生成も死も、一瞬も永遠も両義的に意味する「エロスでありタナトスでもある」在りようじゃないかととらえているわけなんだな。

俺はいまここにあって、しみじみと噛みしめている。地球時代、「脳天に突き抜けるような」文字通りいかにも生々しいエロスセックスを体験しつつ、そこに一種のタナトスも味わっていたことを。そこには、生命の側から触れた、エロスとタナトスの両義性が確かにあった。そして今度は、その命をまさにまっとうして至ったこの世界から、その両義性を別の側から体験している。そうなんだな。このどこにあっても対をなして引き合う力の存在、これこそが、万事の本質なんだなと。

 

 

 

 

 

 

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