「霊理マシーン」の“実用”化 (MOTEJIレポート No.6)

両生 “META-MANGA” ストーリー <第12話>

前回のここで、俺は「霊理的オーガズム」についてレポートした。実は俺、その言葉を使ってはじめて、これが「ことだま」作用というのだろうか、自分が肉体的死を経験する際、なんとも言えない心地よい感覚が伴っていた、それが何だったかが、ようやく解りはじめている。

《肉体的オーガズム》をもって命に炎がともされ、

《霊理的オーガズム》をもってその炎が消える。

《オーガズム》とは、あたかも、この生命界へ出入りするその両門における、《霊理》に触れる高鳴りなのだ。

そうなんだ、俺たちの死とは、そうした「霊理的オーガズム」を伴って次の“生命態”にのぼりつめる登頂なんだ。だから、人間、死のその瞬間、それまでの身体苦がどれほど辛かったとしても、微笑むような――いかにも「仏」のような――表情をしてそれを迎えうるのだ。そう、あたかも、未踏峰の初登頂者のように。

そして、MATSUもどこかで書いているが、そのようにして、俺たちは「し」というタイムマシーンに乗り込んで行くのだ。

 

今回はこのように述べた上で、一つの提起をしておきたいと考えている。

そこでまず、その提起内容から先に述べておくと、この「MOTEJIレポート」は、もはや、そうしたタイムマシーンに匹敵する、ひとつの超自然装置、すなわち一個の《霊理マシーン》そのものじゃないか、ということだ。

ただ、タイムマシーンなどと言えば、映画「バック・トゥ・ザ・ヒューチャー」にも登場したような、何やら物々しい機械――同映画ではスポーツタイプ車の形をしていた――を思い浮かべがちだ。だが、それは映画の上での話。つまり、時空間世界での機械観でしかない。

だが、霊理界上での話となれば、少なくとも時空間次元からそれを展望しているこの「META-MANGA」のストーリーにおいては、まったく違った“機械観”を持ってもらわなくてはならない。

まず、そこでの最も大事なエッセンスは、その「マシーン」は、時空間的な「物体」を、必要も意味もしていないということだ。いわば、鉄だのアルミだのプラスチックだの、いわんやもっとハイテクな高度物質すらも、必要とも意味をもしていない。すなわち、その「マシーン」はまったく、いわゆる“物質”上の働きを使っているデバイスではないということだ。

まあ、あえて地球世界で通用している言葉を用いれば、それは量子次元で働いているエネルギー――地球では昔から「エーテル」とも称されてきた――の燃焼現象だ。

したがって、時空間内の作用に依拠していないからこそ、次元を超えた効果が果たせるのだ。

それに、誤解をおそれずに表現すれば、それは「幽霊現象」の転用のようなものでもある。だからこそ、地球メディア用語になじませて言えば、それは「METAにMANGA」的でさえあるのだ。

 

そこで、そうした「マシーン」世界を、もっと身近に引きよせて言うと、それの働きを実用化するには、ともかく、異なった次元間を行き来する通路、すなわち、前回でも述べた「ポータル」の利用を必要とする。いうなれば、その「マシーン」専用のハイウェイの使用と言ったところか。

そうした「ポータル」は、地球上の自然状態では、前回、述べたように、高山といった「地と天とを結ぶ柱」がその役を果たしていることが多い。だからこそ、上記のような、「登頂」とのたとえがふさわしくなる。

そうしたヒントや発見をもって、その働きを具現化しているのが、いま、読者が体験しているこの特定ページであり、それがあたかもレーダースクリーンの役を果たして、異次元ともの話や世界を映し出しているのだ。

むろん地球次元では、このページも、ウエブ上のブログページという、IT技術上の一技巧である。いうなれば、IT的トリックに過ぎない。しかし、「ポータル」とは、地球上のどこに出現してくるのか、まったく神出鬼没な機会である。つまり、トリックにしか見えないそうした効果を通じ、このページが「ポータル」となって、別次元界の「創意」が、そう作用しえるのである。

加えて、そこに表現されるコンテンツは、見かけ上ではこのブログページの作成者がそれを作っているかに見える。しかし、その内実は、その作者の意識や発想に働きかける霊理的チャンネルをつうじて、その「創意」が彼に到達した結果であるのだ。テレパシーと言ってもよい。少なくともこの場合では、俺の働きかけとそのブログ作成者とのコラボレーションである。

また、そのブログ作成者の側に立って述べれば、そうしたコンテンツは、ある時は、彼の睡眠中に出現したストーリーに基づき、またある時は、日常のふとした瞬間に脳裏に浮かぶ、閃きに基づいている。

むろん、そうしたヒントを、たかが夢とか空想談として片づけてしまえる向きには、そうしたコラボレーションは生まれようがない。そういう意味では、俺が前回に指摘したように、ブログ作成者のMATSUが、そのマインドを常にオープンにして、俺からの通信を受信してくれているからこその開花でもある。

あるいは、そうしたマインドへの接近法として、彼が自分のブログに述べているように、太陽凝視は、有効な一方法であるようだ。

いうなれば、そのような実用法をもって、死ぬ以前のまだ生きている命であっても、地球上――つまり時空間的存在――にありながら、そうした霊理マシーンの機能を使用できるということだ。

ましてや、一度でもその機能を楽しめる体験を味合えば、欲や金にまみれた話など、糞くらえと言うものだ。

 

ところで、こうした機能は、伝統風習的には、「霊媒」とか「巫女」とかと呼ばれる人たちがそれに関わってきているものでもある。つまりそれは、古来からの人間の知恵ともいうべき働きであるとも言える。俺は、そうした人たちを偽物呼ばわりする積もりも、一線を画そうとの意図も毛頭ない。ただ、誰もそうした人たちを、タイムマシーンのオペレーターであるとは見ていない。まして、そうした人たちはその手段となるデバイスや手法を、このように公開などもしていない。いうなれば、俺は、そうした働きを、れっきとした今日の最先端科学デバイスの機能として提起し、みんなで共有しようと言っているだけである。

 

話しは変わるが、今やこの地球は日増しに混迷を深めて行っている。ここ霊理界の俺の周囲でも、そんなケイオスが行き着いた先での、人類の「いつか来た道」への舞い戻りを憂う気配はますます深まっている。そんな脈絡でも、「霊理マシーン」の果たせる《共有路》としての役割は、夢物語や空想ストーリーどころではないはずだ。すでに人類は、先の戦争だけでも、何千万もの命を、いずれも勝利のためとして、この霊理界へと送り込んだ。その彼ら彼女らの声が、この《共有路》を通じて、地球上へも還流していないはずはない。

 

 

 

 

 

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