DNAという超次世代“生物スマホ”

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その53)

この訳読の原書『Modern Esoteric』は、その初版が2014年に出版されたのですが、この7月にその新版(2nd edition)が出されました。さっそく、著者からその新版が送られてきて、この「訳読」もそれに基づくようにとの要請がありました。

既存の本書のもくじに表されているように、すでにその章のいくつかには、虫食い風に着手済みですが、新たな訳読は、すべて新版によってゆきます。

ただ、今回訳読する「DNAミステリー」の章は、2年前に既に訳読済みなのですが、新版に目を通すと、かなりの部分に改訂があり、また先の訳にも修正が必要な部分もあって、新たに訳読し直すこととしました。

 

読者のみなさんは、自分が夢を見た際、ことにそれが何か特殊で専門的なことに関してであった時、自分でもよくも知らないことが、夢のなかに、どうしてそんなに詳しく、しかもリアルに出てくるのだろうかと、不思議に思ったことはないでしょうか。

それが、ことにどこかの現実の場所についてであった場合、その思いはなおさらです。そして、これが逆におこることが、デジャブ(既視感)で、以前にどこかで見たと思われるその光景が、実は夢の中であっただけではなく、その夢が今体験している現実の先取りであったことに気付くこととなります。

つまり、夢を映画に見立てれば、じつは自分がその映画の自作のはずの製作者なのではなく、誰か自分以外の他者がそれを製作し、その何者かが、夢というスクリーンにそれを映し、自分にそうした情報を送ってきているからではないか、という推測ができます。

さらにその推測を進めれば、私たちは、現実の感覚以外に、たとえばそうした夢にみられるような、日常の現実とは別チャンネルの知覚手段をもっているのではないか、という仮説です。

また、夢の話ではなく、直観といえる私たちのもつ感覚領域についても、私は子供のころから、そんなこと学校で教わったことでもないのに、どうして分かっちゃったのだろうかといったことを思っていました。

話をもっと広げて言えば、その外の普通でない諸能力、それらを「超然能力」と総じていえば、結局、それらは実際にありえ、そうであるなら、それがどこから来るのかといった問題です。

本章の議論を手短に言えば、超然能力とは本当のもので、その発生源はDNAだ、ということとなります。

私なりに言いかえれば、人間をIT機器にたとえれば、DNAとは、その心臓部をなすCPUチップであり、しかもそれが超超‥高性能のもので、現存のコンピューターのそれとは比較にならず、そもそも、その働きが根差す次元を異としているものです。

そういうDNAを、私たちは誰も持っており、その本来の機能を生かせれば、私たちは誰も、超能力者となれるというものです。

いうなれば、私たちは、高価なスマホに魅されて自分を乗っ取られる以前に、本来から自分に内臓されている、その超超‥高性能の“生物スマホ”を、どうして活用しないのだろうか、という話となります(この“生物スマホ”については、先に「内臓・超高性能宇宙スマホ 」でMETA-MANGA化して論じたところでもあります)。

 

それでは、改訂版、「DNAミステリー」の章にご案内いたします。

 

 

 

 

 

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