共同合作への第一歩(MOTEJIレポートNo.10)

両生 “META-MANGA” ストーリー <第16話>

 きっとまさかと思うだろうが、今回のMATSUの「クモ膜下出血」からの生還体験は、実は、俺が用意周到に仕組んだものだと言ってよい。

自慢するわけではないが、俺にだってこのくらいのことは可能だ。つまり、俺とMATSUのコミュニケーションがいったん成立すれば、そこではこうした芸当も可能となってくるということだ。

いうなれば、両界を股に掛けた両属分野をフルに活用することができるというわけだ。

そこで俺が何を意図していたのか、以下、説明しておこうと思う。

 

その狙いは第一に、身体は永遠のものではないというMATSUへの警告だ。ただし、これは脅かしでも限界でもない。むしろ、視点を変え、貪欲にあれという激励だ。

ヒマラヤへのMATSUたちの三週間の旅行日程に忍び込ませたこの構想は、そのタイミングといい、日数といい、周囲への配慮といい、あるいは財布事情への考慮といい、まさにこれ以上のものはなかったかと自負しているところだ。

しかも、「クモ膜下出血」という致死率の高いその劇的体験を用いながらも、最も危険度の低いマイナーな症状とを組み合わせたという意味で、その警告の度は最高でありつつ、かつ、その後の人生における、例えば障がいを残すといった、周囲の人たちへの重荷を最低にすることを目指したものだった。

 

その第二の狙いは、そういう設定を与えておいて、黄泉の国への「出立後」への自由度を、最高にまで高めえたことだ。だってそうだろう、その自由度の確保のためには、頭脳は最高の明晰性を維持しておく必要がある。むろん、一桁ほどのパーセントの統計的数値で示される再発による致死の可能性はあり、その限りでは完全にはリスク・フリーではない。

だが、常識的な安全配慮に心掛けていれば、その数値も限りなくゼロに近づけられるだろう。そしてむしろ、その自由度と緊張の共存による可能性の開拓に期待が寄せられるというものだ。

 

その狙いの第三は、今回のヒマラヤ行きの直前、MATSUに本屋に足をはこんでもらい、広瀬隆の『文明開化は長崎から』を購入してもらったことだ。そして、その上下二巻のしかも二段組みからなる、うんざりする程のぼう大な著作を携えて、MATSUにとっては大事件である、入院の事態に至ったことだ。むろんそれによる効果は絶大なもので、MATSU自身が病院で悶々と体験したように、MATSUの個人的体験と日本の歴史的体験とを、立体的に結びつけるものとなったことだ。

MATSUはその二巻を、入院中にほとんど二度にわたって読んだようだね。つまり、MATSUが以前から疑念を抱いていた日本の幕末・明治維新期にまつわる怪しい話――たとえば勝海舟を文明開化の英雄とするような――に根底的見直しを問いかけるその著作は、MATSUにとってもそれ程に、極めて興味を引くものであったはずだ。

むろん、この本のお陰で、入院中という退屈きわまりない時でもそれどころの話ではなく、MATSUの信じる持論に確固とした基盤を与えたものとなったことだろう。

加えてこの読書体験は、過去十年ほどMATSUが続けてきているいわゆる「訳読」が、同著作に登場するおびただしい数の「通詞」の仕事に通じるところがあり、孤独に続けてきたMATSUによるその作業の正当性をほぼ立証するものになった。

そしてそれは、MATSUの入院中を襲う将来の不安を払拭するための激励となって、MATSUを心底から勇気付けていたことと思う。

 

そしてその狙いの第四だが、かくしていよいよMATSUも俺のいまいる出立後の世界にアプローチしてゆく時、舞台設定を根本的に異とするその領域において、いかにそのリードを確保していくのかが問われている。

そのひとつのヒントを広瀬の著作に求めれば、日本の近代史に降りかかった歴史の歪曲――「歴史の嘘」とも言ってよい――が正されることで、集団としての日本人の誰しもの立脚点に立ち返ることを可能とさせてゆくものだ。いうなれば、その略奪された歴史を、それを創出した人たちの手に返還することだ。

また、俺だのMATSUだのといった友人関係にそれを求めるとすると、決して死して終わるわけではない故人の意志が、その後も連続して存在しうる場の創設があってしかるべきだ。

その場は、「うつわ」としては、地球的なものを超えた未知の世界に挑んでゆくものとなるはずだ。そして加えて、その場は宇宙を舞台とし、異次元な世界を垣間見せてくれることになるだろう。

 

ねじ曲げられた歴史――これを人は「勝者の歴史」と呼ぶ――に真実の回復をもって、本来の人びとに歴史の復権が与えられ、それに基づく、日本あるいは地球史全体の登場すらもありうるだろう。

それはもはや、権力や支配の歴史でも、ましてやマネーの歴史でもなく、むろん勝者の歴史でもないものだ。

そして、地球からにじみ出す宇宙空間への生命態、宇宙エコロジーとなって、地球生命や宇宙生命を保護、共存させ続けることになるだろう。

以上、俺の両界構想を説明してきたが、それが地球の西洋支配を終焉させることを願って止まない。

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