失われた大陸(その1)

〈訳読‐2b〉現代の「東西融合〈涅槃〉思想」(その23)

 

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【新版(Second Edition)に基づく】

 

 

失われた大陸(その1)

「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。」 ――旧約聖書(ジェイムズ王訳)、詩篇

地球の表面は、本質的に不安定で移動している。この惑星の大陸の地表は地下の溶けた岩石の海の上に広がっており、それは常に、その地塊を亀裂させ、崩壊させ、漂流させる。ひとつの大陸の部分がその海に沈むと、別の部分が浮かび上がると考えられる。下部のマントルの性状は液体のため、私たちの惑星は主要に火山性で地震や火山の噴火の影響を受ける。これに加えて、今日、地球の磁極は2万年に1回程度――地質学用語で1ナノ秒〔10億分の1秒〕――、大きく移動すると考えられている。

大陸移動説が受け入れられるに先立って、生物学者は定期的な陸地の水没を仮説し、今では海により分離されている土壌基盤の生物種を考慮してきた。同じように、地質学者は異なる大陸の岩石形成の驚くべき類似性を説明しようとしてきた。こうした類似した岩石形成を説明するための最初の体系的な試みが、1887年Melchior Neumayrによって著された『Erdgeschichte(地球の地質学の歴史)』でなされた。そして19世紀中には、現在の種の分布を説明するために、水没した陸橋や大陸が仮説された。考古学のような地質学の新しい試みは比較的最近のことで、ほんの19世紀に始まったばかりである。 そして最近の科学的なブレークスルーは、Neumayrの「地球の地質学史」を飛躍的に進歩させている。

21世紀の地質学者は、数億年前の大陸の動きを追跡できる。というのは、地球の磁場の方向が緯度によって異なり、それが堆積岩や固まった溶岩の中に固定されるからである。ほとんどの地質学者は、アフリカ、北アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパは、6億5千万年前の氷河期には、赤道付近にあったと考えている。熱帯性の動植物の化石が、南極の凍結した大陸やヒマラヤの最高峰で発見されている。熱帯性動植物は、このような過酷な環境には住むことができず、大陸が移動する前には、彼らはずっと暖かい条件のもとにあったはずである。これは大陸が隆起したり沈下したり、漂流したりすることを証明し、しばしば非常に短い時間にこの惑星の表面に大きな変化をつくってきた。

地球上の進化のタイムラインを見ると、多くの異常を発見せねばならない。 例えば、進化論の科学者たちは、微生物が藻類に進化するためには35億年の長さが必要であることを明らかにした。これは妥当と考えられるが、私たちはしかし、藻類がその半分にもならない長さで恐竜までに進化したなどとは、本当に考えられることなのだろうか。藻類から恐竜までに要した時間は、実際には3億5千万年でしかない。ここで可能性として考えられるのは、地球を豊饒とするために、恐竜は知的なものによる遺伝子操作によって培養生成されたのかもしれないことだ。太古の飛来異星人の理論家たちにとっては、私たちの惑星は意図的に地球化され、「カンブリア期の爆発」――多くの種が化石記録に突然「出現した」かのような時期――以来、生き物で満たされるべき場所とされたかのようである。

さらにもう一つの異常は、非常に短い期間(わずか5百万年)に生じたことであり、その間に、初めて人類が発生したことである。ということは、今日のホモ・サピエンスは、そのレベルに達するために地球上で有機的に進化したのではなく、遺伝的に操作されたとしか考えられないことである。進化的プロセスは確かにミクロ次元の現象であるが、十分完全に発達した種に起こる壮大な跳躍は、それだけにいっそうまれなことと推定される。これは、事実にも則しており、フランシス・クリック博士が指摘したように、DNA分子は、純粋に「自然突然変異」によって生まれるには複雑すぎている。同博士はDNA分子の当初の発見者の一人であり、その後、生命の多様で非常に複雑なDNAが、進化論者によって提案された非常に短い期間でそうした進化が達成されるのは、絶対に不可能であったことを数学的に証明した。加えて、絶滅の事例が多すぎる地球にあって、人類の生存がありえたのは、ほとんど偶然としか言いようがない。

私たち以前に、地球文明があっただけでなく、地球の歴史の中には大災害の繰り返し――宇宙現象によって引き起こされた隕石や大きな天体の通過などの――があったのは、単純な事実である。そうした衝撃あるいは引力が極移動を引き起こした可能性がある。 地球規模の地震、津波、火山、新たな大陸の出現や消滅、そして世界的な洪水等々は、通常、極移動と伴に起こっている。そこでまず最初に、私たちの惑星の地質学を見、そして我々以前の文明の証拠を調べてみることにしよう。

 

極が移動する時

極移動理論はひとつの仮説で、ある惑星の回転軸が現在の位置に常にあるわけではなく、今後もその軸が永続的にそこに存続するわけでもないというものである。長い時間の経過のなかで、物理的な極は何度も移動してきたが、そこでの主な疑問は、それがどれほど頻繁に、そして、どのくらい迅速に行われるかである。くわえて、極移動理論はほとんど常に地球の文脈で議論されているが、太陽系の他の惑星も、それらの存在の間に軸方向の転換を経験してきたかもしれない。だが、極移動理論は、プレート・テクトニクス説と混同されてはならない。プレート・テクトニクス説とは、広く受け容れられている地質学上の理論で、地球表面という固体の平板がアテノスフェア〔地球表層部の下にあると考えられる柔らかく流動性に富む層〕の上を移動するというものである。また、極移動は、大陸移動とも混同されてはならない。これはプレート・テクトニクスの当然の結果、大陸の位置が地球表面上をゆっくりと移動し、その結果、徐々に大陸の創成や崩壊が起こり、さらに数億年以上にわたって、海岸線の再形成をし続ける。さらにまた、極移動理論は地磁気の逆転――地球の磁気の周期的な反転即ち、南北極の入れ替え――とも混同されてはならない。地磁気の逆転は、極移動理論よりも科学界においてより受け入れられている。

1852年に、数学者エジョセフ・アドヘマーは、両極での厚い氷の堆積は、定期的に地球軸の反転を引き起こし、赤道が突然、両極がかつて位置していた場所に移動することを示唆した。地球の軸移動が早い期期に言及されたのは、1872年の「Chronologie historique des Mexicains」と題された記事に見られ、メキシコの古代神話が4つの期間にわたる世界の大変動――紀元前1万5百年頃から始まった――の証拠として解釈されたものである。

チャールズ・ハプグッドは、おそらく最もよく知られた極移動の提唱者で、『地球の移動する地殻』(1958年)――アルバート・アインシュタインのまえがきを掲載――と『地極の道』(1970)の二冊の著書がある。 ハプグッドはアドヘマーの以前のモデルを基にして作成し、片方または両方の極の氷塊が過剰蓄積して地球の回転バランスを不安定にすると、地軸の方向を維持している地球のコアを取り囲む地球外殻のすべてないし多くを滑らせる原因となる、と推測した。自身の研究に基づいて、彼は、各シフトには約5千年がかかり、その後2万から3万年の極移動のない期間がくると述べている。また、彼の計算では、その移動の範囲は40度を超えることはないとしている。彼は、最近の北極移動の地点として、ハドソン湾のユーコン地帯、および、アイスランドとノルウェーの間の大西洋などを実例としている。 過去10年間で、磁北は、シベリアに向かって動いている。

ハプグッドは、ゆっくりした極移動の提唱者で、それはもっとも軽微な変化のみをおこし広範な破壊はないとした。だが最近の見解では、地理学的な劇的な変化や地震と津波による地域的な破壊を伴う、より急速な変化を予告している。最近の著書では、様々なこの世の終わりを告げる、数週間、数日、さらには数時間の変化を提示している。その速さとは無関係に、極移動の発生は大半の地球表面に大規模な気候変動をもたらし、以前は赤道であった地域が温暖化し、また、温暖であった地域が赤道化あるいは極化している。

ハプグッドの研究を参照して、アルバート・アインシュタインは、それが地球の過去について信じたいことに適合していないからとして、地球の地殻変動の考えを「先験的」に排除すべきでないと述べている。アインシュタインによると、そこで必要なことは、確固とした「地質学的、古生物学的な事実」であるという。6ヶ月間、ハプグッドは地球の地殻変動の概念を支持する地質学的な証拠を収集した。 1953年の5月、彼は、38ページにわたるそうした証拠をアインシュタインに送付した。ハプグッドの議論の中心は、小南極〔Lesser Antarctica〕で氷が無くなっているのと同じ時に、北アメリカでは氷で厚く覆われているという証拠があるというものであった。一週間後、アインシュタインはハプグッドにこう答えた。「あなたの議論は非常に印象的で、その仮説が正しいという印象を持ってる。誰も、地殻の大きな変化が短時間で繰り返し起こっていることを疑うことはほとんどない」。彼はハプグッドに、「地球破砕」の証拠をさらに追求するよう促した。ハプグッドが『地極の道』を、カナダ人司書兼アトランティス研究家のランド・フレム・アサと共著で出版した後、彼らは協力して彼らの極移動説を支持する科学的証拠を追求した。1995年、ランド・フレム・アサは妻のローズと共に、『いつ空は落ちるか(When the Sky Fell)』を出版したが、ハプグッドは1982年に亡くなり、その本の完成を見ることはなかった。

極軸が極の氷の堆積とは独立して移動する可能性があるとする、3つの見解がある。 その第一の理論は、極移動が自然な発生であることを提唱している。その理由は、磁極は2~3万年ごとに所定位置から外れていき、次に極軸が最終的にそれに従うというものである。第二の説は、高速の小惑星または彗星が、岩石圏がマントルから独立して動くような角度、あるいは、その衝撃で惑星の軸全体が移動するような角度で地球に衝突する場合である。第三の説は、地球に十分接近している、異常に大きな磁気天体が地球に十分接近して通過する場合、一時的に磁場の方向を変え、岩石圏を新しい回転軸へと「引きずる」場合である。これは、ゼカリア・シッチンが提唱したように、太陽のまわりを非常に長楕円の軌道をえがく「第12惑星」の場合で、Planet XまたはMardukがそれに相当する。この見解では、構造プレートの動きはその地球外天体が通過して十分に遠くに去った後には沈静化し、地球への影響はなくなる。

小惑星帯は、ティアマット(Tiamat)と呼ばれる昔に破壊された惑星の残骸なのだろうか。マルドク(Marduk)あるいは惑星Xと呼ばれている太陽系の「第12番目の惑星」なのだろうか。(with permission, (c) Brad Olsen, 2017)

この第二の見解に最も近い例は、1908年6月30日の巨大な爆発が、ツングースカと呼ばれるシベリア僻地の荒野を荒廃させた場合である。それは小惑星や彗星の小断片の空中爆発によって引き起こされたと考えられている。地球表面上の5~10キロメートルの高度でそれは起こり、2,150平方キロメートルの地域が瞬時に破壊された。その爆発規模はTNT10-15メガトンに相当したが、そうした爆発はいまだどんなプレート変動にも、極移動をも引き起こしていない。このツングースカ事件は、人類史に生じた最も強力な爆発である。その後のどんな熱核爆発も、その規模を上回ってはいない。その爆発は、数千キロメートル離れた場所でもその音が聞こえた。科学者たちはそれが隕石または彗星の断片のいずれかによって引き起こされたと考えているが、そうした明確な衝撃場所も、物的残存物も発見されておらず、小惑星または彗星が地表には衝突せず、空中で爆発したものであろうと推定されている。どの極移動説に立ったとしても、最終的には太陽の磁場が地球の新しい磁場を決定するのであろう。

2013年7月、マクロな地球変動の証拠を大きく乱す変化が北極地域で始まった。「北極に湖が誕生した日」と題された7月末の画像は、ウィルス感染のように広がり、インターネットユーザーには地球が温暖化している確かな証拠を見せつけられた。かつてなく縮小している北極海の氷床は、気候変動の目立った犠牲者になっている。氷が覆う面積は毎年縮小し、季節による変化はあるものの、2012年の夏の最小面積はもっとも少ない記録となり、2013年の冬の氷の最大面積は、1970年代に始まった衛星観測上で6番目に小さいものであった。科学者を最も困まらせているのは、地球温暖化が何よりも速いスピードで起こっていることである。また乱しているのは、それまでの磁北の移動速度が早まっていることで、過去の十年間ばかりでなく、過去数ヶ月の間に起こっていることである。2013年の最初の6ヶ月間にに磁極は驚くべきことに、267キロメートルも移動した。この速さでは、シベリアの陸地に数年で到着してしまう。磁北は現在、1日あたり1キロメートルの割合で移動している。 2015年の何時かに北極磁場がシベリアに到着すると、それは北半球を横切って40度移動したこととなる。地磁気反転説の科学者は、これは両極が早い速度で赤道を越えて40度南にまで達する、転換点になると信じている。

 

突然の大変動

市街を行く平均的市民に、彼らが「氷河期」という用語で理解していることを尋ねたとすると、ほとんどの人が、現在は温暖な気候となった北極圏地方――北欧州ではおよそ緯度50度以北、北米では36度以北――を一面の氷床がおおった時代であったと答えるだろう。その結果の荒涼とした風景では、しばしば、毛むくじゃらのマンモスや、羊毛をまとったようなサイや、ジャコウウシのような動物が住み、毛皮を着けた私たちの祖先が狩りをしていたことが想像される。

そのような信念の起こりは、地質学者によりそうした氷河期が更新世の中にあり、それは我々自身の時代である完新世が始まった約1万1千年前に終わったとされていることにある。最後の氷河期はいくつかの局面を伴っておよそ百万年間つづいたと言われており、その間、氷原は繰り返し盛衰した。偶然にも、北極圏を超えて拡大している海氷原と同様に、南極地域も氷が覆いつくした。イエローストーン国立公園は「超火山」の上に位置していることに留意すべきである。それは過去1千6百万年間に何度も噴火した。 最後の大規模な噴火は、64万年前であった。過去のカルデラは大規模なマグマ溜まりをおおう北米大陸プレートの動きを反映している。そうした噴火は、そのマグマ溜まりの上を走る断層線に関係している可能性がある。

氷河期の概念に直接関連し、実際にその始まりのきっかけとなったものは、いくつかの異なった地質現象――表面に線条溝のある岩、氷河移動性の巨大な岩、簡単には起こりにくい大規模な「流動物」堆積など――であった。というのは、それらはよく共に発生し、明らかに共通の起因を有していた。それらの特徴の地理的設定と場所も独特だった。そうした線条溝は、頻繁にまとまって起こっており、ほとんど常に、明らかに既存地形に対しては逆の方向を向いていた。氷河漂流性の巨大な岩は、時には無数にあり、そのしばしば驚異的なサイズと重さにもかかわらず、どんな標高にも存在していた。例えば、500メートルの長さのものもある。どの場合でも、最も近い自然の露頭から遠い距離のところでで発生していた。そうした流動堆積物はよく、丘陵の南斜面に限り、または特定の山頂で発生しているが、隣接する谷のものではなく、頻繁に岩盤の下にある長期の間に粉砕されたマントルであった。巨大な火山の同時噴火は数日で大気を覆い、全地球に冬のような状態を引き起こす。こうした想像は、すべての証拠によって広く支持されており、圧倒的で突発的で暴力的で、巨大な規模の作用が働いたことを示している。

今日までも語りつがれてきた初期メソポタミアの伝説は、地球に関連するばかりでなく、太陽系内の他の惑星とも関連し、ひとつの時代的騒動を記している。その記されている「マルデュック」とは、シュメール人が、太陽の強大な引力によって引き寄せられて遠い宇宙からやってきたと明確に述べる、荒らし回る天体の名前のひとつである。古代のくさび形文字の印板は、アナンナキの居住者の話とともに、マルデュックの進行をかなり詳細に描写している。マルデュックの最後の地球通過は、破壊と混乱の両方をもたらした。その太陽へと向かう旅は、多くの惑星やその月の近くを通った。もしこうした描写が本物であった場合、それはチアマットと呼ばれる惑星と衝突し、それを分解させたはずである。この元の天体は火星の外側の軌道を回っていたが、このマルデュックとの衝突後には瓦礫となった。火星と木星の間の小惑星はこのチアマットの今日の姿である。バビロニアの焼いた粘土板は、太陽系を叙述しており、一貫して一つの惑星をあまりにたくさんに表し、他方、ギリシャの伝説はエレクトラという失われた惑星のことを述べている。マルデュックはまた、バビロニア人によって「ニビル」としても扱われているが、それは惑星ではなく、太陽と双子の小型連星で、その引力は弱くその通過の際より小さな惑星の軸に破壊おこすほどでも、衝突してもそれを破壊するほどでもない。

しかし、極移動が頻繁に起こると、その都度、災害が地球表面の特徴を急速に乱しかつそれが引き続く可能性がある。惑星の景観は、激しい転変地変の時代には何度も変わってきた。これには陸上と海面の下の両方の大規模な地殻の亀裂が含まれる。それらには、地球上の多くの山岳地帯が現在の高度への隆起し、それはしばしば暴力的な隆起となり、急激な大気汚染を引き起こす広範囲にわたる地震と火山噴火をもたらし、他の場所では広範囲の地殻沈下、古い河川系の破壊に伴い、海や湖が干上がることとなる。突然に堆積した動物の遺骨で満杯の洞窟、あるいは土や氷で瞬時に潰された太古の毛深いマンモスの口にはまだ食べ物が残っており、ほとんど瞬間に大変動が生じたことを示唆している。特に、岩の亀裂には、今日でも頻繁に同時代的だが植物的にも気候的にも矛盾する生物が含まれており、これらの出来事の壊滅的な性質を強調するだけでなく、地球の軸の傾きの変化も強く示唆している。

 

トバ島の大噴火

インドネシアのスマトラ島にあるトバと呼ばれる巨大な火山は、7万4千年前、今までに知られていた最大の噴火をおこし、南アジア全域に灰を降らせた。トバ噴火は大きな地球変化の時期に相当した。この大惨事は多くの目撃者もいた。降り積もった灰の下を発掘した考古学者は、石の遺物を発見し、それは人類が噴火前には南インドのジュリールート渓谷に住んでいたことを示していた。トバ噴火は、推定火山爆発指数は8で、これは「超巨大」と呼ばれ、過去2千5万年の間での最大の火山噴火であった可能性がる。それは直径100キロメートルのクレーターを残した。それはまた、大気中に硫酸の生成をもたらした。それはインドネシアのスマトラ島で噴火が起こったものの、インド亜大陸全体におよそ15センチの厚さの灰が堆積したと考えられる。インド中央部のあるサイトでは、掘削されたトバの層が6メートルの厚さを示し、マレーシアの一部では9メートルの灰が降り積もっていた。インドの現代人の小集団は、トバの灰雲の大災害により被害を受け、その人口はほとんど零となった。この爆発により10トンの硫酸が大気中に放出され、酸性雨が広範囲に降下したと推定されている。

トバ湖の噴火は、地球に火山性の冬をもたらし、世界の人口の約60%以上を消滅させた。その大部分は、レムリアの生存者の子孫であった。人間は、スマトラの北部付近ではなんとか生き残ることができたが、噴火は惑星の大気を変え、生存をほぼ不可能にした。 およそ3千世代昔――進化時間にすればほんの一瞬――、地球上の人口は、そのすべてが小さなサッカースタジアムほどの規模に縮小した。そのトバ噴火よる落ち込みは、人類全体の人口をほんの数千人にまで減らし、遺伝学者によれば、それがすべてのヒトDNAの類似性を説明している。今日生きているのは、おそらく、約7万4千年昔のトバ噴火の生存者の一握りの子孫たちであろう。

 

古代の宇宙飛行士

古代の宇宙飛行士説は、人類の過去の異常性を、考古学的、神話的、人類学的、あるいは古生物学的な説明となりうる。はたして宇宙人が存在しているのか、あるいは地球を訪れたことがあるかについての議論はさておき、人類が古代からETに魅了されてきたことはほとんど疑いがない。歴史家や考古学者は、世界中でET風の存在の数多くの描写を見つけてきた。私たちは、古代の芸術作品にETの表現を見つけるだけでなく、古代人の物語、伝説および伝承のなかに、人類と交換する異種人間の現実性を指摘してきた。さらに、世界中の多くの地域で巨大な頭蓋骨が発見されており、これらは普通の人類ではないことが明らとなっている。2009年12月には、『ディスカバー』誌でさえ、南アフリカ、中部アメリカ、シベリアなどで発見された大きな頭蓋骨の人種一種で、通常人の2倍の大きさの脳を持つ、ボスコップ・タイプの頭蓋骨を取り上げた。こうした頭蓋骨を説明する人類の奇形については、既知のものはない。

世界中の古代伝承は、地球と非道な宇宙からの訪問者――さまざまな名でもって記憶されている――との間での衝撃的な戦いを述べており、地球に火を放ってそれ以前の黄金時代を終わらせ、その後その火は巨大な洪水で消された。聖書のテキストは後者を「ノアの大洪水」と呼び、古代ギリシャの「フェイトン」という名前はこの火のような天からの侵入者のこととされている。これらの二つの物語や他の多くのものは、よく知られた一連の悲惨な出来事の典型である。

私たちの遠い古代の親戚は、私たちよりもはるかに高度な技術を利用していた。そうした技術は、世界的に見られる巨石建築構造で、巨大な石を浮上させるために使用された。これが簡単にできれば、与えられた文化が原始的であるかどうかにかかわらず、今日でもそれは疑いなくやっていることだろう。だが、日本人が大ピラミッドをはるかに小さい規模で再現しようとした時、現代的な装備をフルに用いても、彼らは完全に失敗した。しかし、そびえるピラミッドや他の巨大な石の構造物が、地上でも海中でも、世界中で発見されている。

古代の水中の構造物は何百ヶ所にもわたっているが、これらの水没遺跡は未知の文明の遺跡であるか、あるいは地球外からの訪問者の証明であるかもしれない。アトランティスの長く失われていた都市の評判の悪い物語は、極めて人間に似た居住民を持っていた古代異星人都市の記憶を保存している可能性がある。ペルーのチチカカ湖の水面下で最近発見された寺院の遺跡は、「偉大な白い兄弟」によって占領されたUFO水中都市の現地の伝説に沿っている。地球の反対側では、サンガムスとして知られる古代インドの文献が、数千年前にETと人類が混じり合っていた水没都市を描いている。地中海やカリブ海の水面下の様々な場所には、数百の沿岸や様々な島の都市があるが、そのいくつかは多くの地質時代を重ねた昔に沈没したが、他は6千年前という最近に消え去った。聖書にあるソドムとゴモラの都市も、死海の水面下に位置すると噂されている。同様に、どこであろうと金の資源が埋まっているところでは、以前の高度な文明の古代鉱山が発見されるだろう。これらの文化はどれも、〔後述のように〕25,920年周期の重要性を説く神話を継承してきた。

これらは潜水艦ソナーからえられた走査画像で、コンピュータ上で3D処理されたものである。これらの水中構造物は、キューバ沖の海深くに位置している。その発見は、巨大な花崗岩から都市を作り、その後海に沈んだ古代文明の揺るぎない証拠である可能性がある。もっとも近い石灰岩からなる同様の石造り構造物のある場所はメキシコ中央部であり、ここからそう遠くは離れてはいない。これは、最後の氷河期に水没した都市だと思われる。また別の説は、地震、またはおそらく火山の近くにあるその場所が、都市と周囲の土地を波の下に沈めたと説いている。私たちが見ているのは、主流の考古学者らが、世界のどこにも〔沈んだ〕都市はないと述べている時のものである。(with permission, (c) Brad Olsen, 2017)

 

春分点歳差

私たちの天の川銀河は、すべての星がその周りを回るのに何百万年もかかる明瞭な中心を持っている。地球から見て、その中心は天の川の星の集まった部分に位置している。地球時間にして25,800年間に4回、この銀河中心と冬至あるいは春分の日の出が一致する。それが最後に起こった時は、6,450年前の秋分の日で、その頃は、おおむね地球上の諸古代文明の出現の時にあたった。2012年12月21日の北半球の冬至の際、銀河の中心はもう一度私たちの太陽と一致した。この一致は明らかに、マヤ文明が時間の「Long Count」のマッピングに記載されたことであった。マヤは占星術的、神話的、記念碑的な証拠をそのように残して、私たちが現在入って行っているこの時の重要性を強調している。おそらくマヤのカレンダーは、非常に深遠な理由のために、この日に終わっている。

いく度にもわたり、古代人は銀河系のこうした整列が25,920年に1度しか起こらないことを記録した。毎年同じ日に夜空の星の動きを観測して、それが72年ごとに1度ずつ移動することを記した。天文学者は、天の川の始まりと終わりが正確にどこであるかとするのは不可能であるがゆえに、銀河系の赤道は完全に任意の線であり、正確に決めることはできないと主張している。にもかかわらず、多くの独自の見解をもつ者は、この整列は春分点歳差の結果として起こると論じている。西洋占星術では、この周期は、それぞれが2160年づつの12の部分に分けられ、「黄道帯の年齢」と呼ばれている。私たちは現在、「みずがめ座の歳」に入っていっている。30以上の異なる古代文化――事実上世界のすべての古代哲学体系を含む――には、歴史が25,920年という長い周期で繰り返されていることを示唆する考えを「コード化」している。これは著名学者Giorgio de SantillanaとHertha von Dechendによる1969年の長編作品『Hamlet’s Mill』で立証され、グラハム・ハンコックによる1995年の重要な名著『神々の指紋』で公衆の認識を獲得した。

占星術が星や惑星の位置を未来の出来事の予言に用いるのと同じように、ニュー・エイジ派の銀河系整列仮説の提唱者たちは、マヤ族が重要な世界的イベントを準備する目的でそれをカレンダーに記入したと主張している。独立系研究者のジョン・メジャー・ジェンキンズは、『Maya Cosmogenesis 2012』というタイトルの本を著し、テレンス・マッケナがそのまえがきを書いた。テレンズ・マッケナは、マヤが歳差運動を理解しただけでなく、2012年末の日が宇宙での特別な出来事であることを予測していると述べている。そしてその予言が予告していることは、これまでにない平和と繁栄の「黄金時代」であるという。

春分点歳差は、地球が非常にゆっくりと軸を揺らすことによって引き起こされ、高齢者でもその生涯にそれをほとんど知覚することはない。それによる角度1度の位置のずれは、71.5年ごとに春分や冬至に観測される。太陽の幅は1度の半分なので、銀河系の赤道上を歳差運動してゆくためには、12月の冬至の太陽が36年かかることとなる。この「銀河系の整列」は26,000年に1回しか発生せず、古代マヤはその「長期カレンダー」に2012年が〔現代人にとって〕その最終年であることを指している。

 

レムリア、ムー、アトランティス

まず初めに、アトランティスとは単に、世界中に知られているいくつかの元の文明の名前のひとつであることを指摘する必要がある。「失われた大陸」といわれているアトランティスとは、それらのすべてが一度に沈んだわけではなく、たくさんの確かな証拠を後に残しているものである。世界中に巨石構造の形で存在する遺跡が存在している。 3,300以上の古代石構造物が特定されており、1960年代にイバン・ T・サンダーソンによって発見されたように、その大部分は、船舶や飛行機が姿を消している地球上の12の「渦巻きの点」を結ぶ線の「地球グリッド」の上に限って位置している。サンダーソンは、どこで船舶や飛行機が消えたのか、その場所を航空機史や利用可能な海洋歴史の大部分を遡ってプロットするという困難を成し遂げた。不思議なことに、これらの12ポイントは、互いに均等に離れた一種の幾何学的格子をなしていた。そのうち最も有名なのは、北大西洋中央部のバミューダ三角地帯で、バミューダ島、マイアミ、そしてプエルトリコを結んだものである。

「世界グリッド」には12の要点があり、「二十面体」と呼ばれる幾何学的パターンを形成し、それを裏返しにした時「十二面体」が現れる。ロシアの3人の科学者、ゴンチャロフ、モロゾフ、マカロフは、最初にその12面体を見出した。それらのロシアの科学者が世界中のこうした主要地を研究していた時、彼らは巨大石、聖地、自然の特異地がつくる構造を発見した。また、これらのプロットラインは、何千もの船舶や飛行機が消滅や墜落したりする場所でもあった。古代の巨石構造物のうち、合わせて約3,300のものは、これらの12の主要「渦巻き」点を結んだ線の上に位置していた。明らかにそれは偶然ではなかった。世界のそうした同じ建設計画で働いていたというだけで、世界の先進的な文明を支えていたのは明らかである。(with permission, (c) Brad Olsen, 2017)

有名なアトランティスは、レムリアと呼ばれる時代、伝説的なムーの失われた世界である。太平洋諸島の伝承によれば、ムーは太平洋のどこかに位置するエデンのような熱帯の楽園で、数千年前に美しい住人とともに沈没した。 アトランティスのように、それが本当に存在し、それは何処なのかたのかどうかと議論の進行中のものである。1800年代の神知学会の創設者ヘレナ・ブラバツキー夫人は、それがインド洋にあるはずと信じていた。

レムリアは既存科学の領域外とされているが、インドのタミール人の著述家やオカルト作家には採り上げられてきている。レムリアについての見解は、その文脈に応じて異なるが、その大陸が古代に存在し、しばしば激変した地質の変化の結果として海の下に沈んだという信念は共有されている。今日までも生存しているムーの古代住民の末裔は、実際に物理的に接しなくても啓発されたメッセージを伝えられる媒介者を歓迎している。

レムリアは、ブラバツキー夫人の著作を通じて、オカルト研究の目録に入れられた。同夫人は1880年代に、「マハトマ」すなわちインドの偉大な魂による古代アトランタン以前の『Book of Dzyan』に示されていると主張したのだった。 ヘレナ・ブラバツキーの『秘密の教義』は、宇宙の進化についてのオカルト知識を要約した、レムリアからの実際の本であると称されている。 そして実際に、それは「媒介した」本となった。 レムリアのエソテリックな名前はシャルマリです。 神知学は、レムリア、ハイパーボリア、ダイチャ、ルータそしてポセイドニスのような多くの失われた大陸を追加して、アトランティスの物語を大いに詳細に描いた。これらの各〔大陸の〕期間には、ヒト以前の種が継承されていた。

パシフィカ、ムーとも呼ばれ、またエドガー・ケイシーがズーまたはオズと呼んだレムリアの運命は、アトランティスのために提唱されたものと変わらない。これは、昔あるいは現代の千里眼者によって、私たちのタイムラインに予見される人類の運命に似ている。その伝説はまったく同じで、何もないところに突然出現した繁栄と高度な文化である。そうした起源と〔その後〕の没落は、自然大災害や人間社会の不安定のために、大陸が「海」の下に沈んだという破壊に関連している。

この1896の地図は『The Story of Atlantic』 の著者ウイリアム・スコット=エリオットによる。(with permission, (c) Brad Olsen, 2017)

 

 

つづく

 

 

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Modern Esoteric: Beyond Our Senses,  by  Brad Olsen

http://cccpublishing.com/ModernEsoteric  www.bradolsen.com

with permission, (c) Brad Olsen, 2017



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