失われた大陸(その2)

〈訳読‐2b〉現代の「東西融合〈涅槃〉思想」(その24)

 

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【新版(Second Edition)に基づく】

 

 

失われた大陸(その2)

レムリアの衰退

多くのレムリア研究者は、その原初文明の最大の成果と言われているものは統治の科学であると言う。おそらく、私たちの遠い過去には、ひとつの共通言語とひとつの政府があっただけである。教育はその帝国の成功の基盤であり、すべての市民が宇宙の法則に精通し、職業や貿易について徹底的な訓練を受けたため、素晴らしい繁栄をもたらしていた。どの子供も21歳までの義務教育が受けられ、その修了者が市民学校への入学資格を得られた。この訓練期間は7年間続き、帝国市民になる可能性の最も早い年齢は28歳であった。地球は野生動物で満たされ、人口は今日と比べれば、ほんの一部に過ぎなかった。

レムリアを構成したはるか昔に消滅した太平洋の大陸は、およそ7万4千年前の火山噴火や地球規模の津波により最初の被災に会ったが、住民たちはその後6万年にわたって文明を再構築し、最終的にはアトランティスと文化的に混ざり合った。両文明は海洋性の貿易帝国であった。レムリアの首都は、ジャワ海とインド洋を結ぶロンボク海峡に面して位置していた。このあたり一帯は、今日、インドネシアのバンドン美術館で見ることができる巨大なゾウが生息することで知られていた。これらの巨大な象の化石の骨格は、多毛なマンモスのサイズに近い。インドネシアのグヌン・パダンのピラミッド・マウンテンは、最近の炭素年代測定から1万4千〜1万6千年前に築かれたとされ、レムリアの時代からわずかに外れている。インドネシアの古代遺跡を研究するインドネシアの特別部隊の隊員である地質学者アンダン・バクチアは、古代に壊滅的な津波の証拠があると報告した。これらの巨大な波は、インドネシアのレムリアンの建物のほとんどすべてを破壊し去ったであろう。

さまざまのエソテリックな情報源によると、最初の文明は7万8千年前、レムリアの巨大な大陸に起こり、驚くべきことに、5万2千年間続いた。だが約2万6千年前の極移動によって発生した地震で破壊されたと言われている。レムリアは、アトランティスのような後の他の文明と同じほどには高い技術には達していなかったと思われるが、ことに巨石建造物の建設においては、そのうちのいくつかは、地震や津波に耐えることができる高度な技術を達成したと言われている。また別の兆候が、広大な太平洋盆地のどこか真ん中のマルデンと呼ばれる小さな島で不思議な遺跡が発見された。マルデン島には、40の石造りの寺院に見られ、それは、ミクロネシアから約5,475キロメートル離れたフォンペイ島のナン・マドルにある建物と同様、謎につつまれたデザインであると描写されている。マルデン島には、水深数百メートルの太平洋の底に沿って伸びる石の道があり、島の上を通って再び水中に没している。これは、かつて陸塊全体が水上にあり、先進的で複雑な文明を支えたことを示唆している。さらに、マルデン遺跡には、古代ピラミッドの遺跡が含まれていると言われている。

ナン・マドルの最大の建物はナン・ダワスと呼ばれ、内部に聖域を持つ大規模な屋外複合施設である。地下トンネルがナン・ダワスといくつかの大きな建物を結び、それぞれは自身の小島に建てられている。これらのトンネルのいくつかはサンゴ礁の下を通っており、スキューバダイビングで見ることができる水中の洞窟に出ると報告されている。ナン・ダワスの壁は11メートルの高さがあり、巨大な石が巧みに積み上げられている。そうした岩石には、長さ5メートルの柱状六角形の玄武岩があり、それはその島で自然の結晶作用で形成されたものである。他の石は巨大なスラブで、荒っぽく裁断、仕上げられており、最大の岩石が使用されている。ナン・マドルの玄武岩の中には、強い磁性を持つ大きな結晶が含まれている。これらの重い玄武岩の結晶は磁化されており、壁の近くに置かれたコンパスは用をなさなくなる。さらなる謎は、第二次世界大戦の前、日本人潜水夫がプラチナの防水の墓を発見し、その中には非常に大きな人間の骨が入れられていた。その他にも、大きな骨の発見が報告されている。高度な文明の巨人たちなのか。これは太平洋の非常に古い沈んだ大陸の証拠であるのだろうか。

伝説のクマリ・カンダムの沈没王国は、現存する古代タミール文学に描かれている。この沈没したと思われる大地は、しばしばレムリアと比較される。古典的なタミール文学の現代解釈によると、叙事詩シラパチカラム(Cilappatikaram)とマニメカライ(Manimekalai)がプハール(Puhar)と呼ばれる水没都市を描写している。南インドのドラヴィダ民族は、もともと現在の海岸線の南の地から来ていたが、繰り返された洪水によって水没した。タミール人の著者たちは、かつて大規模な陸塊が一度はオーストラリアを現在のタミール・ナドゥ海岸に結びつけたと、様々に主張している。ブラバツキー夫人は、レムリアンを黒人として描写し、インドとオーストラリアのネグロイド人種をそれぞれDravidiansとAustraloidsとし、合わせてPapuansとMelanesiansをレムリアン――ブラバツキーの第三の根源人種――と描写していることが注目される。第一の根源人種はその特徴から「天上人種」で、他方、第二の根源人種は「黄金色の皮膚」のハイパーボリアン(Hyperboreans)だった。第三根源人種は褐色の皮膚のレムリアンで、第四そして最後の根源人種は多人種のアトランティス人であった。この観点から見ると、地球上の人間は、過去20万年の間に複数の個別の始点からハイブリッド化された人種である。

レムリアの正確な所在場所は研究者や著者によって異なるものの、南米大陸へとも広がる太平洋区域の謎のどこかである。それは、アトランティスが地中海からカリブ海へと連なる北大西洋区域の陸地と結ばれているのと同じである。たとえレムリアの場所がどこであろうと、それは「火の環」と南半球の赤道地域とを結びつけている。

プラトンの対話のうちのTimaeusとCritiasと名付けられた2つの対話は、アトランティスについての最も古い見解を含んでいる。Timaeusには、ソロモン王がエジプトに旅行した際に聞いた、その文明は失われたとした短い骨格のみの話があり、Critiasには、アトランティスの描写が含まれているが、話は途中で終わっている。プラトンはそうした物語を、文字通りにあるいは寓話として述べたのであろうか。(with permission, (c) Brad Olsen, 2017)

 

失われた文明の探索

レムリアは、エデンの園またはパラダイスに匹敵する典型的なアトランティスであり、地球上の人類と先進文明の起源の場である。 レムリアのアトランティス人は、かつてははるかに水面より高かった太平洋地域から、インドの近隣地域を植民地化し、その地域を「双子」であるパートナーとした。 神話的には、レムリア・インドネシアは他のすべての文明の母であり、アトランティス・インドは父であったと言える。

日本の南部、沖縄の島や琉球列島の数地点の6〜40メートルの海中で、スキューバダイバーたちは、古代の失われた文明によって築かれたと推定される謎めいた構造物を発見した。1995年3月から、日本の沖縄県、特に台湾東方約110キロの与那国の小さな島々の8か所で、ダイバーその位置と地図をつくってきた。沖縄の琉球大学の海洋地質学の木村政昭理学部教授は与那国のサイトを調査し、そこにある神秘的な5層の水中構造が人工のものであると結論づけた。「この物体が本質的に人造のものでないことが事実なら、侵食による瓦礫がサイトの周りに残っていると期待されるが、そこには岩片がない」と彼は語った。建物の基礎を取り巻く道路と思われるものが発見されたことは、その構造物が人間によって作られたという証拠でもあるという。懐疑的な人たちは、大きな層状構造はおそらく自然起源であるとして、そうした発見結果をしりぞけた。だがその懐疑は長くは続かなかった。フランシス・ジョセフは『アトランティス・ライジング』誌の記事にこう書いている。「翌年の夏の末、沖縄の海域のもう別のダイバーは、その巨大な石のブロックや巨大な石の門が、太平洋の反対側の南米のアンデス山脈にあるインカの都市で発見される先史時代の石積み様式でみごとに建造されているのを見て衝撃を受けた」。これは確かに沖縄の水中遺跡が実際に人造のものであることを確認したものである。その建築物には、舗装された通りや交差点、大きな祭壇のような造形、広い広場につながる階段、門塔に似た一対の塔をそなえた行列路のようなものが含まれている。そうした与那国の遺跡の独特の詳細には下記のものを含んでいる。表面から3メートル以内に立ち上がる2つの近接した柱。「輪状道路」で、構造の基部の 3辺を取り囲む5メートル幅の突き出し。約7メートルの石の柱である「トーテム」。 10メートルの長さの直線壁である「分割壁」。低いプラットフォーム上に座っている孤立した石である「ご神体」。 星型の低いプラットフォームの「タートル」。 その端に2個の大きな穴がある三角形のくぼみの「三角プール」。 L字型の岩である「ステージ」。もしそれらが沈没した都市であるなら、それは広大なものとなる。この一連の水中遺跡は、レムリアやアトランティスの北部の辺境地、それとも、別の失われた文明の遺跡である可能性があることを示唆している。

 

1987年に日本の与那国で発見された海中20~40メートルに隠れていた巨大な岩構造物。専門家は、それを水中考古学史上最大の発見と呼んでいる。その大きさは2つのサッカー場に相当する。 地質学的な証拠は、それが少なくとも1万4千年前に建設されたことを示唆する、最後の氷河期が解ける間に沈んだことを示している。「タートル」と呼ばれるこの水中の遺跡は、琉球列島の与那国島にある。(with permission, (c) Brad Olsen, 2017)

 

伝説が伝えるように、かつての太平洋大陸が沈没し、元に戻ることがなかったので、レムリアの生存者は現在のモンゴルと中国の両国をおおうゴビ砂漠に移った。何世紀も後に、この帝国はアトランティスと紛争におちいりその一部が破壊された。この大戦争は、アトランティスとレムリアの子孫の双方の壊滅的な破壊をもたらした。ムーは現在ゴビ砂漠にある新しい地上の大都市の名前であった。それには破壊を生き延びたアガルタ・アルファとベータと呼ばれる2つの衛星都市があった。大アガルタ王国の住民は、今日の地球上に住む人々の科学知識と専門知識をはるかに超え、アトランティスの失われた技術に相当していたとさえ言われている。

古代ムーの子孫は、チベット高原の周辺や地下の洞窟内で平和に生き続けている。こうした国家の指導者たちは、昇天導師、伝統の守護者、Psychoteleiosまたは「完成人」、輝く人、古代人、監視者、不死の人、戒告者、隠れた重職者などと呼ばれ、その誰もが古代の道理として知られることに従い、地上に生息する人間の暮らしには干渉せず、また、たとえ許可されたり望まれている間でも相互関係は持たなかった。チベット人はアガルタの都市をシャンバラと呼んでおり、何世紀にもわたって古代の知識と高度な技術の宝庫としての存在を信じてきた。

 

アトランティスの技術

ムーア大陸が沈んだ時、海水が新しく拡大した太平洋盆地に流入し、世界の海の水位は大きく下がったと言われている。レムリア文明の時代に大西洋に存在していた比較的小さい島々は、後退した海洋によって高く乾いた場所となった。新たに出現した土地は大西洋のポセイド列島と一体となり、小さな大陸を形成した。この大陸が今日の歴史家によりアトランティスと呼ばれているが、本当の名前はポセイドである。

人類の歴史は、信じ難いほど伝説や物語に富んでいる。しかし、アトランティスの「失われた都市」のそれらは、おそらくどれもよく知られておらず、興味ももたれていない。それはまず紀元前330年にプラトンによって口述されたが、ほとんどの歴史家は、その物語を単に教訓や寓話を教えることを目的としたプラトンの多くの寓話の一つとしてしか信じなかった。その物語によれば、アトランティスは信じられないほど先進的なコミュニティであり、「世界を取り込む」文明であった。彼らの勢いに対し、アテネ人は戦いに挑み、アトランティスは敗北し、永遠に失われた。その伝説では、アトランティスが生きる理想的な場所と伝えられ、歴史を通して数え切れないほどの人々が、その場所を探し求めている。そして多くの人がそれを見つけたと主張したり、少なくともその深くに沈んでいる海や表面の国を特定している。

アトランティスは、今日、地球に存在するものをはるかに上回る技術を、非常に高度な段階へと発達させていた考えられている。1884年、チベット民族により初めて、フレデリック・スペンサー・オリバーというカリフォルニアの若者に口述された『A Dweller On Two Planets』 という本とその続編の『An Earth Dweller Returns』によると、次のような発見や装置があったという。 すなわち、致命的で有毒な蒸気を浄化するエアコン、エアレスシリンダーランプ、夜間に軍隊のつかう水晶の管、電気ライフル(推進力としての電気をつかう銃)、モノレール輸送、水発生器(大気からの水を凝縮するための道具)、Vailx(浮揚力と反重力によって駆動する空中船)。

アトランティスの遺産にはさらに、農業や動物耕作のような伝統技術――車輪以来の大発明――も含まれている。植物や動物の飼育――そのほとんどまたはすべてがアトランティスに由来し、遺伝子工学の進歩にすら用いられている――がなければ、今日の文明は決してあり得なかった。これらの他に、歴史の開闢以来の神秘的な起源をもつ一連の発明も、アトランティスとレムリアに由来している。冶金、紙、アルファベット、医薬品、火薬、織物、石造建築もまた、遠い過去の偉大な大洪水以前社会に由来している。彼らの技術のいくつかはまた秘された科学と考えられている。古代の建築家は彫刻に超音波装置を使し、重力を打ち消して巨大な岩石を移動させてピラミッドやアトランティスのような先進的な古代文明を構築する電磁場を作り出すために音の振動が用いられた。

アトランティスのような先進的な古代文明は、おそらく記録の秘蔵所を残して置いただろう。相当数の証拠があり、多くの人は、記録館のようなものが実際にエジプトのギザ高原のどこか、おそらくスフィンクスの足の真下に埋葬されているかもしれないと信じている。いくつかの古代の文面は、スフィンクスの下の秘密の部屋と地下通路に触れている。ギリシャの歴史家ヘロトドゥスは、紀元前443年頃に、巨大な迷路が大ピラミッドを超えて存在していると書いている。伝承によると、失われたアトランティス大陸の生存者のグループが存在し、彼らは、およそ紀元前1万5百年の大陸の沈没に先立ち、先進的知識をエジプトにもたらし、スフィンクスの秘密の部屋に保管した。従来のエジプト学者は、このような考えを否定し、スフィンクスは約5千年前に建設され、そのような失われた部屋や他の巨石の不思議はないと述べている。

 

ギリシャのアトランティス

ヘロトドゥスとともに、多くの著名なギリシャ人が古代エジプトへと旅した。エジプトへの旅は、古代の知識の宝庫と見なされることに加えて、通過儀式でもあった。ソロンは有名な政治家、議員、叙情詩人であり、さらにはアテネ民主主義の基盤を築いたと評されていた。パウザーニアスというギリシャの旅行記著者は、ソロンを古代世界の「七つの賢者」の中に挙げた。ソロンは国の改革を仕上げた後、海外旅行に出かけ、エジプトが初めての滞在地だった。 そこで彼はヘリオポリスを訪ね、そこでエジプトの哲学の専門家であるピセノフィスと議論をした。 その後、サイスで、彼はネイスの寺院を訪問し、そこで司祭からアトランティスの歴史の話を受け取った。ソロンはこの歴史を詩に書いた。その後、プラトンは彼との対話を、ティムエウスとクリティアスとの対話篇でそれに言及した。

アトランティス神話の出所として、プラトンによるエジプトへの言及は、ソロンを経て彼が得たものによった。エジプト人はアトランティスを、クレプの人々の名前であるケプチュという名で呼んでいた。ミノアの火山噴火の被災者は、当時の高等文明をもつ唯一の文明であったエジプトに援助を求めたことが知られている。プラトンは、アトランティスの島の採石場を、「白、黒、赤の岩々」が丘から切り出され、その偉大な島の都市を築くために使われたと描写した。この描写は、アトランティスの別の推定場所であるサントリーニ島にある色付きの岩石と一致している。サントリーニ島はおよそ3千6百年前と記録された歴史中で最大の火山噴火の一つにより廃墟となった。 そのテーラ山の噴火は、ミノア文明が頂点に達している中で発生した。プラトンは、アトランティスはテーラ噴火よりずっと前に存在し、その場所はサントリーニの近くではないと述べた。だがプラトンは、その位置を、ギリシャ人が「ヘラクレスの柱」――今日、「ジブラルタルの岩」と呼ばれるモロッコの北端――と呼ぶ場所以上を告げる言葉を残さなかった。

アトランティスの島の都市は、プラトンによって、土地と水――それぞれは深い運河によって海とつながっている――の一連の同心円の中に配置されていると記述されていた。 プラトンは、たくさんの数の船舶のための活気ある埠頭と、荷降ろしのための広範囲な通路について描写した。島から発掘されたフレスコ画はサントリーニを描いており、それはアトランティスの市民社会の光景と同様であると解釈される地形をもっていた。 また、それは島の広大な都市を表しており、考古学者によって、エーゲ海の他の場所の中でも、ミノア族がサントリーニ島とクレタ島を占領している間に破壊されたそのカルデラの中央を表していると推定された。サントリーニの火山災害の後、ミノア文明は急激に衰退した。

古代エジプト人とギリシア人は、派閥闘争に悩まされているアトランティスについて語っており、それが戦争の愚かさによってか、あるいは、ほとんどの資料によって推定される地球への小惑星の壊滅的な衝撃により、遂に、およそ1万2千9百年前に破壊された。 この壊滅的な自然災害が、アトランティス大陸の洪水と沈没の原因のようで、その理由の歴史上の記録は、紀元前1万年へと遡れるのみである。このような世界的に壊滅的な出来事は、多くの哺乳類や人口の膨大な部分を含む膨大な数の動物種の絶滅を引き起こした。そうして古代の歴史は失われ、忘れら去されと考えられる。 だが歴史は、ふたたび「開始」されねばならない。

 

アトランティスはどこに

世界にいるサッカー選手ほどにも、アトランティスの本当の位置について、多くの説がある。私たちはそのアトランティスの物語の大部分をプラトン――その美しく技術的に進んだ大陸サイズの島について、紀元前370年のタイミュエス〔Timueus〕と題された彼の対話のひとつに書いている――から得ると、以下のようである。「あなた方ギリシア人が『ヘラクレスの柱』と呼ぶ入口の前には、リビアとアジアを合わせたより大きな島があった。そして、その時代の旅行者は、そこから他の島々へ、そしてその島からまぎれもない海洋を包囲する大陸全体に渡ることが可能であった」。再び、プラトンの説では、その場所は曖昧で、単純に「ヘラクレスの柱」の外の島であり、これは、スペインのジブラルタルの外にある北大西洋のどこかであるとほぼ見なされる。もし、アトランティスの空飛ぶ機械の話が正しいとすれば、おそらく大西洋を横断する旅はそれほど遠いものではなかったし、プラトンのアトランティスはカリブ海の中心にあったかもしれない。もちろん、アトランティスは決して存在しておらず、ただの寓話に過ぎなかったと多くの人が結論づけている。またそれが存在していたと考える人は、地球のほとんどあらゆる場所で証拠や手がかりを探している。

「英国のアトランティス」は、最後の氷河期の氷河が溶けた時、北海に飲み込まれた隠れた水面下の世界である。「Doggerland」はそう名付けられた時、北はスコットランドからデンマークへ、そして南は英国海峡のチャネル諸島にまで伸びる広大な土地であったが、紀元前1万8千年から同5千5百年の間に、ゆっくりと水に沈んだ。 それは、2012年、セントアンドリュース大学の科学チームと共に働いているダイバーによって発見された。 石油会社のために働く北海の深海のダイバーは、かつてヨーロッパの「本当の中心地」を代表していたかもしれない、推定数万人の「水没世界」の遺跡を発見した。 気象学者、考古学者、地球物理学者のチームが、現在、石油会社からの新しいデータを使用してこの地域をマッピングし、かつてはマンモスや現在絶滅している巨大動物によって徘徊された「失われた土地」の全域を明らかにした。

眠れる天才のエドガー・ケイシーは、そのリーディングの中で、飛行機、結晶、あるいは「ファイヤーストーン(firestones)」について、それらをエネルギーや関連する適用について語った。また彼は、権力の乱用や破壊の警告についても語った。エドガー・ケイシーの有名な預言では、バミューダ周辺でアトランティスの遺跡が発見され、1969年にはビミニ島の近くに幾何学的な水中の石の構造――「ビミニ道路」と名付けられた――が発見されると述べ、信奉者たちはケイシーの予言が証明されたと語った。また興味をそそるのは、巨大で部分的に半透明でクリスタルのようなピラミッド構造で、おそらく、エジプトの大ピラミッドよりも大きく、最初は1970年にレイ・ブラウンという名前のスキューバダイビングの医師によって特定され、ビミニから約160キロ離れたバハマ沖の「海の舌」と呼ばれる地帯に位置した。この構造はその後、フランスと米国のダイビングチームによって独立して検証された。このピラミッドは、当初、ピラミッドが巨大な電源であるとか、文字通り時空を曲げ他の現実に通じる入口を開くことができる偉大なエネルギー機械であるというエンジニアの議論を強めるものとなった。これは、アトランティスの古代ハイテク文明が存在したという主張を裏付けるものであり、19世紀以来、バミューダの三角地帯と呼ばれる大西洋の地域で記録された神秘的な行為の答えを提供することにはなった。何十年もの間、大胆な研究者たちは、地球上の最も謎めいた場所の中に深く隠された迷路を探求した。さらに、探検家トニー・ベニクは、北大西洋の真ん中にある3千メートルの深海にあるもう1つの巨大なピラミッドの記念すべき発見を報告しました。ベニクの主張によると、このピラミッドは巨大な結晶で覆われている。またそれだけでは不十分で、1977年にアリ・マーシャル探検隊は、バハマのケイ・サルの沖からもう一つのピラミッドを発見した。マーシャルは、45メートルの水面下に沈んでいる小さなピラミッドの水中写真を撮った。

アトランティスの他の場所には、地中海、エーゲ海、またはポルトガルとモロッコの現在の海岸、カリブ海周辺の様々な場所、イングランド、南極大陸、メキシコの海岸から キューバ、がある。 他の著者は、エソテリックな知恵を身に着けた師が地下の洞窟、すなわち「空洞の地球」に生きていることを提起している。南極、北極、ユーコン準州、チベット、ペルー、そしてカリフォルニア州のシャスタ山は、すべてアガルタと呼ばれる地下世界への入り口の場所として、その主唱者に説かれている。これらの場所にはいくつかのUFOが故郷であるという説もある。

 

カリブ海の水没都市

2001年5月、キューバ領海の海底をマッピングしていた海洋技術者のポウリナ・ゼリツキー率いるカナダ企業Advanced Digital Communications(ADC)は、エキサイティングな発見を発表した。ソナーの値は、670メートル下の海底で、予期もしていなかった驚くべきものを明らかにした。彼らは、都市の遺跡に非常によく似た幾何学的なパターンでレイアウトされた石の構造を発見していた。 ADCのポール・ウエインツベイクは次のように述べている。「私たちはここで得たのはミステリーだ。自然がそれほどに対称的なものを造ることはない。これは自然ではない、だが、それが何であるかはわからない」。多くの愛好家たちからの直接の提案は、これが最終的に沈んだアトランティスの都市の最終的な証拠であることだった。ナショナルジオグラフィックはその場所に大きな関心を示し、その後の調査に関与した後、沈黙してしまった。 2003年には、ミニ潜水艦でその構造物が探索された。 ADCのゼリツキーは、その構造物は「大都市の中心街のように見える。しかし、証拠をつかむ前にそれが何であったのかを言うのは完全に無責任である」と語った。さらなる調査では、都市構造の3次元イメージがマッピングされ、作成された。極めて深いために、この神秘的な水中都市のコンピュータ画像だけが存在している。科学者のチームは、キューバ近くのユカタンの流域で発見されたこれらの巨石の遺跡を探索し続けている。彼らは、海底に沿って数キロにわたって広がる広範な都市環境の証拠を発見した。何人かの人は、知られた古代アメリカのすべての文化以前に繁栄していた文明を信じている。

退役米国空軍中佐ウェンデル・スティーブンスは、死亡する前の2010年、ネバダ州のArea 51のS-4――超秘密の複合施設の一部――で働いていた警備員にインタビューした。その警備員はびくびくした男で、仮名であることを条件に、彼の唯一というインタビューに同意した。数回の再接触の試みが失敗した後、その警備員は捕らえられたらしく、その後永遠に姿を消してしまった。そのインタビューで彼は、在任期間中に捕獲された何機かのUFOを見たと述べたが、そのうち最大の興奮は、彼らが海中の寺院複合施設で発見されたらしい古代のアトランティス船に連れて行かれた時だった。警備員の考えによると、その寺院施設はキューバ沖のもので、ミサイル危機の際に回収された。この告白は、2001年にADCによって発見された水中寺院複合体の知識が、何十年、少なくとも1960年代初めにまでもわたっていたことを示唆している。その警備員の話の一部は、他の内部告発者により確認されており、S-4の科学者が回収された船の電源にアクセスしようとした時、強力かつ致死的な電磁気と中性子のパルスを放出してしまい、即座に34人の科学者が死亡したということであった。この事故の後の数週間、S-4では高度な推進科学者の不足があり、これがボブ・レーザーがエドワード・テラーによって雇われた主な理由であった。どんな古代UFOも、いったん特定されると、地球上のどこで発見されたものであろうと、影の政府の最も秘密の場所に即座に運ばれた。

カリブ海の遺跡の最も興味深い発見の1つは、先に述べたレイ・ブラウン博士の話である。ブラウン博士は、バハマ諸島のバーリ島の近くでダイビングをしている最中、「鏡のように輝いている」ピラミッドと出くわし、27メートルの高さしか見えなかったが、37メートルの高さと見積もられると主張した。ピラミッドは色のついた冠をもち、他の建物の遺跡で囲まれていた。ひとつの部屋に潜水してゆくと、彼は2つの金属の手で保持された水晶を見つけた。水晶の上には真鍮の棒が天井の中心から垂れていて、その端には何らかの赤い多面的な宝石があった。ブラウン博士は、生存中、その水晶球を見せ、それは、多くの好奇心をそそるハンドラーには、奇妙で神秘的な力を持っているとされた。ブラウン博士の水晶球は、中米の神秘的な水晶頭蓋骨のように、さまざまな超常現象の源である。人々は奇妙なうずきを感じ、その近くにイオンの風を感じ、冷たい層と暖かい層がさまざまな距離でそれを囲んでいる。また他の目撃者は幻光や声を聞いている。その水晶球の横すぐに置かれたコンパスの針は反時計回りに回転し、それをわずか数センチメートル動かすと反対の方向に回転し始める。

 

巨石文化

世界中にはいくつもの例があるが、古代の巨大な規模の石の造作、もしくは巨石塊の工作技術の最良の例は、今日のレバノンにある、バールベックである。バールべックは確かに、古代世界の最大の謎の一つであり、そこに設置されている巨石の重量は、今日の最大規模のクレーンの能力を超えている。風光明媚なベカア渓谷の奥深く抱かれて、さまざまな時代に様々な神々や女神に捧げられた、大昔のアクロポリスがある。もともとは、エル・バールのセムの神々と女神のパートナーであるAアスターテに捧げられたもので、そのカルトは、売春や神聖な酒宴に関わっていた。その次にくるのが、古い寺院に置き代わった、ギリシャのゼウス、アフロディテ、エルメスの神殿であった。ローマ人はギリシャの場所の上に直接建てたが、名前をジュピター、ヴィーナス、マーキュリーに変更した。巨石の謎は、ローマ帝国の遥か前に建てられたジュピターのローマ神殿の下にある巨大な基礎石を取り囲んでいる。ジュピター寺院の中庭はグランドテラスと呼ばれる巨大な外壁と巨大な石で構成されたプラットフォームの上に位置している。外壁の下側の層は、巨大で細かく細工され、正確に配置されたブロックから形成されている。それらのサイズは、長さが10から11メートル、高さが5メートル、奥行きが3メートルで、重量はそれぞれ約410トンになる。これらのブロックのうちの9つは、寺院の北側、南側に9個、西側に6個発見できる。西側の6つのブロックの上には、トリリトンと呼ばれる3つのさらに大きな石があり、それぞれの大ブロックの重量は910トンを超えている。

もう一つのさらに大きな石は、バールベック寺院から半キロメートル離れた石灰石採石場にあります。およそ1100トンと推定される縦21メートル横5メートルの世界最大の石工作物である。「南の石」 を意味するハジャー・エル・ゴウブルは、ある角度に持ち上がって横たわり、その最底部が石切り場の岩にまだ接しており、まるで切り取られる準備がほぼ整い、いまにもバールベックの西壁の上の他のトリリトンの横の推定場所に運ばれるかのようである。それは世界で最も大きな切り取られた石である。

これらの巨石は、採石、輸送、および、エンジニアにも考古学者にも双方の現代の科学者にとって、バールベックや他の巨石建築の場所で見られる採石、輸送、配置の精度の方法において、大きな謎となっている。例えば、バールベックの西側の壁は、古代および現代に知られている建築の技術力を超えている。古代文化が現代科学よりも優れた知識を持っていたかも知れないとの考えは、多くの「専門家」にその説明を残している。従来のモデルでは、ロープ、木製のローラー、そして苦労してブロックを目的地まで引きずった数千人の労働者の使用が必要であった。しかし、この方法を使ってモニュメントを建設した建築家は、バールベックの人々の大きさと重量の1/10のブロックだけを動かすのがやっとであった。さらに、採石場から作業現場への旅は、幅広い移動路を持つ平らな面に沿う移動であった。しかし、バールベックの敷地へのルートは、険しくて曲がりくねった地形上の上り坂であり、古くから平坦な掘削面が作られている証拠は何もない。さらに、巨石がいったん敷地に持ち込まれた後、それが持ち上げられ、正確に配置される方法の問題がある。多数の人間と動物が調和して動作する足場、斜面、滑車の複雑な配列を使用して石が設置されたことが理論的には述べられている。ここでも、その説明は納得力を欠く。バールベックの石がどのように置かれたかという空間的な問題において、そのような空間は利用できない。丘陵地は、持ち上げ装置が設置される必要がある場所から離れて傾斜しており、平らで構造的にしっかりした表面が構築され、持ち上げられた後不思議に取り除かれている証拠は見つかっていない。この一連の巨大な石が正確に並べて設置されたことには、どこに巨大なプーリー装置が配置されたかについて、考えられる説明は提供されていない。バールベックは、明らかに、他の手段を使って建てられたもので、おそらく、大洪水時代に建設されたものである。大規模なプラットフォームは、高度に洗練された文化によって造られた。それは、それらの場所に設置するために石を無重力にするために、ある種の高調波または音響浮上を使用したことが示唆されている。

前述のように、最も有名な考古学的な謎であるエジプトのギザの大ピラミッドは、海や陸地によって埋もれておらず、これもまた、アトランティスの祖先によって建設されたものと推定されている。バールベックからわずか数百キロ離れた場所にあり、地球のすべての大陸の正確な中心に正確に位置している。それは、地球の大陸をほぼ等しく四分割し、地球上のすべての大陸の正確な中心に置かれている。大ピラミッドは、北緯29度58分51.06秒、東経31度9分0.0秒に位置している。南北の軸は、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、南極を通過する最長の地経線である。反対に、その東西軸は、アフリカ、アジア、北アメリカの大陸を横切る最長の陸地線となっている。それがある緯度と経度のこれらの2つの線は、他のどれよりも長いの陸地と最短の水を通っている。明らかに、地球の最も長い地上線が交差できる場所は一ヶ所だけで、そこが、大ピラミッドの正確な場所である。合計230万個以上の石灰岩ブロックおよび花崗岩がその構造に使用され、平均ブロック重量は2.3トンである。2トン未満の重さのものはない。王の部屋の天井に使われている大きなブロックは、8トンもの重さである。大ピラミッドは、すべての大陸の地位を知って建設されたものであり、技術的に高度な文明がこの大ピラミッドを建設したという事実を示している。

オリオン座の三ツ星はエジプトの大ピラミッドに完全にマッチする。ギザのピラミッドは、オリオン座から来た存在によって構築されたのだろうか。(with permission, (c) Brad Olsen, 2017)

 

コーラル・キャッスル

確かに大洪水以前の起源ではないものの、バールベックや他の巨石建造物がいかに建設されていたかを示唆する断片は、完全に一人の小さな男によって建てられたフロリダの奇妙な構造物に見られる。フロリダ州南部のコーラル・キャッスル(サンゴの城)は、小さなラトビアの孤独者が一人で建てたもので、北アメリカの最大の謎のひとつとなっている。この建立者、エド・リードスカルニンは、背丈がわずか1.5メートルの小男で、体重も45キロしかなかった。エドは1887年に生まれ、26歳で16歳のラトビア人のアグネス・スカフスと結婚することになった。だがその結婚式の前日、若いアグネスはエドが彼女には年上すぎると思ってか、あるいは誰か他人と恋仲にあっためなのか、その計画を破棄してしまった。失望と孤独のエドは彼の故国ラトヴィアを去ってアメリカに移り、常に彼の「最愛の16歳」のアグネスのことを思っていた。小学4年生までの教育だけで、仕事を転々とし、あげくには結核をわずらい、気候のよいフロリダに移ってきた。彼はその旅路の間、科学、天文学、エジプトの歴史に興味を持ち、磁気流と宇宙的力に関する本の読書に、時間のほとんどを費やした。エドは倹約家で、古い機械類を集め、できる限りの金を節約した。結局、彼はフロリダ州ホームステッドに4ヘクタールの土地を買い、他の誰の助けもなく数百トンのサンゴの岩を掘り出し、動かし、彫刻した。彼のその記念碑造りは1930年代に始まり、何年もの後に完成し、彼の失われた愛、「最愛の16歳」に捧げられた。簡単な道具だけを使って、ラトビアの小さな移民者が単独で千トンにおよぶサンゴの塊を移動させ、コーラルキャッスルと呼ばれる技術的驚異を造り上げた。

このような驚くべき量のサンゴの岩の掘り出しと持ち上げは――電気や現代のクレーンを使わず、手作りの道具だけを使ってなされた――、夜に一人で働くことを好む偏向した孤独人で知られている一人の男にとって、不可能な仕事に思える。不思議に思ったエンジニアたちは、エドの秘密の工法を先史時代の謎めいた巨石建造物と比べた。コーラルキャッスルは現代の唯一の巨石記念碑である。多くの人々が小男のラトビア人に、そのような重い物をどのように掘削して配置することができたかを尋ねた。 彼は大ピラミッドがどのように構築されたかの秘密を彼が理解したからだとしか言わなかった。エドは生まれ変わったエジプトの建築家で、秘密の音響浮上技術の過去の知識を保持していたのだろうか。それはエド・リードスカルニンが、彼の「過去のエソテリックな」の鮮明な記憶を持っていたからなのか。 それ以外には何の説明もないと主張する人もいる。

地球文明は戦争と苦しみの長い歴史を持っており、それは、アトランティスの崩壊につながった紛争、あるいはおそらくもっと古い時期にまでさかのぼることが出来る。このように、地球は問題の惑星、つまり「疫病を病む」惑星である。地球は、現在の文明以前に、いくつもの文明をへており、それらは高度な文化と高度な技術を享受しつつ、恐ろしい戦争で自己破壊し、根本的に人間を何度も何度もやり直すしてきた。仏陀、キリスト、さらにはエド・リードスカルニンのような尊師は、物質、精神性、哲学、特に人間の条件――思考と存在の正された道―― の質に関する先進的な概念を教えてきており、 私たちは破壊のサイクルから自由になることが可能である。従って、昇天した尊師や過去の神秘学派の学校の生活や教えを見るにつけ、今日の世界に関する解答を見つけることができる。 それが私たちが次に進むテーマである。

 

【本章完了】

 

 

参考文献

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Childress, David Hatcher, Ancient Tonga & the Lost City of Mu’a. Kempton, IL: Adventures Unlimited Press, 1996.

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Frejer, Ernest B., Compiler, The Edgar Cayce Companion. Virginia Beach, VA, 1995.
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Little, Gregory L., Van Auken, John, Little, Lora H., Mound Builders: Edgar Cayce’s Forgotten Record of Ancient America. Memphis, TN: Eagle Wing Books, 2001.

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Olsen, Brad, Sacred Places Around the World (2nd Edition). San Francisco, CA: CCC Publishing, 2004.

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Baalbek references:
http://www.sacredsites.com/middle_east/lebanon/baalbek.htm http://www.bibliotecapleyades.net/esp_baalbek_1.htm

 

 

 

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Modern Esoteric: Beyond Our Senses,  by  Brad Olsen

http://cccpublishing.com/ModernEsoteric  www.bradolsen.com

with permission, (c) Brad Olsen, 2017



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