物と意識の区別がつかない

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その61)

最近私は、ますますと確信をもって、科学界では、天地をひっくり返すかの新知見が切り開かれつつあると受け止めています。先に紹介した「科学を脱皮しつつある科学」でもその要点が述べられているように、目下、量子理論は、物体についての考えを根本的に変えつつあります。それをひとことで言えば、物と意識の区別がつかない、ということなのです。

これは現実経済での話ですが、私たちの金の使い方に関し、「もの」の消費から「こと」の消費、といったことが言われています。つまり、消費というくくりで言えば、「もの」も「こと」も、私たちが欲する対象として、同じ消費に二面があるということです。

むろん、両者の世界は違っていることですが、量子の世界と消費の世界に共通する、《物と意識の一体性》は、じつに今日的な現象を物語っているように見受けられます。

また、私事で恐縮ですが、最近体験したクモ膜下出血からの生還においても、その究極の体験談を語れば、やはり、《物と意識の一体性》の境地に達したとも言えます。しかも、そうした体験は私独自のものかと言えば、そうなのではありません。アメリカの脳科学者も、自分の脳卒中を体験した結果、同様な心境に達したことを述べています。

20世紀から21世紀にかけて起こっているこの世界認識上の変化は、後世の歴史家は、それを中世における「天動説から地動説」への変化と並ぶ、歴史的な出来事と称することでしょう。

歴史上で生じたそうした根本的変化について、それを「エソテリック」な角度から検証している、本章「過去のエソテリック」です。ではその後半部にご案内いたします。

 

 

 

 

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