「内蔵スマホ」とは松果腺(MOTEJIレポートNo.14)

両生 “META-MANGA” ストーリー <第20話>

なあMATSUよ、今回のお前の体験は、脳外傷による一種の臨死体験であったわけだ。ただ、確かにその外傷の重症度の軽さのお陰で、この世とあの世の境をなす一線を越えるに至らず、現生に戻ることができた。俗世界的には、それはそれでめでたいことだろう。だが、俺に言わせれば、その一線など、ある連続する旅路の一通過点で、現生に戻れたこと自体は、さほど祝福するほどのことではないのではないかと見る。

ちなみに、そうした通過すべき一線は、どのみち確実にやってくる。つまり、こんどの体験の本当の意味は、またそれがめでたいと言うのなら、現生にうまく戻れたということではなく、その際どい体験を通じて、その旅路の連続性を垣間見れたという発見ではないのか。

 

話はちょっと迂回するが、実はその後、俺はここで、ある人と出会った。彼にはもう一つの実名があるのだが、彼はむしろこの名を名乗った。それは「星友良夫」。どうだMATSU、この名は良く覚えているだろう。

お前の記憶の通り、彼が喉頭癌で入院していたのは、お前が入院していた病院と同じであり、階は違うが病棟はいっしょだったはず。だが彼の癌の発覚は年末で、精密検査はその年末年始休暇時期の後に回され、それができたのは一月末であった。そして、その結果で判明したのはすでに手遅れな症状であり、遂には、お前が最初に行ったカンタベリー病院のホスピスに送られて、二月末に、息を引き取ることとなった。

たしかに、その癌の発病は、彼の永年の愛煙癖が筆頭原因だろうし、そういう意味では自業自得と断罪されても仕方ない。それは彼自身もよく納得はしているようだ。だが、彼がそう自分に言い聞かそうとしてもそれがならないのは、一方での彼がこうむった医療システムの理不尽であり、他方での自身の最期への自分自身の対処の準備不足であるようだ。

俺自身を振り返ってみても、自分の深酒癖が原因と推定されるアルツハイマー症の発症は自業自得であり、早すぎる死も、自ら招いた結果と言えなくもない。

つまり、俺が言いたいのは、どのみち、人間の成すことに完璧はありえず、ことに、この世の最期をしめくくる時に、あらゆる納得を準備し、それを完遂させるのは神業であることだ。そうではあるが、そしてそれが故に、その一線を、それほどに神経質に考える必要はない。繰り返しているように、それは、なにも終末であるのではなく、通過点でしかないということだ。言うなれば、もし、やり残しや、痛恨の失敗があったとしても、それはそれで、次の機会は用意されているということなんだ。

もっと言えば、そういう終末観は、人為的もしくは作為的、あるいは、地球現世的に作られたもので、本当はそんなものではないということなんだな。逆算世代になったからと言って、縮こまることはない。もっと伸びのびとしててよい、ということなんだ。

 

話は跳ぶのだが、俺は先に、「人にあらかじめ内蔵された超高性能スマホ」とレポートした。実は、それを証明するいい資料をみつけたよ。それによると、その「超高性能スマホ」の役を果たしているのが脳にある松果腺という小さな器官だ。ただし、その器官の優れた機能は、物質文明の発達に伴って、フルには使われなくなっており、退化すらしているという。実にもったいなく、理不尽な話じゃないか。

MATSUも、今回の経験をもとに、脳障害の共通体験者を見つけたようだね。しかもその人物は、アメリカ医学界の脳の専門家で、そうした専門医学的、科学的視点をもってして、その経験から得た宇宙的な効果について語っている。

ただ、この脳の専門家は、そうした効果がどのようにしてやってきたのか、その脳科学的な説明は片手落ちで、まして、その脳にある松果腺については何も触れていない。どうも、かえってその専門家であることが邪魔をして、まだよく解明されていないその器官がゆえ、そうした限られた発展や躊躇となったのかもしれない。

ともあれ、われわれの命の地球から宇宙への連続性については、そうした専門家も同意する、人間の事実ということなんだな。

それにしても、物質主義的世界観というのは、もはや、百害あって一利なし、ってことだ。

 

今回のレポートはこれだけにするが、よきクリスマス、そして新年を迎えてくれ。

 

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