「対抗言説」か「偽史」か

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その63)

 いきなりですが、「偽史」という言葉があります。その意味は、事実に基づかない偽物の歴史ということですが、「歴史は嘘を言う」との認識から言えば、あらゆる歴史は偽史ということになります。また、この偽史という用語が使われる場面では、既存の主流歴史観に対する新たな、あるいはそれをくつがえす見解を、それを排する意図から、偽史という断定を与えて切り捨てる手法として使われていることが多いようです。たとえば先日、ウエブ上への転載講座で、ピラミッド建設の謎に関し、宇宙人の関わりという見方に対し、それを妄想として、偽史だと断言しているものがありました。

本章のテーマである「対抗言説」とは、通説や主流歴史観への疑念を根拠に、それに対抗する見解を取り上げているものです。そういう見方からは、主流の歴史こそが「偽史」とされるべきものだとの立場にあるものです。

また前回の「対抗言説(その1)」で、ケネディー大統領暗殺に関し、CIAが「陰謀論」という言葉を造語して、単独犯という公式見解への国民の疑問を煙に巻く手段を使ったとの記述がありました。そういう関連では、「偽史」という言葉の使用も、主流見解への疑問をかわす、言わば《対・対抗言説》との働きをしている“煙幕”であることが見えてきます。

ただ、何が事実かという論争では、ことに、何千年も大昔の出来事について、その実証の材料を欠くのも事実であって、いずれにせよ、推測の域は大きく残ってしまうわけです。つまり、著者も言うように、その断定できない灰色の部分をどう解釈するかは、著者として断定はできず、読み手側の判断に任さざるを得ないこととなります。

そうしたお膳をあずけられた多くの議論を提供され、それに自分なりの判断を一つひとつ付けてゆくことは、ある意味で、しんどく、苦痛なことでもあります。

 

また、本章は、その冒頭で述べられているように、本書の兄弟書『東西融合〈涅槃〉思想」の将来性』の最初の部「世界を覆う秘密主義」の議論をまとめた一覧でもあります。そこで、今回の訳読では、この兄弟書に親しくない読者の便宜に、主なテーマ項目について、すでに兄弟書で論じられている関連箇所へのリンクをつけてあります。より関連して追求されたい向きには、そのリンクを追ってみることをお勧めします。

 

それでは、「対抗言説(その2)」へご案内いたします。

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